ムラサキサギゴケ
源氏物語を詠みきかせながら、B先生が机と机の間を通って、こちら
にやって来る。
年代物の古びた、しかししっかりとした作りのスーツを身につけて。。。
毎回、授業に着てくるスーツは違えど、共通点がひとつだけあった
のである。
それは・・スカートの裾のどこか一部がほころびていて、糸を垂らし
ているということだった。
それについて、誰も何も言わない。皆、あれに気がつかないのだろう
か。あるいは、気づいてはいても興味や感心がないので、話題になら
ないのかもしれない。
B先生を見ると、今日のスカートは大丈夫だろうか?と、ひそかに
ハラハラしている自分がいた。
糸が垂れていないスカートの時もあった。その時は「お、今日は大丈
夫だ~」と、安堵するのである。
しかし、前回も前々回も糸が垂れていた数点の物は、いっこうに省み
られた様子もなく、再度寸分違わぬ同じ状態で着用されていた。
B先生は、自分の洋服姿を、鏡で見たことがあるのだろうか。もしく
は家で、次に着ていく洋服を点検したりはしないのだろうか。
けりのつかないような、素朴であいまいな疑問が、常に私の頭の中を
占有していた。
もしも、ホンの数秒間、時間を停めることができたなら、垂れている
目障りな糸を鋏で切ってあげたいものだ、と思っていた。
彼女は、体躯はがっしりとして男性的である。お顔も、力道山並みに
色黒で逞しいのだった。どう見ても、おじさんがスカートを穿いて
いるかのようだ。
初めは、結婚しているのかどうかも怪しい気がしたが、どうやら
旦那さんがいるらしい。大きなお世話だが、こんなンで先生、家事は
どうなのだろうか、といらぬ心配が脳裏に浮かんだ。
旦那さんがどういう人なのか、とっても知りたいところだ。
ある日A先生が授業中、何を思ったか、額田王(ヌカダノオオキミ)は、
私の理想の女性だ!と絶賛したことがある。
「もしもこんな素晴らしい女性が、いま僕の目の前に出てきたら、
迷わず即プロポーズするよ」と、顔面を紅潮させて言い放った。
彼は色白なので、赤くなるのがすぐ分かる。
平安美人というのか、絵の中の「額田王」は、ふんわりとたっぷりと
ふくよかで、切れ長の一重まぶた。こういう描き方が流行っていたのか、
聖徳太子の絵とそれほど変わらない気もしたが。・・あは。
美人というのも、時代のニーズによって求められる形が変化するもの
らしい。
A先生いわく。B先生は知性と教養溢れる素晴らしい人だ、君たちが
滅多に入れない某有名国立女子大卒なンだよ、と。
それに対して、生徒たちの反応は鈍かった。どうして皆は関心がない
のだろうか。不思議だった。
私はしっかりと、大学の名前を頭にインプットしたのに。○○女子大
=B先生と。
時間の経過と共に、もはやB先生の裾の綻びは、私の中では風物詩とし
て定着しつつあった。
たとえば「源氏物語」の中に深く入っていけば、瑣末な糸のことなど、
特にこだわる必要もないことなのかもしれない。そう思い至った。
せめてあの糸を切りたい、などと目先にこだわる私が、間違っている
のかもしれない。
平安美人は、おおらかでゆるゆると逞しい。A先生にとってB先生が、
「額田王」そのものに見えている可能性が出てきた。
想像の中で、B先生を色白にして筋肉質を脂肪質に変えてみると・・
なんと、彼女は紛れもなく・・「額田王」にそっくりだったのである。
セイヨウジュウニヒトエ
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その先生、「デブ専」だったのかな??うふ。。。}
相手が女性だからでしょうか。
ほかの受講生は、気がつかなかったのでしょうか。
私だったら、B先生のほつれに気づいたかどうか、自信がありませんね。
男性のスーツの袖ボタンのほつれは如何でしょうか。
私はこのようなことが、とても気になるタチです。
すこし偏執ですかね。
B先生を色白にして、筋肉質を脂肪質に変えれば額田の君になるとは、まことに面白い発想です。
そんなことをしてみると、日本国中の女性が、小野小町や額田の君になってしまい、パラダイスですね。
あはは。今はそんな言葉がありますね。
審美眼っての、はひとそれぞれなんだなぁ、と新鮮に思いました。
ちなみにA先生は、正直な人のような気がしましたね
ほつれ、糸くず、埃、小さな汚れ、気になる質です。
全体よりも、部分に目が行ってしまいます。そしてこの人は。。。と、背景のニセ物語が勝手にできあがってしまう(笑)
それが、まったく現実に即していないのが、泣きどころ
>そんなことをしてみると、日本国中の女性が、小野小町や額田の君になってしまい、パラダイスですね。
あはは。ひよどりさんのご意見はいつも楽しいですね~。でも、本当に「額田王」に見えましたよ