性愛の快楽とメカニズム
あなたはイクことにこだわるのですか?
前代未聞の阿部定事件が発覚すると、それは野火のように瞬く間に日本全国、津々浦々まで広がる勢いを示した。
各新聞は一斉に号外を出して「阿部定逮捕」を報じた。
このとき、国会では2つの委員会が開かれていた。
ところがこの号外を耳にした委員長は緊急動機を発令し会議を中断するほどだった。
委員会の全員が号外を手にして、それこそ世界大戦争が始まったかと思うほどに、血眼(ちまなこ)になって号外を読み耽った。
当然の事ながら阿部定さんが異常性欲の持ち主だと言う事が噂され、この種の噂は後を絶たない。
定さんと関係した男たちは、彼女がオーガズムに達すると体が震え出し、それから1時間近く失神していたと証言した。
中京商業高校の校長の大宮五郎先生は、最初に定さんと関係したとき、欲情した彼女の淫水が多いことに驚いて、病気ではないかと思ったと述べている。
定さんの精神鑑定をした東京帝国大学の村松常雄教授は、彼女を先天的なニンフォマニア(nymphomania:淫乱症)と診断した。
『阿部定事件の波紋と後半生』より
デンマンさんは、あたしも定さんのように淫乱症の女だと思っているのですか?
イヤ、決してそう思っているわけではありませんよ。僕は定さんだって、普通の女性とあまり変わるところがなかったと信じていますよ。
なぜ、そのように思うのですか?
むしろ定さんは、ある意味では性的に晩生(おくて)じゃなかったのか。。。? なぜならね、定さんが初めて抱かれたのは15才の時だったわけですよ。でも、男の腕に抱かれるようになって、本当に体の歓びを感じ、癒されるという思いに浸ったのは28才になってからですよ。この事はおとといの記事に書いたとおりです。つまり、定さんが女性として開花したのは初体験の時から数えて13年目ですよ。男にとっては、なかなか理解しにくい事ですよ。
そうなんですの?
レンゲさんも、その点では定さんと良く似ているんですよ。初体験は16才の時で比較的早かった。
定さんはお母さんを“恨んでいました”とはっきりと言っていますよ。しかし、具体的にどのようなことを恨んでいたのか?その事は言ってません。調書を読む限り、お母さんから可愛がられていたように思える。
一体何を恨んでいたのですか?
“母は派手好きで見え坊でしたから小学校2年生頃から私に三味線を習わせ綺麗にしては連れ歩いたのです” つまり、派手好きで見栄坊のお母さんの“小道具”にされていたのに過ぎなかったのではないか? つまり、可愛いペットに過ぎなかったのではないか? 本当に愛していたのなら、可愛い娘を水商売などに出さないに違いない!そう思ったのかも知れませんよね。
でも、お父さんが(娼妓にしてしまおうと)連れて行ったわけでしょう?
だから、本当に愛しているのなら、お母さんが引き止めたはずだと思ったのでしょう。レンゲさんの場合は、お母さんが教育ママゴンだった。レンゲさんにりっぱな教育をつけさせる事がお母さんの見栄でもあった。でも、レンゲさんにとって、それは教育という名の虐待だった。その虐待から逃れるために、レンゲさんは坂田さんの腕の中に飛び込んでいった。そうやって、レンゲさんはハラハラ。。。ワクワク。。。どきどき。。。坂田さんの腕に抱かれて桜の花びらを散らしたんですよ。
定さんは15歳の時なんですね?
でも、残念ながらレンゲさんのように期待して抱かれたわけではなかった。そこがレンゲさんと定さんで大きく違ってくるところです。
でも、定さんも“幼児的なふれあい”を求めていたとおっしゃるのですか?
つまりね、ここで境界性人格障害を考えればうまく説明する事ができますよ。
どういうことですか?
つまり、お母さんに愛されなかった以上に、学生さんに拒絶された事が定さんにとってはトラウマだったと僕は思っているんですよ。定さんは書いていました。
もう自分は処女ではないと思うと、このような事を隠してお嫁に行くのは嫌だし、これを話してお嫁に行くのはなお嫌だし、もうお嫁に行けないのだとまで思ひ詰め、ヤケクソになってしまいました。
私は父と口もきかず、どうせヒビの入った身体だし、こうなった以上はどうともなれモウ決して親元へは帰らないと決心しました。
つまり、学生さんに拒絶された事がトラウマになって、“幼児的なふれあい”を求めていると。。。?
