出会い系の悪魔
![]() ![]() ではお答えいたします 2007-04-22 17:10 質問115: 愛の営み(愛する人とのセックス)に夢中になれる人となれない人が居ますか? 夢中になれないセックスと、 愛のないセックスは ほぼ同じだと思います。 なので、セックスとは愛ありき。 それって、あくまで理想ですけどね(苦笑) 質問117: レンゲさんは清水君と坂田さんの二人と関係を持っていますが、同じような関係にめれんげさんが身をおいたとして、二人の男と関係を持つ事に違和感がありますか? もちろん! どっちつかずな関係から、何が得られるのか? レンゲさんは、自らのセックスの質を 落とすような性行動をとっていると思います。 質問118: めれんげさんの場合、清水君に求める愛と坂田さんに求める愛はどういうものですか? うーーーん?? 恋愛で求めるものを、 複数の人に分散はできないですね。 「相手のことが好き」 わたしはそれしか考えていないのです。 質問119: めれんげさんの場合、清水君から愛される愛と坂田さんから愛される愛は、どういうものを期待しますか? むむむむむむ…。 「おたがいに理解しあって、誠実でありましょう」 誰に対しても、そう思います。 質問120: めれんげさんが16才当時、坂田さんのような人は居なかったのですか?つまり、レンゲさんのような愛し方で男性にアプローチした事はないのですか? 要するに、包容力のある男の愛を求めていたとか。。。? まったくなかったです… 同級生に片想い。 告白する勇気もない。 包容力なんてことを意識するほど、 精神的に早熟ではありませんでした。 質問121: それよりも、むしろ、知的好奇心からセックスにはまったのですか? 「はまった」は、言いすぎですよおー。コラッ!! でも、知的好奇心を満たすことが、 初体験の目的でした。 質問122: めれんげさんは性的欲求不満からヒステリーを起こした事がありますか? ないですね。 セックスで満たされることとは、 精神的に満たされることなので、 肉体的欠乏感に苦しむことは、ないのです。 だってね… わたしは自慰行為すらしたことがないんですよね。 しようとも思わないし。 セックスとは、愛する人との大切な コミュニケーションだから、 性欲をひとりで処理するのは、 わたしにとっては、無意味なのです。 質問123: 大人の体になってから、とりわけ“したい”と思わなくなったと書いていたけれど。。。 それは、性欲が衰えたわけじゃないでしょう? 要は、やりがいのある充実した満ち足りたセックスをしたいと言う事だと思うのだけれど。。。、 つうことわあああ。。。10代の頃は好奇心と性の目覚めでセックスのためにセックスをしていた事もあるわけ。。。? はい! 新しい遊びを知った子供のようでしたね… 恋愛自体には、おくてでしたから、 恋愛とセックスを結びつけて考えてませんでした。 …と書くと、ひどい遊び人のようですが、 若気のいたりと、受け止めてください… 質問124: 最近のめれんげさんは寂しくなってセックスしたい、なんて思うことはないですか? さすがに学習しましたよ! 寂しさを埋めるためにセックスしたとしても、残るのは、虚しさやらバカバカしさだけ。 そんなセックスは、愚か者の自慰みたいなもの… というのが、わたしの考えです。 質問125: 愛を基盤にしたセックスこそ、めれんげさんにとって重要なはず。 現在、めれんげさんはセックスの基盤になる“愛”人が居ますか? いるような、いないような…(あいまいやなあ) ただ、愛のないセックスは、しませんね! 質問126: 居るとするならば、その愛人とも、やっぱり一生一緒に居られるとは思わないのですか? 居ないのであれば、そのような相手が居ると想定した時に、めれんげさんは、その人と一生一緒に居る事が出来ると思いますか? わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの力がないと思うのです。 簡単にプロポーズを受けることもできません。 この世に絶対などなく、今の真実が未来において、嘘になりうることもあるならば、無責任な約束もできないのです…しょぼん。 質問127: 一生一緒に居られそうもないというその理由は。。。? めれんげさんが性格的に飽きっぽいからなのか。。。? より良い相手を探すために自由で居たいためか。。。? ただ単に“束縛感”を嫌うためなのか。。。? 過去に相思相愛のカップルが別れたのをたくさん見てきたので、めれんげさん自身、一生相思相愛で居ることが不可能と思えるのか。。。? 上記でのこたえが全てです… 少々、厭世感が強いのかもしれませんが、この世のすべては、あまりにも無常なので… 質問128: セックスから愛が生まれる事もある、とめれんげさんはかつて書いていたけれど、最近はどうですか? セックスを基盤にした愛があると思いますか? あるならば、それを信じる事が出来ますか? むむむ。 これはペンディングにさせてくださいませー。 質問129: 現在のめれんげさんに欠落しているものとは。。。? 欠落しているものがわからない。 そのことが、わたしに欠落しているものだと思います。 質問130: その欠落部分はセックスのない愛で埋め合わせる事が出来ると思いますか? 完璧にno!ですぅ。 質問132: その欠落部分は愛とセックスの両方がないとダメなのか? (めれんげさんは欲張りね!うへへへへ。。。両方欲しいと言うに決まっているよね?) それも違うと思います… 質問133: その欠落部分は輝かしいキャリアウーマンになる事で埋め合わせる事が出来ますか? (恋人無し、愛人無しの独身で通す) 社会生活での成功が、精神的な充足をもたらすとは思えないんですよね。 答えは自分の中にしかないのですから。 質問134: その欠落部分はお金持ちと結婚する事で埋め合わせる事が出来ますか? それも、外的なことですよね。 リッチな生活はしたいですけどね! by めれんげ 『愛と性と脳』より (2007年4月23日) ![]() |

