女子高生とはなし

女子高時代の食べ盛りの小百合さん
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Thu, 1 Nov 2007 12:06

> 高校の時、館女(館林女子高校)にかよって、
> 今もある 山屋のうどん家
> ここのを 食べると 時間もタイムスリップする。
> あの時、あの味 そのまま。
> 館女のすぐ近くの川魚のすりみ、ごぼうあげ
> 今もやっていて たまに食べます。おいしいとかでなく
> 思い出を口に入れるのです。父もよく食べました家族の共通の味。
> デンマンさんもある? 行田に帰ると かならず食べるもの。
ありますよ。ありますよ。
“行田のフライ”をいつも食べますよ。
夕べも食べました。

ところで、佐野市の“イモフライ”のルポルタージュを見終わったら、
なんと!行田中学校の3年5組の時のクラスメート(女性)から電話がかかってきたのですよ。
名前を聞いた時には全くイメージが思い浮かばなかったのですよね。
彼女が去年、僕の家に電話したときに、“毎年10月か11月に帰省する”という事を僕のお袋から聞いたので、帰っているだろうか?と思って電話したと言うのです。
1時間半ぐらい話し込んだのですが、30分ぐらい話した頃に急にイメージが思い浮かんだんですよ。
“悦子さんの親しい友達です。南小学校時代からの友達です”、と言われて初めて絹子さんの顔を思い出したのです。
この悦子さんが極めてユニークな女性で僕の思い出の中では忘れる事ができない女性です。
その友達だと言ったものだから、絹子さんの顔を思い出すことができた。
この二人はいつも一緒に居たものです。二人とも実に仲が良かった。
悦子さんも絹子さんも美人ですよ。
悦子さんは現在でも都庁に勤めています。
僕は初恋の人が他のクラスに居たので二人に必要以上に接近しなかったのですが、当時、初恋の人が居なかったら、どちらかを恋人にしていたかもしれません。
そうですよ。
中学校3年の時に僕の家に二人がやって来て白久(秩父市荒川白久)のスケートリンクに行く計画を立てたことを思い出しました。
絹子さんの話を聞いて30年以上忘れていた思い出がよみがえってきました。
30年以上も封印されていた思い出です。
“思い出を食べる”
“イモフライ”がもたらした奇妙な思い出でした。
では、お目にかかることを楽しみに。。。
デンマンでした。
『懐かしい思い出 (2007年11月5日)』より

今日は幸代さんの女子高時代の写真を持ち出してきたのですわね。

いけませんか?
あたくしの女子高時代の写真は紹介してくださらないのでござ~♪~ますか?
ん。。。?卑弥子さんの女子高時代。。。?
そうでござ~♪~ますわ。あたくしにだって、かわゆい水着を身につけて写っていた写真があるのでござ~♪~ますわよう。
いや、探したけれどありませんでした。
もちろん、ありますわよう。
あのねぇ~。。。卑弥子さんは十二単がトレードマークなのですよう。
だから。。。?
だから、卑弥子さんは平安時代に生まれ育ったと思っている人がほとんどなのですよう。
それは、デンマンさんだけですわ。あたくしが平安時代に生まれ育ったなんてぇ~、常識のある人であれば、誰だってウソだと思っていますわよう。
例え、それが事実でないにしても、『小百合物語』に登場する卑弥子さんは平安時代に生まれ育った大和撫子(やまとなでしこ)として、おしとやかにしゃしゃり出てくるのですよう。。。そうでしょう?
つまり、何が何でも、あたくしの女子高時代の写真は持ち出してくださらないのですわね?
卑弥子さんは不満なのですか?
もちろんですわ。どうして小百合さんばっかり、かわゆいビキニ姿で登場するのでござ~♪~ますか?まるでグラドルですわア~~。。。あたくしも、一度でいいから、グラドルとして登場したいのでござ~♪~ますわ。
分かりましたよう。それ程までに不満をタラタラ言うのであれば、卑弥子さんのグラドル写真を出しますよう。
うれしいわあああぁ~。。。早く出してくださいましなぁ~。。。
これでどうですか?

