愛と煩悩の中で(PART 1 OF 4)
愛染明王
(あいぜんみょうおう)
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愛染明王は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。
梵名ラーガ・ラージャ(Ragaraja)は、サンスクリット経典にその名は見られず、また、インドでの作例もない忿怒尊である。
衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。
愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。
もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。
また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。
愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。
日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれている。
なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『おんぶされて観た映画』に掲載
(2009年4月29日)
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デンマンさん。。。なんだかお線香の匂いがしてきますやん。。。どうして急に仏像などを持ち出してきやはったん?
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あのなァ~、わては昨日の記事を書きながら、いろいろと考えさせられたのやがなァ。
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■ 『愛憎と苔の祗王寺』
(2010年12月15日)
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いったい何がそれ程あんさんのオツムを悩ませはったん?
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次の卑弥子さんの話やがなァ。
白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。
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このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。
白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。
あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。
ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。
それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。
皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。
しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。
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萌え出づるも
枯るるも同じ
野辺の花
いづれか秋に
あわではづべき
館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。
さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。
しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。
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仏もむかしは凡夫なり
われらも遂には仏なり
いずれも仏性具せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。
祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。
当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。
ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?
実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。
それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。
小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。
それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。
あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。
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『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より
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デンマンさん。。。あんさんは、平清盛と似ているところがおますわァ。
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わてが平清盛と似ているのかいな? うへへへへへ。。。
下卑(げび)た笑いを浮かべながら喜ばんといてぇ~なァ! 悪い所だけが似ているのですやん。
ん。。。? 悪い所だけぇ~。。。?
そうですう。。。ちょっとでも魅力的な女性を見ると、あんさんは心を動かしますのやァ。
やだなあああァ~。。。わてを“女たらし”のように言わんで欲しいねん。 わては平清盛のように女性をお手玉をするように、とっかえひっかえ、クルクルと宙にほおり上げて遊んだりしやへんでぇ~。。。
そやかてぇ、わたしは宙にほおり上げられて、気づいてみたら、あんさんの手のひらがのうなっててぇ、地面に落ちてしまったような気分ですねん。
やだなあああァ~。。。それを世間では“被害妄想”と言うのやでぇ~。。。
それで、卑弥子さんの話を持ち出してきて、あんさんは何が言いたいねん?
仏御前も祗王も煩悩に身を焼かれる苦しみ、つらさから浮世を離れて仏門に入ったのやがなァ。。。つまり、尼さんになってしもうたのやァ。
そやから、どうしたと、あんさんは言わはるの?
つまり、智照尼(ちしょうに)さんも、元々は花柳界に身を置いていたのや。 波乱に富んだ人生を歩みながら、煩悩に身を焼かれる苦しみ、つらさから救いを求めて尼さんになったのやァ。
祗王寺の庵主は智照尼(ちしょうに)と呼ばれる尼で、元は妓籍に身をおいていた人である。
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大阪花柳界で半玉(はんぎょく)として売り出し名を挙げたが、当時、恋仲だった贔屓客に操を疑われ、その潔白を証明するために自ら小指を切り落としたという伝説の持ち主である。
小指を失ってからは東京・新橋花柳界に移り、照葉の名で人気を集めたが、その後、結婚、離婚を繰り返し、職も芸者から女優、バーのマダムと流転を重ね、剃髪して尼になった人だった。
瀬戸内晴美著『女徳』のモデルとしても知られる智照尼は、芸妓時代から俳句を嗜(たしな)み、文学好きであった。
そのため、東京の文士や芸術家たちと親交が深く伊藤(道郎)のほかにも川口松太郎や里見らが、よく祗王寺を訪ねた。
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そんな縁から秀(ひで:「おそめ」のマダム)も智照尼と親しくつき合っていた。女友達のできにくい秀であったが、その一方で年上の剛毅な気性の女たちからは徹底して好かれる。智照尼も、二周り以上も年下である秀のことを可愛がった。
秀は、ふらりと弁当と酒を持って祗王寺を訪ねた。今でこそ観光スポットとして人気を集める祗王寺だが、当時は荒れ果てた状態で、「おそめ」の客に奉加帳を回して修繕の費用を作り、届けたこともあった。また、智照尼も、御高祖頭巾(おこそずきん)をかぶって、ちょくちょく「おそめ」まで飲みにきた。そんな間柄のふたりだった。
(注1: 写真はデンマンが貼り付けました。)
(注2: 「里見(とん)らが、よく祗王寺を訪ねた」 この部分が文字化けするかもしれません。 名前の「とん」は常用漢字ではないので、もし、あなたのシステムに、この文字を表示するフォント[font]が無いと文字化けします)
149-150ページ
『おそめ』 著者: 石井妙子
2006年1月24日初版発行
発行所: 株式会社 洋泉社
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