性愛の自由の影に。。。
額田女王(ぬかだのおおきみ)の
天智天皇批判?

茜(あかね)さす
紫野行き
標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや
君が袖振る
原文:茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
意味: 茜色の光に満ちている紫野(天智天皇の領地)で、あぁ、あなたはそんなに袖を振ってらして、領地の番人が見るかもしれませんわ。後で、その番人が天智天皇に告げ口するかもしれませんわよ。
「君」は後に天武天皇になる大海人皇子(おおあまのみこ)、標野(しめの)は上代、貴族の所有で、一般人の立ち入りを禁じた領地。
この歌は大海人と額田女王との恋の歌とされている。
大化の改新から壬申の乱にかけて活躍し、万葉随一の女流歌人と言われた額田女王(額田王とも書く)は神に仕え、神祇を司る巫女であった。
彼女はまた絶世の美女とも言われていた。天智天皇・天武天皇に深く愛された。
彼女の生きた時代には、朝鮮半島への出兵があり、白村江(はくすきのえ)の戦いがあった。
飛鳥から近江への遷都、壬申の乱といった事件も起きた。
激動の歴史の中で、額田女王は、ひたすら自らの想いに忠実に生きた。

この歌には額田女王の性格が、生き生きと現れている。
美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性。
彼女は、巫女としての自分と、二人の天皇の愛の間で揺れ動く女としての自分、そして天武天皇との間にもうけた十市皇女(といちのひめみこ)の母としての自分という、複雑な立場からの葛藤の中で悩みながらも、自分を高く維持し、歴史の荒波に耐えて、鮮やかに生きぬいた。
戦後、女性が性的に“解放”されたのは、『完全なる結婚』だとか『夫婦生活』が出回った事がかなり影響したようです。
女性が“性の平等”に目覚めたのもこのような本や雑誌の影響を見過ごす事は出来ないでしょう。
しかし、現在、本当に性の平等になっているのか?
初めて『完全なる夫婦』が日本語に訳された1930年から数えて今年で76年目です。
戦後訳されて出版された1946年から数えても、60年の歳月がたっています。
しかし、残念ながら本当に性が平等になっているとは言いがたいですよね。
次の統計を見れば明らかです。
性生活満足度ランキング最下位は日本

AP通信によると、米シカゴ大学の研究グループが29カ国・地域を対象に実施した性行動・態度に関する調査の結果が、学術誌アーカイブス・オブ・セクシャル・ビヘイビアー4月号に発表された。
それによると、性生活に満足している人の割合が最も高かったのはオーストリアだった。
71.4%が「満足している」と答えた。
一方、最も低かったのが日本で25.7%だった。
上位5カ国は、オーストリア71.4%、スペイン69.0%、カナダ66.1%、ベルギー64.6%、米国64.2%。
下位5カ国は、タイ35.9%、中国34.8%、インドネシア33.9%、台湾28.6%、日本25.7%
ただし、この研究の対象者は40歳から80歳まで。
結論:
性的問題で肉体的要素が占める割合は、年を重ねるにつれて男性の方に大きく影響する。
しかし、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感とパーフォーマンスに大きな影響を与えているようだ。
SOURCE: AP通信 (2006年4月19日)
“Sexual Problems Among Women and Men Aged 40-80”
日本に本当に“性の平等”が根付いているならば、このような統計は表れないはずですよね。
なぜなら、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感に大きな影響を与えているようだと報告されている。
確かに、そうだろうと僕も思います。
つまりね、日本は戦後、焼け野原から経済復興を遂げて、経済大国になった。
ハイテク工業立国にもなった。
世界で有数の長寿国にもなった。
このことを自慢に思っている日本人は意外に多いですよ。
でもね、こうして性生活満足度の調査をすれば、日本人の夫婦生活が外国と比べてすっかり荒(すさ)んでいることが、はっきりと表れてしまう。
つまり、現在の日本では、不満を抱えている夫婦が4組に3組あると言う事ですよ!
現在の日本人は性と愛の点で
額田女王が生きていた頃よりも
不幸なのではないか。。。?

