新潮文庫の『百年の孤独』では、筒井康隆が解説を書いています。その最後にこの『族長の秋』について触れられています。その箇所を引用します。
この「族長の秋」をラテン・アメリカ文学全集の第一回配本として出した集英社がこれを地方の特異な文学として宣伝していたのには腹が立った。本書「百年の孤独」を読まれたかたは引き続きこの「族長の秋」もお読みいただきたいものである。いや、読むべきである。読まねばならぬ。読みなさい。読め。
このように、筒井康隆が読めと言っているので、少なからず興味が湧きました。
また、神奈川新聞の2024年12月15日の記事、続・文学流星群でもガルシア=マルケスについて特集されています。
この中で、黒澤明作品がすべて好きだということを述べていて、マルケス本人が語るところによれば、
「黒澤が映画化するなら『族長の秋』がいい。日本の小説に似ているからだ。」
と述べています。ふーむ、日本の小説に似てるんだ、それは興味深い。
というわけで、図書館で借りて読み始めたのですが、、、すこぶる難読な本でした^^;
時間があちこちのジャンプする、人称が変わるので混乱する、なんだこの文体は?
そしてなによりも、下の体裁をみてみてください。
段落がナッシング!
いやぁ、段落がない文章がこれほど読み難いということを身をもって知りましたよ。
素朴な疑問なんだけど、マルケスって推敲するのだろうか?わしならば段落レスの文章なんて推敲したくない^^;
そんなわけで、通常の本を読むのの倍以上時間が掛かりました。平野啓一郎の「三島由紀夫論」に次いで時間が掛かった一冊です。
どういう本かとひとくちにいうと、ラテン・アメリカの架空の独裁者を主人公とし、その生涯と、独裁者に関わる人達を描いたものです。それらがガルシア=マルケス独自の表現で、様々なアイロニー、ユーモアを交えマジック・リアリズムの手法を駆使しつつ描かれています。
ちなみに、ガルシア=マルケスが言うように、日本の小説に似ているところが全くわかりません。少なくともわたしはこのような日本の小説を読んだことがない。
最初のうちは読み進めるのにかなり苦労しました。2ページも読むと集中力が切れてしまう。寝る前にベッドで読むと睡眠導入に最適な本です。しかも不思議なことに、この本を読みながら眠ると奇妙な夢をみる。夢の中で、自分が小説の続きを読んでいるという夢です。もちろん実際の筋とはまったく異なるのですが、夢の中で、読んでいた本の続きを読むなんてのは初めての体験です。
そんな奇妙な本でしたが、後半になるにつれて脳が慣れるというか、文体にもなれスムースに物語の世界に没入できるようになってきました。おそらく右脳が活性化されたのでしょう(^^)
たぶん、この本は実際に読んでみないと、その特徴というか個性がわからないと思います。私からも、ガルシア=マルケスに興味をもった方には、この『族長の秋』を読んでもらいたいものである。いや、読むべきである。読まねばならぬ。読みなさい。読め。と言いたい。
付属の解説にある、『族長の秋』作品舞台がこちらのマップ。
あちこちの国にいた独裁者のエッセンスをひっくるめたのが『族長の秋』と言えるようです。
差し込みに、ラテンアメリカ文学月報<1>が付属していました。安部公房が書いている文章は、『死に急ぐ鯨たち』に掲載されている文章から一部を切り出したものです。
巻末の鼓直氏の解説は読書の助けになりました。
この解説の中でガルシア=マルケス対談の中での言葉を紹介していましたが、それがこの作者の作風を表しているように思います。以下に引用します。
「想像力は現実を再構築するための有効な手段だ。しかし、創造の源泉は結局のところ、つねに現実だ。ウォルト・ディズニーばりのファンタジー、現実に根を持たない単なる空想、絵そらごとは嫌悪すべきだ。」
書誌事項。
集英社のラテン・アメリカの文学シリーズは、上図のような各国の作家の著作を収録しています。
私の読んだことのない作家ばかりです。
2024年はガルシア=マルケスを4冊読みましたが、少し時間を置いてからもう1,2冊を読んでみたいと思っています。
p.s. ウェイト戻せた。1700引いて残りなし。
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