デンマンさん!。。。なんですの?。。。これは。。。? あたくしが女子高生の時に、妊娠してタバコを吸っていたとおっしゃるのでざ~♪~ますか?
だから言ったでしょう!僕は仏心から、卑弥子さんの女子高時代の写真は探したけれど見つからなかったと言ったのですよう。。。それなのに、どうしても女子高時代の写真を出せ!。。。卑弥子さんは、そのように僕に強要したから、僕だって仕方が無かったのですよう。卑弥子さんが女子高時代の写真って、この写真だけしかなかったのですよう。
デンマンさん!。。。んも~~。。。
あのねぇ~。。。いつまでも、こんな事で言い争っている場合じゃないのですよう。卑弥子さんは『小百合物語』のホステス役なんですよう。どうしたって小百合さんが主人公になるから、小百合さんのグラドル写真を僕はコラージュして作ったのですよう。
あたくしのグラドル写真は作ってくださらないのですわね?
あのねぇ~。。。今日の話題はグラドル写真の事ではないのですよう。卑弥子さんがグラドル写真にこだわるから、また、こうして記事が無駄に長くなってしまうのですよう。
分かりましたわ。。。それで、今日は何のことについてお話になるのですか?
もちろん、小百合さんの女子高時代の事なんですよう。
つまり、小百合さんは女子高時代に“喰い意地”がはっていて、食べ盛りだったと言うお話でござ~♪~ますか?
もちろん、そういう話題にすれば面白いと思うのだけれど、幸代さんが食べ物にこだわっている事を僕は充分に知っているから、幸代さんの食べっぷりを紹介したら、すごい事になると思うのですよう。
幸代さんの恥を晒すようになるから、食べ物の事は書かないのでござ~♪~ますか?
いや、そ~じゃなくて、幸代さんの食べ物のことを書き始めると限(きり)がないので、それは別の機会に譲るのですよう。
。。。んで、今日は一体何について、お話になるのでござ~♪~ますか?
■ 『愛とロマンと昔話 (2008年9月11日)』
■ 『イモフライと昔話 (2008年9月13日)』
これまで昔話について話してきたので、やっぱり昔話にこだわりたいのですよう。
それで今日は、どのような昔話を取り上げるのでござ~♪~ますか?
実は、卑弥子さんの生まれ育ったふるさとに伝わる昔話を見つけたのですよう。
あらっ。。。あたくしのふるさと、京都に伝わる昔話でござ~♪~ますか?
そうですよう。ちょっと読んでみてください。
はなし話

むかし、爺さんと婆さんが、まあ子どもはないし、二人で暮らしとった。正月になって、
「どうだ爺さん、話してくれんか」
「わしは何も話知らんしい」言うて、ほいて爺さんは、椎(しい)の木に登って、婆さんの鼻が上向いとった。ほしたら、落ちてきた椎の実が鼻に入って、
「それがわしのはなし(鼻椎)だ」言うて、しまいになったと。
これがむかしのはなしだと。
【原話語り手】 氏名不詳 京都府与謝郡伊根町菅野滝根
【出典】 「伊根稿」
【解説】 これは形式譚の一種で、もっぱら本土で伝わった。
【編者紹介】 稲田浩二(いなだ こうじ) 1925年生まれ。広島文理科大学文学部卒業。京都女子大学名誉教授。国文学、民俗学を専攻。
昔話の調査・採集に携わり40数年、6万話にのぼる話に通暁(つうぎょう)する。その成果は、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。
373ページ
『日本の昔話 (下)』 編者・稲田浩二
発行・筑摩書房 1999年7月8日 第一刷発行
どうですか、卑弥子さん。。。聞いた事がありますか?
ありませんわ。初めて聞きますわ。。。でも、この昔話のどこが面白いのでござ~♪~ますか?
椎の実が落ちてきて、お婆さんの鼻に入った。つまり、鼻と椎をかけてはなし(鼻椎)として、それがはなし(話)だと言うオチになっているのですよう。
。。。んで、デンマンさんは、どうして、この昔話を取り上げたのでござ~♪~ますか?
この話は【解説】の中で「形式譚」だと書いてあるけれど、つまり、「形式話」なんですよう。
形式話って、どのようなお話なのでござ~♪~ますか?
この『日本の昔話』の編者の説明によると、“その座の昔語りの終わりを告げる話 (14ページ)”なのですよう。
。。。んで、なぜ、そのようなお話をこのページで取り上げる気になったのでござ~♪~ますか?
小百合さんの女子高時代の思い出には食べ物の事がいっぱい登場するのですよう。
。。。んで、デンマンさんの高校生時代は。。。?
思い出そうとしたけれど、僕には高校生の時の食べ物の思い出って、ほとんど無いのですよう。特に思い出らしいものと言えば、高校に食堂があったのだけれど、どう言う訳か、僕はその食堂で“うどん”だけしか食べた事が無いのですよう。
カレーだとか、ラーメンだとか、中華丼だとか、カツ丼だとか。。。そういう物は無かったのでござ~♪~ますか?
記憶に無いのですよう。小百合さんの女子高時代と比べると、僕の食べ物の思い出って極めて乏(とぼ)しいのですよう。
その代わり、女性のお尻の思い出ってありましたよね?デンマンさんは、次の記事の中で書いていましたわ。うふふふふ。。。

