生パンツ系男子とベトナム兵(PART 1)
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デンマンさん。。。 “生パンツ系男子とベトナム兵”に どうして私を呼び出したのですか?
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真由美ちゃんとも ちょっとばかり関係しているのですよ。。。
でも。。。、“生パンツ系男子”ってぇ 私は聞いたことがありませんわァ~。
あのねぇ~、“草食系”でもない、“肉食系”でもない、そういう男子がいるのですよ。
どういう男子なのですか?
次のような男子ですよ。。。
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女子高生に
“パンツよこせ!”
“パンツよこせ!”
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暗い夜道で女子高生を襲い、
身に着けていた下着だけを
奪って逃走する
“生パンツ”強盗が出没した。
神奈川県警宮前署によると、
事件が起きたのは
21日午後9時半ごろ。
川崎市宮前区の路上で、
近くに住む高校2年の
女子生徒(16)が
アルバイトを終えて
徒歩で帰宅する途中、
前から来た若い男に
すれ違いざま、襲われた。
男は、女子生徒の首を
道路脇のフェンスに
押し付けながら
「パンツをよこせ!」と脅迫。
女子生徒が抵抗すると
スカートの中に手を入れ、
パンツをむりやり脱がして強奪。
“戦利品”を手に、
そのまま逃走した。
女子生徒にけがはなく、
そのまま自宅まで逃げ帰り
110番通報した。
調べによると、
男は20歳前後で
身長170センチくらいのやせ形。
黒っぽいスエットの
ズボンをはいていたという。
宮前署関係者は
「女子生徒の体をもてあそんだり、
危害を加えたわけではない」
として、下着マニアによる
強盗事件として
捜査を進めている。
SOURCE:
スポーツ報知
2006年04月23日
『なぜ生パンツにこだわるの?』に掲載。
(2006年12月20日)
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あらっ。。。 今から10年前に このような事件があったのですか?
真由美ちゃんもテレビのニュースで見たことがあるでしょう?
いいえ。。。 気づきませんでしたわ。。。 それにしても、“生パンツ系男子”ってぇ 変態なのですわねぇ~。。。 女子生徒が抵抗するとスカートの中に手を入れ、生パンツをむりやり脱がせて、その女子には見向きもしないで一目散に逃げてしまったのでしょう!?
そうですよ。。。 あのねぇ~、例えばですよ。。。 お金持ちの家に泥棒が入ったとしたら、たいてい現金が入った手提げ金庫を そのまま持ち出すものですよ。。。 ところが、この“生パンツ系男子”は現金を残して空の金庫だけを大切に持ち出したようなものですよ。。。 どう考えても変ですよ。。。
確かに、女子生徒の体をいじるでもなく、生パンツだけを持って逃げたというのは 下着マニアとしか言いようがないですわねぇ~。
真由美ちゃんは“生パンツ系男子”に襲われたことはないのォ~?
ストーカー男に何度も言い寄られたことはありますけれど、これまでに “生パンツ系男子”にパンツを狙われたことはありませんわァ~。。。
こういう事件がテレビで報じられたので、“生パンツ”に商品価値があることを知った女学生が“生パンツ”を売るようになったのですよ。
パンツを売る女子高生と、
それを買う男たち
サイバー補導で性犯罪は防げるか!?
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2013年10月26日
志部谷容疑者はこの掲示板を見ていたのだろう。
お店に予約を入れて、川口から秋葉原に向かう道中、彼はどんなことを考えていたんだろうね。
浮き浮きしていたのかな。
ちなみに、志部谷容疑者は、女子高生の“生脱ぎ”下着を一万八〇〇〇円で購入していたそうです。
そして、容疑者にパンツを売った女子高生は、以前にもネット掲示板で知りあった男性四人に、自分の下着を販売していたことも判明した。
『パンツを売る女子高生』より
でも、どうして上の女子高生は捕まってしまったのですか?
あのねぇ~、警視庁のサイバーポリスの捜査員がインターネットの掲示板を“パトロール”していたのですよ。。。 そしたら上の女子高生の“パンツ売ります”という書き込みを見つけた。
それで、捜査員が客を装って接触し、補導したのですか?
