白木屋お熊とセックス(PART 1)
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デンマンさん。。。 どうして わたしが2日続けて登場するのですかァ~?
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あのねぇ~、今日の話にもジューンさんが出てくるのですよ。
ご冗談でしょう!。。。
いや。。。 出だしから悪い冗談を言っていると、この記事を読み始めたネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまいますからねぇ~。。。 僕はそのような愚かな事はしません。。。
でも。。。、でも。。。、わたしは白木屋のお熊さんという人を知りませんわァ。
そのうち思い出しますよ。。。 まず次のリストを見てください。
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■『拡大する』
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これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から15日までの約2週間の「リンク元URL」のリストですよ。
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あらっ。。。 相変わらずGOOGLEで検索して『宮沢りえブーム?』を読む人がダントツですわねぇ~。。。
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■『宮沢りえブーム?』
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あのねぇ~、今日は宮沢りえさんの話ではないのですよ。。。 上のリストの赤枠で囲んだ 18番に注目して欲しいのですよ。。。
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あらっ。。。 次の記事が 6名のネット市民に読まれたのですわねぇ~。。。
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■『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』
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上の記事は 2007年の4月22日に書いたのです。。。 でも、けっこう読まれているのですよ。
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どうしてでしょう?
やだなあああァ~。。。 決まっているじゃありませんか!。。。 タイトルが刺激的でしょう!?。。。 このタイトルにつられて読むわけですよ。。。
つまり、セックスが絡(から)んだ事件を大岡越前さんが裁いたのですわねぇ~。。。
そうなのです。。。 事件の内容を読んでみてください。
大岡裁き
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材木商白子屋の美しいわがまま娘「お熊」
出来の良いまじめなだんな「又四郎」を婿に迎えるが、質素でまじめな「又四郎」が気に入らない。
浮気相手の番頭「忠八」と母「お常」と共謀し、下女「きく」を使って「又四郎」を殺そうとするが失敗。
「又四郎」が事件を「大岡越前」に訴えた。
判決は
「お熊」引き回しの上死罪
「お常」引き回しの上島流し
「忠八」引き回しの上晒し首
「きく」死罪
「ひさ」(浮気の手伝いをした)引き回しの上死罪
白子屋の財産没収
「正三郎」(お熊の父)江戸から追い出し
「又四郎」お咎めなし
大岡越前、厳しいです。
有名な逸話「手を離したほうが本当のお母さん事件」は
旧約聖書や中国の古典が伝わってできたものらしいっす。
三方一両損も落語らしいっす。
『大岡裁き』より
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あらっ。。。 このお裁きは厳しすぎるのではありませんかァ!?
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そうなのです。。。 確かにこれは現在の裁判基準と比較すると あまりにも厳しすぎます。 「又四郎」が殺されて死んだのならともかく、この事件では誰も死んだ者がいないのに、「大岡裁き」によって4人が死罪になっている。
現代人の感覚では、無茶苦茶な裁きのように感じられますわァ。
でも、こんなに厳しい裁きをしたのに大岡越前は人気があったのです。。。 しかも、大名にまで出世した。
なぜですか?
つまり、それだけ世の中が乱れていたのでしょうねぇ~。。。 だから、乱れた世を批判的だった庶民の人気を集めたのですよ。。。 要するに、お熊が悪い女だったので、それを懲らしめた大岡越前が人気が出たのですよ。。。
お熊さんは、それほど悪い女だったのでしょうかァ~?
あのねぇ~、お熊は お金持ちの娘で、恐らくわがままに育てられたのでしょう。。。 美しいわがまま娘のお熊。。。 それに対して 出来の良い真面目な旦那の又四郎。
なぜ、お熊さんは 質素で真面目な又四郎が気に入らなかったのですか?
要するに、お熊は我がままで、甘やかされて育ったので、人を見る目がなかったのでしょうね。。。 つまらない草食系の男だと思ったのですよ。。。 質素で真面目すぎる又四郎の存在自体が、遊び人のお熊には面白くなかったのでしょう。。。 それで、浮気相手の番頭「忠八」と母「お常」と共謀し、下女「きく」を使って又四郎を殺そうとした。
確かに、ひどい事件ですわァ~。。。 でも、どうして、デンマンさんは また この事件を取り上げる気になったのですかァ~?