デンマンさん、また今日も、めれんげさんとの問答を取り上げるのですか?

レンゲさんは飽きてしまったのですか?
■ 『肉体と愛の背景 (2008年9月6日)』
デンマンさんは上の記事の中でレンゲさんとの問答を使っていますわ。一度読めば充分ですわよう。
よく覚えていますね?
よく覚えているってぇ~、まだ、つい最近の事ですわぁ。
あのねぇ~、毎日毎日記事を書いていると、記事を書き慣れている僕だって話のネタに困る時があるのですよう。
その時が今日なのですか?
うへへへへ。。。でもねぇ、それ程ネタに困っている訳じゃないのですよう。
それなのに、どうして、めれんげさんとの問答をまた持ち出してきたのですか?
やっぱりねぇ、記事を書く時に一番迷うのは話のきっかけですよう。
つまり、話のきっかけに、めれんげさんとの問答を持ち出してきたのですか?
そうなのですよう。
。。。で、その目的は。。。?
だから、この記事のタイトルをどうやって説明したら最も効果的で分かり易いか?
出会い系の悪魔
これが今日のタイトルですよね。。。で、“出会い系の悪魔”についてデンマンさんはあたしと話すのですか?
そうですよう。でも、急に“出会い系の悪魔”を持ち出しても、何のことだか見当が付かない。それで、まず、めれんげさんの問答を持ち出してきたわけです。
それで。。。?
そうすれば、これまでに取り上げてきたレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」を思い浮かべる人がたくさん居るはずですよう。
でも、初めてこの記事を読む人には分からないと思いますわ。
だから、そう言う時には次の文章を読んでもらいますよう。
レイモン・ラディゲ
(Raymond Radiguet)

1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。
生涯
幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。
14才の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。
15才の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。
途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。
![]() ミシュリーヌ・プレールと ジェラール・フィリップ ■ 『肉体の悪魔』 (映画紹介) |
「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。
1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20才の短い生涯を閉じる。
遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。
フランス文学界での位置づけ
ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、
年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、
虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、
今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。
「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも、上の文章を読んでも“心理小説”だという説明はあっても、“悪魔”の説明はありませんよね?