行田は古代ハスのふるさとです
おほほほほ。。。。
今日は、もう、始めから
現れてしまいましたわぁ~、
あなたにお会いしたかったので
ござ~♪~ますわよゥ。
懐かしい京都もよいですけれど、
デンマンさんが生まれ育った
行田にも行きたいのですわよ。
ええっ?どうしてかって?
それはね、デンマンさんは
もちろんですけれど、
あたくしにとって行田とは
切っても切れない縁が
あるのでござ~♪~ますのよ。
どうしてだか、お分かりになりますか?
行田は古代ハスの
ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。
きれいでしょう?
あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。
ええっ?どういうわけかってぇ。。。?
実は、八ツ橋を売るお店に、
かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。
おほほほほほ。。。
その男の子にあたくしが
恋をしたのでござ~♪~ますわ。
ええっ?その話しはすでに聞いたって。。。?
だから、あたくしがその男の子に
きれいなハスのお花を手渡したのですわよ。
ええっ?なぜかって。。。?
あたくしの愛の告白のつもりでしたのよ!
うふふふふふふ。。。。
そういうわけで今日は古代ハスの
お話をしようと思ったのでござ~♪~ますのよ。
どうか、しばらくの間付き合ってくださいませませ。。。
うししししし。。。。
行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮なんですってよ。
この古代蓮が発見された行田市の小針と言う地区は、
なんとデンマンさんが生まれ育ったところから歩いて30分ぐらいの所にあるんですって。
今から約2000年前、この古代蓮の里一帯は、
たくさんの水生植物が茂る湿地帯だったそうです。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深くもぐり、
ふたたびあたたかい陽射しをあびる日まで長い長い眠りについたのですね。
1971年(昭和46年)、行田市では小針地区に新しい焼却場施設を
建設するために造成工事を始めたのです。
掘削によってできた場所に水がたまって池となり、
地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたのです。
1973年(昭和48年)、池の水面に
多くの丸い葉が浮いているのが発見されたのです。
その後、葉の数もふえつづけ、ついに7月13日、
長い眠りから覚めた古代蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。
ハスの種子は殻が硬く発芽させにくいのですよね。
でも、そういうわけで、条件が良ければかなり長期間保存が効くのです。
だから、2000年前の地層から発見されたハスの種子が、
発芽することもあるのですわ。
ハスの種が、いかに長寿であるかが実に良く分かるエピソードですよね。
行田市ではその後、小針地区に“古代蓮の里”を立ち上げました。
“古代蓮”をシンボルとする公園です。
古代蓮の自生する付近に憩いの場として、
子どもからお年寄りまで楽しめる公園になっていますよ。
ホームページは次のリンクをクリックしてみてくださいね。
■
『古代蓮の里 ホームページ』
では、ここで万葉集の中の蓮を詠んだ歌を紹介します。
ちょっと面白い歌ですよ。
原文: 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
作者: 女性だけれど名前は不明です。
よみ: 勝間田(かつまた)の、池は我れ知る、蓮(はちす)なし、
しか言ふ君が、鬚(ひげ)なきごとし
意味: 勝間田の池は、私も知っていますよ。
でも、蓮(はす)はありませんわ。
そのようにおっしゃるあなた様に
ひげがないのと同じように。うふふふふ。。。
新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田の池に咲く蓮の花を見て感動したのですね。
その事をこの歌の作者である女性に語ったわけです。
それを聞いて、その女性が戯(たわむ)れに詠んだ歌なのですわ。
外出先で美しいハス(=美人)でも目にしてきたのでしょう、
。。。と皇子の話を聞いた女性がからかったわけなのですよね。
蓮の字は「恋」に通じることから、
この歌には他にもいろいろ恋情にかかわる諸説があるようですわ。
蓮は、スイレン科、熱帯産、多年草の水生植物で、
花托(花の中心部:実がなる)が蜂の巣の形に似ていることから、
「はちす」と呼ばれていたのです。
仏教との関わりもあり、その巨大な花は極楽浄土に咲くとされ、
そのイメージは仏像の台座に使われています。
ところで、
現在各地で栽培されているハスは、
仏教の本家インドの原産なんですよ。
縄文末期に日本に渡来していたことがわかっています。
『行田は古代ハスのふるさとです (2006年9月26日)』より
ほおォ~。。。卑弥子さんが2年前に、こうして行田の古代ハスを紹介していたのですねぇ~
そうでござ~♪~ますわ。格調高く万葉集まで持ち出したのでござ~♪~ますわ。
それにしても、ハスはインドから伝わってきたのですね。
仏教と蓮の花は切っても切れない関係がござ~♪~ますわ。
確かにそうですよう。言われてみれば、お釈迦様はいつでも蓮の台座の上に座っているのですよね。
この絵では生まれて間もないお釈迦様が蓮の花の中に立っているけれど。。。で、この蓮が縄文末期までに日本にもたらされていたのですね?