ちょっと次の部分を読んでみてください。
「白子屋お熊事件」が起きたのは江戸時代も中期です。
徳川吉宗の時代で質素倹約が叫ばれていた時でした。
5年後の享保十七年(1732年)には次のような事が起きています。
旗本千石の榊原家当主だった榊原政岑(さかきばらまさみね)は、
従兄にあたる榊原二代姫路藩主・政祐(まさすけ)の嫡子が無いことから、
末期養子(緊急避難的な跡取り養子)となり、政岑は19歳にして千石の旗本侍から、一気に姫路十五万石の大名になった。
もともと派手好きだったのでしょうね。
江戸城警護の役目の際に、奇抜な格好で大手門を警護したり、江戸にいる間は連日、新吉原へ繰りだした。
当時、将軍・吉宗の出していた質素倹約令を無視し、遊興に耽っていたのです。
挙句の果てに、新吉原三浦屋の名妓・七代目高尾太夫を1800両?(諸説あり)で身請けし、
姫路城へ連れ帰り、自分の側室とした。
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このことが将軍・吉宗の怒りを買い、寛保元年(1741年)9月に出府を命じられ、
榊原政岑は乱行ゆえに隠居、蟄居を命じられた。
つまり、こうした時代背景を考えると、「白子屋お熊事件」の厳しいお裁きは
“見せしめ”でもあったと言う事が良く分かりますよ。
贅沢三昧(ぜいたくざんまい)に遊び暮らして、
挙句の果てに人殺しまでして贅沢を押し通そうとしたお熊と共謀者に対して
“質素倹約”を怠ると、このようなことになりますよ!と言う見せしめだったようです。
貧乏暮らしを強いられている庶民にとっては、
“それ見ろ!いい気味だぁ~~”と思えたのでしょうね。
だから、大岡越前の厳しさを責める人よりも、彼の厳しさを褒める人の方が多かったようです。
そういう所に人気の秘密があったのかもしれません。
ところで、記憶と言うものは当てにならないですよね。
「白子屋お熊事件」を、どういうわけか僕は
金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した事件だと思い込んでいた。
でも、こういう事件が実際にあったのですよ。
この事については、又別の機会に書きたいと思います。
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金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した事件というのは“ホテル日本閣殺人事件”と呼ばれる事件で、犯人は“小林カウ”という女なのです。
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つまり、この事件について いつか書こうと思っていたのに、書いてなかったので今日 その話をするのですか?
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そうです。。。 いけませんかァ~?
いえ。。。 ぜひ聞きたいですわ。
あのねぇ~、 栃木県鬼怒川のホテルのオーナーを殺したと思い込んでいたけれど、調べたら、塩原温泉の“ホテル日本閣”でしたよ。 塩原温泉というのは、栃木県那須塩原市の塩原地区内にある温泉で、箒川沿いの谷間を中心に点在する11の温泉の総称だということです。
。。。で、その小林カウさんというのは、どのような女性なのですか?
「白子屋お熊事件」のお熊よりもひどい女ですよ。
小林カウは1908年、埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の農家に生まれた。
カウの家は集落の中では旧家だったが、例によって貧窮な家庭だった。
カウは7人兄弟の5番目の次女。
小学校を4年で終えて、5年ほど家事を手伝い、やがて都会に憧れて東京・本郷の旅館に女中奉公に出た。
1930年、カウ22歳の時、熊谷の在に嫁いだ姉の口利きで、新潟県柏崎市出身の林秀之助(当時27歳)と見合い結婚した。
秀之助は身長160センチもない貧弱な体格で、青黒いような顔をした青年だった。
結婚してみると、秀之助は慢性胃腸病と慢性淋病の持つ主で、カウは性的にも満足が得られなかった。
夫婦で熊谷市中で雑貨商を営んでいた1931年、長男が誕生するがまもなく死亡。
その後、娘が誕生した。
そのうち商売がうまくいかなくなり、夫婦は熊谷を離れ、東京近辺を転々とした。
この間、戦争が本格化し、秀之助も兵隊にとられるが、体を壊して戻ってきた。
以来、秀之助は気力のない中年男になっていた。
戦争が終わると、夫婦は熊谷に家を建て、自転車のタイヤのブローカーをする傍ら、ゴム、米、砂糖などの禁制品も扱い始める。
またカウは内職で 菓子の五家宝づくりを手がけた。
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さらに観光地向けの辛子漬や芋のつるの砂糖漬の土産物製造卸売りを始め、病みがちな夫に代わって、カウの働きで生計が支えられていた。
この頃からカウは金を稼ぐ楽しさを知り、物欲が強まっていった。
精力旺盛なカウは愛人づくりもマメであり秀之助はそれに気づいていたが黙認していた。
ある時、近くの交番の若い巡査が戸口調査簿を手に小林家に現れる。
この男の名は中村又一郎(当時25歳)。
独身ですらりとした男前だった。
闇物資を扱うカウの家では、この訪問は何か気味が悪い。
そこでカウはこの中村巡査に手厚いおもてなしをした。
中村は気をよくして、親しくカウの家を出入りするようになった。
当初、カウは中村を娘の婿に、と考えていた。
ところが欲望が満たされていくなかで唯一性的な満足がなかった40代の女と、おもてなしを好意と受け取った20代の男、そんな2人の関係ができあがってしまうのに時間はかからなかった。