江戸時代から明治時代を経て、戦争中も女性の“性”は抑圧されていた。
結婚生活の中で女性が性的満足感を詠(うた)いあげるなんて、とても考えられなかった。
女は天皇の国家に奉仕する“家”の制度の中で“重い荷を背負わされ”、男に抱かれても、冷凍されたマグロのように寝床の中で、じっとして横たわって居なければならなかった。
実際、そのような教えを受けて、良家の女はマグロでなければならなかった。
このような『女大学』的な“教え”の中では“性の平等”など望んでも実現できる事ではなかった。
でも、もちろん当時の女性に不満がなかったというわけではないでしょう。
でも、その不満を口に出す事が出来なかった。
本音では不満でも、建前ではあくまでも『女大学』の“教え”を守らなければならなかった。
分かりますよね。
“建前”と“本音”!
日本に、こういう考え方が根付いてしまった背景には、“性の不平等”が長い間、日本文化の中に温存されていたからだと僕は信じているほどですよ。
僕の妻は京都出身ですが、旧家の生まれですから、お公家さんの流れをくむ、しつけの厳しい家庭に育ちました。
だから、本音と建前を使い分けるのがとても上手ですよ。
もちろん、京都出身の人がすべて本音と建前を使い分けるのが上手だと言うつもりはありませんよ。へへへへ。。。。
概して、日本では女性の方が昔から(性的以外にも)抑圧されていたので、本音と建前を使い分ける人が多いですよね。
もちろん例外は居ます。
大正昭和では阿部定さんなどは本音で生きた人でしょうね。
本音で生きた結果、あのような事件を起こしてしまった。
最近では、レンゲさんでしょうね。
ファンディーをはいてパンツの中でつながりながら、高速道路を80キロのスピードで突っ走る。そうしながら清水君とエッチに夢中になってしまう。
まだ交通事故を起こしていませんが、このまま続けていれば、遅かれ早かれ事故を起こしてしまいますよ。
平均的な女性ならば、本音では考えていても、建前ではOKしないものですよ。
でも、レンゲさんは本音の人だから、ついついやってしまう。
阿部定さんのような事件になったら取り返しが付かないのですが、レンゲさんにはまだよく分かっていないようです。
だから、本音だけで生きるのも、このように問題がある場合もありますよね。
これは余談ですが。。。、
でもね、古代の日本では、男と女が互いに平等な性の喜びを分かち合うと言う理想を、詩や散文の中で謳(うた)いあげていたんですよね。
どうしてそのような事が言えるのか?
額田女王(ぬかだのおおきみ)が、このページのトップで引用したような歌を詠(うた)っていたわけです。
つまり、額田女王が生きた奈良時代というのは、男と女が互いに平等な性愛の喜びを分かち合うと言う理想を和歌の中で詠(うた)い上げるという自由な気風があったということですよ。
奈良時代、平安時代の女は、江戸時代や明治時代の女よりも自由恋愛をしていた、と言うことができると思います。
さらに現在、日本で不幸な結婚生活を送っている75%の妻たちよりも奈良時代、平安時代の女は性愛の喜びを感じていたのです。
どうしてそのような事が言えるのか?
それは次の結婚生活に不満を抱いている妻たちの嘆きを読むと実に良く分かりますよ。
あなたもそう思いませんか?