そうでござ~♪~ますわ。たぶん海を伝わってインドからはるばる時間をかけて、南方の海の方からもたらされたのでござ~♪~ましょうね。。。んで、今日はイモフライから古代ハスのお話になるのですか?
違いますよう。卑弥子さんが古代ハスを持ち出してきたのですよう。僕は古代ハスのことについて話す予定はなかったのですよう。
ご迷惑だったのでござ~♪~ますか?
イヤ。。。、これから話す昔話は古代ハスがインドから伝わってきた事と決して無関係ではないのですよう。
どのようなお話でござ~♪~ますか?
上の小百合さんからのメールの中で群馬県の館林市にある小百合さんの母校の女子高をことさらに強調したのは、小百合さんの実家が群馬県の館林にあると言うことを言いたかったのですよう。
。。。んで、これからデンマンさんがお話になる昔話は群馬県に伝わっているものなのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。読んでみてください。
鳥飲み爺
むかしむかしあったげな。爺(じじ)いと婆(ばば)あがあったげな。
爺いは山へ畑打ちにいき、婆あは座敷を掃いてたとさ。そしたら、豆こが一つあったとさ。臼で挽(ひ)いて団子を作り、お昼に爺いのところへ持っていったとさ。爺いは、どこで食おうか、あちこち持ちまわって、しまいに、ここで食おうと、畑のまん中で、鍬をおっ立てて食ったとさ。そしたらそこへ、雀が一羽飛んできて、鍬の先にとまったとさ。あんまりかわいげなもんで、爺いは団子を舌の上へのっけてやったとさ。そしたら雀はそれを食ったとさ。そこでまた団子を舌の上へのっけてやったら、またやってきたとさ。そしたら爺いはうっかりその雀を飲みこんでしまったとさ。
「こりゃまた、へまをした。雀を飲んじまった。よわったことをした」とお腹を撫でたとさ。
そしたら、へその脇に羽がのぞいたとさ。
「こんなところに羽が出た」と、その羽を引っ張ったとさ。そしたら、
「アワチュウチュウ、コメチュウチュウ、コガネサラサラ、キミノオイワイ、チチン、ポロポローン」言うたとさ。こりゃおもしろいって、また羽を引っ張ったとさ。そしたらまた、
「アワチュウチュウ、コメチュウチュウ、コガネサラサラ、キミノオイワイ、チチン、ポロポローン」言うたとさ。
「ああ、こりゃおもしろい。ひとつお殿様のお通りにまかり出て、へっぷり爺いになるべか」言うて、うちへ帰ってきて婆あにやってみせたら、婆あも、
「ああ、これはおもしろい。高い木に登って、お殿様のお通りを待って、へっぷり爺いになればよい」って言うたとさ。そこで爺いが高い木に登って待ってたら、お殿様が行列つくって、
「下にいろ、下にいろ」ってやってきたとさ。そしたら、高い木の上に爺いがおるもんだから、
「そこにおるのは何爺いだっ」って言ったら、爺いは、
「日本一のへっぷり爺いだ」って言ったとさ。
「そんなら屁をひってみろ」って言うんで、爺いはさっそく羽を引っ張ったら、
「アワチュウチュウ、コメチュウチュウ、コガネサラサラ、キミノオイワイ、チチン、ポロポローン」って言ったとさ。
「おもしろい、おもしろい、上出来(じょうでき)、上出来」ってほめられて、ほうびいっぺえくれたとさ。
爺いは大喜びで、ほうびを神棚へあげまして、婆あと二人で拝んでたとさ。
すると隣の欲深爺いが、
「まあまあ、何をそんなに喜んでるだ」って言うから、
「いや、今日殿様の行列に出向いて、へっぷり爺いをして、ほうびをもらった」
「そりゃまあ、ええことをした。何をしたら、そんなええ屁が出る」
「そりゃ、雪隠(せっちん)のまわりのあかざはこべをうんと食えば、ええ屁が出る」
「そんならすぐそうすべ」って、隣の爺いはうちへ帰って、あかざはこべをうんとこさ食って、高い木に登ったとさ。そしたらまたお殿様の行列が、
「下にいろ、下にいろ」ってやってきたとさ。そしたらまた、高い木の上に爺いがいるので、
「そこにいる爺いは、何爺いだ」って言ったら、
「日本一のへっぷり爺いだ」って言った。
「それなら、その屁をひってみろ」
「それでは」と、隣の爺いはいきまいていきばったとさ。そしたら、青いうんこがいっぱい出てさ、何の屁も出ないんだとさ。
「その爺いをずり落とせ」ってんで、爺いは木からずり落とされ、縛られちまったとさ。
それっきり。
【原話語り手】 雲越けさ
群馬県利根郡水上町藤原
【出典】 「民話の手帖 2」 99ページ
【解説】 このタイプの昔話は、「竹切り爺」と兄弟の話で、もっぱら本土全域で伝わり、様式化がめだつ。お伽草子(とぎぞうし)の『福富長者物語』などに、生来の屁ひり名人や神の援助で名人になった話をのせるが、いずれも失敗する隣人に重点をおいている。「竹切り爺」はおそらく近世初めに盛行し、これがさらに文芸化されたものが「鳥飲み爺」であろう。中国の壮族、ミャンマーのパラウン族にも類話が、
朝鮮族にも甘い糞・臭い糞の話が伝わり、放屁の芸の文芸化が必ずしも日本に限らぬ事を示している。
98-101ページ
『日本の昔話 (上)』 編者・稲田浩二
発行・筑摩書房 2000年10月15日 第二刷発行
デンマンさんは、このようなシモいお話が好きなのでござ~♪~ますか?
