このところ再読が続いている安部公房、初期の戯曲を読み直しました。
「どれい狩り」が1955年、「幽霊はここにいる」が1959年で、小説で言うならば「壁」で芥川賞を受賞したが1951年、代表作と言われる「砂の女」が1962年なので、その間に書かれた戯曲です。「飢餓同盟」「けものたちは故郷を目指す」と同じ時期になります。
表題2篇の他、「制服」も収録。
三島由紀夫もそうですが、昭和30年代に活躍した作家は戯曲を多く残しています。文字による表現手段のみならず、視覚、聴覚などの五感に訴える表現方法として演劇がもっとも適切な方法だったのでしょう。このあいだ観た「砂の女」のように活動(映画)という手段は昭和30年代以降になって増えてきましたが、テレビドラマなどは普及していない時代です。
私は残念ながら演劇全盛期の後の世代で、生の演劇は一度も観たことがないのですが、それでもなお戯曲を読んで面白いと感じます。セリフを通しての情景描写がありありと浮かんできます。そういえば、わしが小学校のときは学芸会というのがあって、みんなで演劇を練習、披露してたのを思いだした。そこらへんの教育が、戯曲を好むハートを育んだのでしょうか。いまの小学生って演劇やってるのかな?
昨今をみると、映像表現といえば映画やテレビドラマであるせいか、戯曲を書く作家は皆無です。むしろ、多くの作家は舞台化は意識せず、映像化を意識し、作品もそれに寄せているようです。例えば、平野啓一郎では「決壊」以降の作品はいずれも映像化しやすそう、映像化したら面白いだろうなと思えるものばかりで、実際に多くの作品が映画化、ドラマ化されています。
「制服」は、終戦後の北朝鮮の港町が舞台。帰還者と現地の人間とのドラマです。
「どれい狩り」はウエーという架空の動物をダシにして詐欺を働く人間たちを面白おかしく表現しています。
「幽霊はここにいる」は、幽霊の戸籍を作って一儲けというこれまた詐欺を働く人間たちの話。主役は姿を見せぬ幽霊ですが、マジックリアリズム作品っぽいといえるでしょうか。
こちらのページによると、いずれの作品も1955年前後に上演(わしが生まれる前)されたようで、できるならばその時代にタイムワープして観てみたいものです。
p.s. 2024年を漢字一文字で表すとすれば、「裏」だよね。
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