そうなのですよ。。。 それで“生パンツ”を買った男も捕まったというわけですよ。
それにしても、どうして女子高生は“生パンツ”を売るのでしょうか?
お小遣いが欲しいからですよ。
結局、“生パンツ系男子”がいるので、女子高生が“お小遣い稼ぎ”を思いつくのでしょうねぇ~!?
そういうことですよ。。。
それで、“ベトナム兵”も“生パンツ”を買ったのですか?
違いますよ。。。 “ベトナム兵”が“生パンツ”を買うはずがないでしょう!。。。 実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
ベトナム最前線の日本兵
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2年ぶりに日本へ帰って、やっぱり平和はいいな、としみじみ思った。
この記事がのった雑誌がでる頃には、私は再びベトナムの戦場でカメラをぶらさげて駆けずりまわっているはずだから、ほんのひと月ほどの短い休暇だったが、平和のありがたさを、日本のよさを、十分に味わったつもりだ。
さすがにここまでは、あのベトナムの泥と血と爆薬の匂いも追っかけてはこなかった。
と、思ったのだが、4,5日前のことだ。
突然、沖縄から緊急電話がかかってきた。
「君の取材していたドイケ(土池)トシオ一等兵が戦死したよ。 ヘリコプターから降りるところを撃たれたそうだ」
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沖縄・琉球新報の外間編集局次長からであった。
この知らせは、私がサイゴンでいろいろと世話になったアメリカ第25歩兵師団のギャビー中尉から、NHKサイゴン支局に伝えられ、そこから琉球新報を経て私に連絡されたものだった。 (略)
彼は私と同じ沖縄人だった。
いっしょに作戦に出たりして、すっかり意気投合した親友といってもいいくらいの19歳の青年だった。
彼はアメリカ軍の兵士であり、私はカメラマンとそれぞれに立場はちがっていたが、やはり日本人同士、どこかに通いあうものがあった。
戦闘の合間に沖縄について、ベトナムについてよく議論したものだ。
でも、もっともっと話をしておくべきだった。
ベトナムへ行ったら、また彼と会うのを楽しみにしていたのに、なんということだ。
もう彼には会えないのだ。
ベトナム戦争は日本まで私を追いかけてきた。
(中略)
二世とばかり思っていたドイケ一等兵は一世であった。 (略)
彼がなつかしい沖縄方言をまじえて語ってくれたところによれば、次の通りである。
ドイケ一等兵は昭和22年、那覇市の西武門に生れた。 (略)
駐留した米軍関係の仕事についていた広島出身の父とともに、4歳のときハワイへ渡った。 (略)
その後、彼一人だけ沖縄へ帰り、叔母さんの所から学校へ通った。
日本復帰の希望は薄く、誰もが食うために米軍基地で働いていた頃だ。
沖縄の久場崎高校を卒業すると、父に頼んで沖縄で米軍に入隊した。
すぐにカリフォルニアにつれていかれ、そこできびしい軍事教練を受けた後、第25歩兵師団に編入された。
そして師団とともに今年の2月、ベトナムへ来たのであった。
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(中略)
「基地ばかりの沖縄で生活するなんて、もうたくさんだ。
ぼくの父は米軍につとめて一家の生活をみてくれたんだけど、基地がどんどん大きくなるのを見るのはほんとに嫌だった。
そんな沖縄にいて、どんなまともな仕事ができるんだい。
(中略)
沖縄から離れて、世界へ出るにはこれが一番の早道なんだ。
兵役の3年間だけ歯を食いしばって辛抱すれば、あとは自由だもの」
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沖縄から離れて自由に生活するために、彼はベトナムで戦っている!
(石川文洋 いしかわぶんよう)
【昭和41(1966)年10月号】
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
191-198ページ
『「文藝春秋」で読む戦後70年』
【第1巻】終戦から高度成長期まで
編集人: 石橋俊澄
平成27(2015)年7月21日 発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
あらっ。。。 日本人のドイケ(土池)トシオ一等兵は、ベトナムで19歳で戦死ですか!?