レンゲさんと同じように拒絶される事への恐怖があの事件を引き起こしたように思いますよ。
『愛のコリーダとレンゲさん』より
いづれにしても、定さんはその後、水商売の世界に足を踏み入れてゆく。レンゲさんも大学に入ったものの、水商売の世界へ足を踏み入れてゆく。この点も、レンゲさんは定さんと良く似ているんですよ。
レンゲさんには、間違いなく野心家の一面もある。だからこそブティック・フェニックスでも3ヶ月余りで、他の店長をゴボウ抜きに抜いてあなたは売り上げでトップの座を獲得した。クラブ・オアシスでもあなたは30人余り居るホステスの中でナンバーワンに躍り出た。これがその当時のレンゲさんの写真ですよね。若くてピチピチしていた。しかも素人っぽくって素朴な美しさがある。それでいて洗練されたところもある。そういうところがお客さんの関心を誘った。それに加えて、話題が豊富でお客を飽きさせない。あなたは頭のいい女の子なんですよ。自分をどう演出してよいかも、ちゃんと心得ている。だから、ナンバーワンになることも時間の問題だった。
。。。
あなたにとって大学生活は慢性的な空虚感と退屈さが伴っていたんですよね。少なくともホステスの生活の方が楽しかったんですよ。楽しいという言葉が適切でないなら、レンゲさんの求めているものは、大学生活よりもホステス生活の方にたくさん見出すことが出来たんですよ。
あたしの求めているもの?。。。それは何ですか?
“幼児的なふれあい”ですよ。
レンゲさんがホステス時代に“お客リスト”を作っていた。レンゲさんはクラブ・オアシスで働いていた30人の女性のうちでナンバーワンになったんですからね。レンゲさんがマジメに一生懸命ホステス業に励んでいたことが僕は理解できましたよ。どんな職業でもそうですが、トップになるためには、それなりの努力が必要ですよ。実際、“ちゃらちゃらして”いたら、ナンバーワンにはなれなかったと思いますよ。
『とこしえの愛って。。。 』より
どうして、デンマンさんはあたしのホステス時代の事を持ち出すのですか?
定さんと同じように、レンゲさんも男に無知ではなかったということを言うためですよ。それに、その当時のレンゲさんは“セックスから愛が生まれることもある”と信じていた。
実際、そういうことがありました。
セックスから愛が生まれる事は、極めてまれにはあるかもしれません。でも、普通は逆ですよ。愛し合っている男と女がやがて結ばれる。そう思いませんか?ただし、レンゲさんが“セックスから愛が生まれる”事を体験したと言う事は僕には理解できますよ。でも、その愛はレンゲさんが求めていた愛ではなかったようですよね。
どうして、そういう事をおっしゃるのですか?
本当の愛を見つけていたなら、レンゲさんはベターハーフを見つけていたでしょう。でも、人生の伴侶をいまだに見つけていないですからね。しかも、レンゲさんは求めている愛を見つけることが出来そうにないと思ったから、ホステスの世界からきれいに足を洗ったんですよ。2度と戻らなかった。これからもレンゲさんは戻らないと思いますよ。違いますか?
多分、もうホステスをやることはないと思います。
でしょう。本当の愛があることをレンゲさんは信じていた。しかし信じたいにもかかわらず、レンゲさんの目の前に現れる愛は、理想とする「愛の形」からはあまりにもかけ離れていた。それでレンゲさんは絶望を感じないわけには行かなかった。レンゲさんがホステスを辞めたのは、この事が真の理由だと僕は思っていますよ。
やはり、セックスから愛は生まれませんか?