だって、おもしろいでしょう。。。うしししし。。。
あたくし、あまり面白いとは思いませんわ。
ん。。。?おもしろくない。。。? 分かりました。じゃあ、今度の話は卑弥子さんも絶対に笑ってしまいますよう。読んでみてください。
屁ひり嫁
むかし、ある家で嫁さんもらったけど、しばらくすると青い顔になちゃったんで、姑さんが、
「どうしたんだ」って聞いたらね、
「屁がでてえんだ」って言う。
「そいじゃ、屁ひればいい」って言ったの。そうしたら、
「おれが屁ひりゃ、たいへんだから」って。
「いいから屁ひれ」って言ったら、尻(けつ)まくって、ブーッてひったんだって。そうしたら、旦那さんもお婆さんも、前の大根畑へ吹っ飛んじゃったんだって。そんで、
「これほど屁ひるんじゃあ、はあ、うちに置くわけにはいかねえから、出ていってもらいてぇ」って。ほしたら、出ていくって。
そで、旦那さんが荷物背負って、お嫁さんを送っていたんだって。そしたら途中で、村のもんが柿とりにやって来て、いくらはたいても落ちんで困ってるんだって。そしたら嫁さんが、
「ようし、おれが屁で落としてやる」って言うと、
「そんな、屁でなんて落としたら、この馬くれてやる」って。ほいで尻(けつ)まくって、ブーッとひったら、柿がみんな、一つ残らず落ちちゃったんだって。しょうがない、村のもんは約束の馬をくれたんだって。そで、その馬引いていったら、今度は米三俵積んだ荷車が、坂を上がれなくて困ってるんだって。また嫁さんが、
「わけはねえ、おれが向こうの家まで屁で送ってくれる」って言うと、
「そんなことはとってもできねえ。もしできたら、この米みんなくれてやる」って言うから、それでまたうんとでかい屁をしたら、米三俵にその人まで、家のそばまで吹き飛んだんだって。それで米三俵もらって馬に乗したら、旦那さんがすっかりたまげちゃって、
「こんないい嫁御を返されねえ」って、馬に米三俵つけて、家まで引き返してきたって。そしたら姑さんも大喜びして、それからその家は、嫁さんのおかげで大尽(だいじん)になったって。
【原話語り手】 宮崎きし
群馬県吾妻郡中之条町上沢渡
【出典】 「中之条稿」
【解説】 全土に普及した誇張譚で、
朝鮮族、漢族にも酷似した伝承がある。古代の仏教説話集『日本霊異記(りょういき)』中巻27 「力ある女の強力を示しし縁」では、大力の嫁が非礼をはたらいた国司を懲らしめ、後難を恐れた夫に離縁されるが、その後船頭にからかわれ、船を陸へ引き上げて罰したとある。古代でも奇異な目で見られた女の大力が、後世女の屁ひりに移ったのであろう。
【編者紹介】 稲田浩二(いなだ こうじ) 1925年生まれ。広島文理科大学文学部卒業。京都女子大学名誉教授。国文学、民俗学を専攻。
昔話の調査・採集に携わり40数年、6万話にのぼる話に通暁(つうぎょう)する。その成果は、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。
329-331ページ
『日本の昔話 (下)』 編者・稲田浩二
発行・筑摩書房 1999年7月8日 第一刷発行
どうですか、卑弥子さん。。。これならば、卑弥子さんだって腹を抱えて笑えるでしょう?
デンマンさんは、このようなシモいお話が大好きなのですわねぇ?
大好きなのですわねってぇ~。。。卑弥子さんだってぇ~、ウェブカムの向こうで大笑いしていたではないですか!
あたくしは、大笑いしていませんわ。。。ちょっと頬を緩(ゆる)めただけでござ~♪~ますう。うふふふふ。。。
でも、ひっくり返って笑っていましたよねぇ~
デンマンさん!。。。いい加減にしてくださいなア。あたくしの事よりも、デンマンさんがシモい昔話にこだわっている事を問題にしているのでござ~♪~ますう。
僕がこだわっているのではないのですよう。『日本の昔話』を上下2冊読めば分かるけれど、群馬県に伝わっている昔話として紹介されているのは上の2つの話なのですよう。
他には無いのでござ~♪~ますか?