ドイケ一等兵だけじゃなく、日本人でベトナム戦争に参加して戦死した人は結構いるのですよ。。。 もちろん、誰もがアメリカの永住権を得るために戦争に参加したのだけれど、不運な若者はドイケ一等兵のように戦死してしまった。
デンマンさんもベトナム戦争に参加してアメリカの永住権をゲットしようとしたのですか?
いや。。。 僕はそこまではしませんでした。。。 いくら何でも命を賭けてまでアメリカの永住権をゲットしようとは思いませんでしたね。。。 僕はカナダの技術移住者募集の宣伝を見て、それに応募してカナダ永住権をゲットしたのですよ。
つまり、“生パンツ”をゲットする代わりに“カナダ永住権”をゲットしたのですか?
そうですよ。。。 あのねぇ~、昭和40年代になって“ジャルパック”で格安で団体旅行ができる前は、若者にとって海外に雄飛することはドイケ一等兵ばかりじゃなく、多くの若者の夢と希望だったのですよ。
ジャルパック
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株式会社ジャルパック(Jalpak)は、JALグループの旅行会社の名称、及び同社が実施しているパッケージツアーのブランド名である。
日本初の海外パックツアー
高度経済成長による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の海外渡航制限が1964年(昭和39年)に解除されたことを受けて、1965年(昭和40年)1月20日に日本初の海外パッケージツアーブランドである「ジャルパック」第一弾の発売が日本航空によって開始された。
全7コースがIATA加盟旅行代理店から一斉発売された。
当時はツアー参加者にサービスとしてトラベルバッグを配布しており、そのバッグが海外旅行者の間でステータスとされていた。
現在では高級なイメージは払拭され一部の高額パッケージツアーは残しているものの一般的なパッケージツアーとなっている。
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出典: 「ジャルパック」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん、日本で夢を追う若者もたくさんいましたよ。。。
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上の映画じゃないけれど、“ジャルパック”以前は、まだまだ経済的に豊かではなかったけれど、明日への夢があった。
デンマンさんも海外雄飛の夢を持っていたのですかァ~?
そうですよ。。。 ところが、日本が経済大国になる頃から、若者が平和ボケし始めた。
それで、“生パンツ系男子”が出現したと、デンマンさんは言うのですか?
そうですよ。。。 それ以外に考えられないでしょう!。。。 だいたい生きることに一生懸命だったら、“生パンツ”だどにムラムラしている暇はないのですよゥ!
あらっ。。。 デンマンさんも“生パンツ”にムラムラした経験があるのですか?
あのねぇ~。。。 それは、僕だって好きな女の子の“生パンツ姿”を想い浮かべたことはありましたよ。。。 でもねぇ~、見ず知らずの女子高生に“パンツ脱いでよこせ!”なんて発想がまずオツムに想い浮かんだことがない!。。。 平和ボケして、アダルト映画を見すぎた愚か者以外に そのような馬鹿バカしい真似はできませんよう!
でも。。。、でも。。。、そういう“生パンツ系男子”ばかりではないと思いますわァ~。。。
うん、うん、うん。。。 なかには気骨のある若者も数は少ないけれどいます。。。 でもねぇ~、圧倒的に平和ボケした“生パンツ系男子”が多いのですよ。。。 ちょっと次の検索結果を見てください。
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■『現時点での検索結果』
「生パンツを買う男たち」を入れてGOOGLEで検索したのですよ。。。 なんと 1,560,000件もヒットするのですよ。。。
あらっ。。。 すごいですわねぇ~。。。 “生パンツ”の需要が これだけあるということですわねぇ~。。。
真由美ちゃんが感心している場合じゃないのですよ。。。 平和ボケした愚かな若者が日本にこれだけ増えたということですよ。。。 かつては自分の命までも賭けて“自由と希望”を求めていた若者が日本には大勢いたのです。。。
デンマンさんも その一人だと言いたいのですか?
うへへへへへ。。。 そのつもりなのだけれど。。。
要するに、昔の人がよく言っていたように、“最近の若者はなってない!”と年寄りじみたことを言いたいのですねぇ~?
いや。。。 なかには、“自由と希望と野望”を抱いている若者もいますよ。。。 少なくとも真由美ちゃんは夢と希望を抱いてカナダに移住しようとしてバンクーバーで頑張っているのだから。。。
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(すぐ下のページへ続く)