2人の関係は続き、カウは中村と一緒になりたいと考える。
秀之助に「財産は何一ついらないから。暇をもらいたい」と頼んだが、聞き入れられなかった。
1952年10月2日、秀之助が突然異様な唸り声をあげて死んでしまった。
その声にびっくりした隣人が駆けつけると、カウは夫の死に顔を撫でていたという。
秀之助のかかりつけの医師は、保健所の医師立会いの元で脳出血と診断した。
カウ夫妻はたびたび派手な喧嘩をしていたことから、近所でもその死を疑う噂が流れたりしたが、熊谷署は捜査を打ち切った。
その後まもなく、カウは中村を家に引き入れて同棲を始める。
中村は以前からその行状が上司に知られており11月6日に懲戒免職となった。
しかし、そんな同棲生活も2年で終結する。
中村は母親ほどの女性に嫌気がさしたのか、カウを追い出し、若い娘と結婚したのだ。
やがてカウは 近県の温泉地をまわり、1954年、事件の舞台となった栃木県・塩原温泉郷に初めてやってきた。
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1956年春、カウはホテル明賀屋前の小店を一軒、1年分の家賃をポンと前払いして借り、「那珂屋物産店」の看板をあげた。
ここでカウは最初の一旗をあげた。
カウの商売魂はおさまらず、翌年春には隣りの店を買いとって、小食堂「風味屋」をひらいた。
店の売上は伸び、銀行預金を増やし、土地も買い、資産300万円ほどになっていた。
成功を手にしていながら、カウはさらに上を見る。
そして「温泉宿をひとつ持ちたい」と思うようになった。
旅館の仕事ならば女中奉公のキャリアがあるし、女主人はカウの理想であるステイタスだった。
1958年秋、カウは「ホテル日本閣」が安値で売りに出ていることを知る。
ホテル日本閣は名前こそ立派だが、実際は三流クラスの小旅館だった。
この日本閣が経営不振で3、400万円で投げ出すという噂があり、カウは飛びつくように交渉した。
しかし、主人である生方鎌助は まるで売る気はなく、話はいったん立ち消えた。
生方鎌助は温泉番頭などを経て、1957年春、ホテル日本閣の看板を掲げた。
しかし、やや強引に開業してしまったために温泉組合からはじき出され、引き湯の権利がとれなかった。
自費で送湯管を敷いたが湯が冷えて、ボイラーで沸かしなおした。
当然ながら、経営は厳しく、閑古鳥はなくばかりだった。
鎌助はおかげで一時気がおかしくなり、宇都宮の精神病院に入院した。
1958年夏に退院したが、誇大妄想に悩まされるようになっていた。
いっそのこと温泉宿は廃業にして出なおそう、と鎌助の妻・ウメは言った。
しかし、鎌助は聞かず、創価学会のご利益に頼って、1959年春には新館の増築にかかった。
だが途中で資金が尽き、未完成のみっともない姿に壊そうにも金がかかり、鎌助は途方にくれることになった。
ここで鎌助は前年交渉にきたカウを思いだし、すぐに融資をもちかけた。
この時の条件は「妻・ウメに対する手切れ金50万を出してくれれば、後釜に迎えてやる」というものだった。
カウは「50万で温泉旅館の内儀さんの座が買える」とこの生方鎌助という男に賭けてみる事にした。
しかし、手切れ金を30万に下げたところ、ウメは50万円を譲らなかった。
「どうせウメは承知しないだろう、こうなれば一文も手切れ金をだすのが惜しい」とカウはウメ殺害を考えた。
1960年1月中旬、カウは日本閣の雑役をしていた大貫光吉(当時36歳)にウメ殺害を命じた。
「手間賃2万円、成功したら抱いてやる」と言ってカウは大貫の手をとり股にはさんだ。
女ッ気のほとんどない大貫は思わずうなずいた。
2月8日、怖くなり殺害を躊躇しつづけていた大貫に、今度は鎌助が励ましの言葉をかける。
「ウメは体が弱っていて、ちょっと絞めればイチコロだから、今夜は間違いなくやってくれよ」
そしてこの夜、大貫はひとり寝ていたウメを首を麻紐で締めて殺した。
その後、カウは今度は邪魔になった鎌助を殺そうと思い立つ。
1960年の大晦日、日本閣の帳場の炬燵で3人はテレビを見ていた。
午後5時過ぎ、カウは夕食の仕度で台所に立ち、忍び足で戻ると、背後から鎌助の首を細引で絞めつけた。
そこへ大貫が鎌助にとびかかる。
カウの持っていた細引がぷつんと切れ、そこで大貫は鎌助を押し倒し首を絞めた。
カウが包丁を差し出すと、大貫は必死に抵抗する鎌助の首に刺し、殺害した。
しかし、悪事はやがて露見するもので、2月20日、ついに小林カウと大貫光吉は逮捕となった。
この時、カウ52歳、それでも小太り丸顔でチャーミングなところがあったという。
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やっぱり悪事は いつか露見してしまうものですよ。。。 逮捕されてから、カウは夫も自分で殺したと白状したのです。
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。。。で、その後は どうなったのですか?
もちろん、裁判で死刑の判決がでたのですよ。。。 でも、カウは「私は女だから、絶対に死刑執行はない。。。、いずれ減刑されて釈放されるわァ」と思い込んでいたのです。。。
あらっ。。。 マジで。。。?
釈放されたら、伊豆の大島に土地を買って 老人ホームを運営するんだという夢を抱き続けていたそうです。
。。。で、釈放されたのですか?
いや。。。 カウは15年ぐらいで出てこられると思っていたようだけれど、世の中は、なかなか思い通りには行かないものですよ。。。 1970年に死刑が執行され、女性では戦後初めて 絞首刑にされた死刑囚になったのです。
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