だから、そういうことも極めてまれにはあるでしょう。でもね、これだけはハッキリ言えますよ。クラブに行く男たちは、そこで愛を探そうとしているわけではないんですよ。女の子と遊ぶために行くんですよ。だから、そこで仮に求める女の子を男が“釣った”としても、釣った魚にエサをやるようなことはしないものですよ。
クラブに行く男は、遊びだけが目的だと言うのですね。
僕はそう思いますよ。レンゲさんだって、そう思ったからこそ、馬鹿馬鹿しくなって、ホステス業を廃業にしたはずでしょう?
分かりますか?
レンゲさんは頑張り屋の性格ですからね、ホステス業が本当にすばらしいと思うなら、あなたは自分のクラブを立ち上げる事の出来る人ですよ。しかし、レンゲさんは結局、ホステス業を廃業した。大学にも戻らなかった。何をしたか。。。?ホステス時代の関係を引きずってしまったんですよ。
何もかもご破算にすることなんて出来ませんわ。
そういうところがレンゲさんの優柔不断なところです。頑張り屋の面があるくせに、意志の弱い面もある。感情に押し流されやすい。レンゲさんを衝動的に殺そうとした椎名さんはホステス時代からの付き合いですよ。あなたのドクターもこの人だけとは別れなさいと言っていた。
でも、椎名さんは可哀想な人なんですよ。
レンゲさんと同様、不幸な家庭に育った。だから、同病相哀(あいあわ)れむような関係だったんですよね。レンゲさんに同情する気持ちがあった事は分かるけれど、レンゲさん自身にとっては、その感情が結局ネガティブに作用しましたよ。
どういうことですの?
レンゲさん自身が溺れようとしていたんですよ。そのレンゲさんが溺れかけていた椎名さんを助けようとした。それがレンゲさんの感じていた“愛”だった。しかし、溺れかけていた人が溺れようとしている人を助けようとして、結果的に二人とも溺れてゆく。僕にはそのように見えましたよ。
つまり、“不毛の愛”ですか。。。? デンマンさんは、洋ちゃんとあたしが愛し合っているのも、結局、この不毛の愛だとおっしゃるのですか?
僕は断定するつもりはありませんよ。でもね、単純に考えるなら、身も心も一つになれると言うことは“一緒にイケる”と言う事でしょう?ところが、レンゲさんは清水君と毎日愛し合っているのにイケないと言う。でしょう?
そうです。
つまり、エッチに溺れてはいるけれども、“一緒にイケ”ないのであれば、“不毛”という感じがしますよね?
だから、あたしは、もうずいぶん前からデンマンさんに相談しているではありませんか?それなのにデンマンさんはあたしの悩みを本当に聞いてはくれなかったんです。いつでも、逃げ回っていてあたしの悩みを本気になって聞こうとはしませんでした。
その悩みは僕にしてみればすでに解決している問題ですよ。でも、レンゲさんは僕の言ったことに対して聞く耳を持っていないんですよ。
解決しているって。。。どういうことですか?
だから何度も言ったでしょう?心と心の触れ合いが大切だと。。。
でも、そんなことを言われたって、何の事だか良く分かりませんわ。心と心の触れ合いだなんて。。。、雲をつかむようなお話ですわぁ~。
僕とレンゲさんは“心の恋人”として愛し合っているじゃありませんか!
だからどうだとおっしゃるのですか?
だから、レンゲさんはあの夏の夜にイッてしまったじゃないですかぁ!心と心が触れ合っているからこそ、そうなったんですよ。そうでしょう?実際にレンゲさんが体験したんですよ。それが何よりの証拠じゃないですか?
でも、その時からデンマンさんはあたしを愛してくれません。
愛しているでしょう。“心の恋人”として愛し合っていますよ。レンゲさんが言う“愛している” “男と女が理解しあう” と言うことには “関係を結ぶ” と言うことが当然のように含まれているんですよ。その考え方に関しては、レンゲさんのホステス時代から変わっていないんですよ。でもね、レンゲさんはね、一度の関係では終わらないタイプなんですよ。だから、あなたが求めるような愛に、僕はのめり込むことは出来ないんですよ。溺れるものを助けるために溺れてどうします?ミイラ取りがミイラになってしまってはお笑いモノですよ!
それで、デンマンさんは、あたしをバンクーバーから日本へ連れ戻してしまったんですね?