■ 『赤ちょうちん、ヌード、山仕事 (2008年6月23日)』
やだなあああぁ~。。。卑弥子さんは、そう言うシモい話は良~く覚えているのですね?
あたくしがシモい話を覚えているのではなくて、デンマンさんの高校生時代の思い出には、シモいお話が圧倒的に多いのでござ~♪~ますわア。
つまり、小百合さんの女子高時代は“喰い気”で、僕の高校生時代は“色気”だったと。。。?
デンマンさんが、そうやって、ご自分でおっしゃっているのですから、あたくしは何も申し上げませんわ。。。んで、上の形式話とデンマンさんの高校生時代が、何か関係あるのでござ~♪~ますか?
あるのですよう。
どのようにでござ~♪~ますか?
僕が高校に入学してからまもなくして、歓迎会があったのですよう。歓迎会と言うよりも親睦会と言った方がいいかもしれません。
。。。んで、どのような親睦会だったのでござ~♪~ますか?
僕が通っていた埼玉県の熊谷高校は、県下では有名な進学校だった。特に埼玉県の県北と群馬県の県南、館林や大田から生徒が通っていましたよう。そう言う訳で、地区ごとに集まって上級生が新入生に対してオリエンテーションをすると言うような集まりだったのですよう。
デンマンさんの場合には行田市出身の生徒が集まったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。今でもはっきりと覚えているけれど、理科の実験室が僕らに割り当てられたのですよう。
それで、どのようなお話があったのでござ~♪~ますか?
おそらく、行田市の担当の先生が居たのだろうけれど、僕が記憶する限り先生は、その親睦会に顔を出さなかったのですよう。生徒だけでした。でも、全く混乱が無かったですね。中学生時代に生徒会長だとか、役員を経験している生徒ばっかりだったから、誰が言い出すともなく、自然と3年生から自己紹介が始まったのですよう。
それで、上級生から、まず自己紹介したのでござ~♪~ますか?
自己紹介と言っても、お互いに顔なじみなのですよ。だから、ただ自己紹介と言うのは面白くない。それで、自己紹介以外に何か面白い話をすることになったのですよう。
その時に、上の昔話をした3年生が居たのですか?
そうなのですよう。昔話に「形式話」というのがある事を僕は『日本の昔話』を今回読むまで知らなかった。
でも、上の形式話って、あたくしは面白くないと思いますわ。
僕だって、特に面白いとは思いませんよう。でも、その時、3年生の一人が話してくれた「形式話」は、実に興味深いものだった。高校三年生でも、このような話ができるのかと、僕はすっかり話に引き込まれて感心してしまったのですよう。
どのような、お話だったのでござ~♪~ますか?
ちょっと読んでみてください。