夫のパンツは雑巾と便座カバーと一緒に洗濯します。
夫のパンツを洗うために大学を出たんじゃないわ!
夫のパンツを見るとムカつく!
夫のパンツの中にムカデを入れておいたわ。
汚い夫とは、もう2年やってません。
ウンチの付着した夫のパンツを洗わされるのはもう嫌です。
私の横でパンツいっちょになった夫のパンツを見たら吐き気を催(もよお)しました。
夫のパンツは汚いから、捨てる割り箸でつまんで洗濯機に入れています。
夫のパンツと一緒に自分のパンツは洗いません。
最近、夫のパンツを見るのもイヤです。
これは、つい最近、結婚生活に不満な妻たちの“グチ”を、僕がネットで調べてここに書き出したものですよ。
こういう愚痴を、もう少し文学的に表現すれば、良い作品が出来ると思うのですけれどね。。。
少なくても歌の中で額田女王は自由恋愛の思いを謳(うた)いあげていますよ。
汚い男のフンドシのことなど詠(うた)っていませんよね。でしょう? へへへ。。。
そう思いませんか?
文化的な次元の違いに気づきませんか?
僕は、不満を抱いている妻たちが“生(なま)の嘆き”を書いていることは、それなりに意味があることだと思いますよ。
でもね、まったく“文化の香り”が欠如していますよね。
性と愛の満足度ばかりでなく、文化のレベルまでが奈良時代、平安時代の女よりも落ちてしまっているのではないのか?
奈良時代、平安時代にはテレビも洗濯機もありませんでした。
ところで、僕は今でもテレビを持っていませんよ!
下らない民放のアホな番組など見ている暇があったら、まだ読み応えのある記事をブログで書いていた方がマシですよね!
そう思いませんか?
とにかく、かぐや姫の物語が現実になって、人間が月に行ける時代になりました。
技術的には奈良時代、平安時代の人間など想像もつかないようなハイテク時代に我々は生きています!
でもね、文化的には、そして、性愛のレベルでも、奈良時代、平安時代と比べて進化しているとは思えませんよね。
つまり、心の進化ですよ。
人間は技術的・科学的・医学的には進化を遂げてきたけれども、心はむしろ退化していますよ。
その証拠が戦争ですよ!
一人の人間を殺しただけでも裁判にかけられて死刑にされることがある!
人殺しは悪い事に決まっているんですよ!どういう場合でも。。。!
つまり、死刑も法律に基づいた“人殺し”ですよ!人道に反する事ですよ!
ところで、戦争で多くの人間を殺すと勇敢だと言って勲章がもらえる!
このようにして軍神になった人が日清戦争や日露戦争、太平洋戦争には居たものですよ。
僕は馬鹿馬鹿しい事だと思いますね。
こういう馬鹿馬鹿しい考えを当たり前だと思うから、原爆や水爆が作られてしまう!
ところが、ミノア文明の1200年の間には戦争がなかった!
考古学的に戦争の跡が見出されない!
詳しい事は次の記事を読んでくださいね。
『戦争はなくす事ができるものです』
ミノア文明に比べると、“すばらしい”と言われている古代ギリシャ文明や古代ローマ文明も野蛮な文明ですよね。
なぜなら、戦争が絶えなかった。
だから、ミノア人は古代ギリシャ人を野蛮人だと呼んでいた。
現代の我々の住んでいる“アメリカ文明”は、元をたどってゆくと古代ギリシャ文明に行き着きます。
この古代ギリシャ文明は心が退化して出来た文明です。
だから、それまでの1200年の間に戦争がなかったのに、古代ギリシャ人は戦争を好んやった。そうして領土を広げていった。
“アメリカ文明”はこの古代ギリシャ文明の流れから派生しています。
そういうわけで、“戦争インフラ”を温存している!
ブッシュ大統領がこの戦争インフラを大切に温存しています。だから、中国や北朝鮮も見習っている。
この戦争インフラをなくさない限り、戦争は絶対になくなりません。
なぜなら、戦争をやらなければならない仕組みになっている!
それが“アメリカ文明”ですよ。
この戦争インフラについても、近いうちに書こうと思っています。
例によって、話がそれてしまいました。へへへ。。。。
額田女王のことなんですよね。
太平洋戦争中ならば、この女性の歌はとても活字には出来なかったですよ。
二人の天皇を手玉にして“不倫”という自由恋愛をしている邪(よこしま)な女だというレッテルを捺(お)されてしまうのが関の山です。
これを印刷して出版したら、天皇制を侮辱するものだということで特高に捕まって拷問を受けるのがオチですよ。
ところで、額田女王の歌は、雅(みやび)やかに詠(うた)っていますがね、その歌の内容はかなりきわどいものです。
この歌の相手、つまり、後の天武天皇との間に、額田女王は十市皇女(といちのひめみこ)を儲(もう)けているのですからね。
雅(みやび)な歌の裏には、情熱的な“濡れ場”が隠されています。
。。。と言っても、実は、僕はこの歌に極めて政治的なものを感じるのですよ。
これまで、この歌の解説書を読んでも、政治的なものをこの歌から読み取ってクドクドと書いている人は、僕の知る限り一人も居ません。
つまり、この歌は愛の歌、恋の歌なんですよね。そう思われてきました。
でも、僕は、そのように単純には受け取れないのです。
なぜか?