クラシック鑑賞 10 (PART 1)
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(tippett2.jpg)
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(music987.jpg)
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(ireba03.jpg)
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(laugh16.gif)
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(ohta03.png)
デンマンさん。。。、最近、クラシックにハマっているのですかァ~?
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(kato3.gif)
僕はクラシックは、どちらかと言えば苦手なんだよ。。。
それなのに、どういうわけで、最近オイラと たびたびクラシックを鑑賞するのですか?
オマエは不満なのォ~?
いいえ。。。 デンマンさんと共にクラシックを鑑賞することができるなんてぇ~、天にも昇るような気持ちですよ。。。 この際、スキップして喜んでもいいですか?
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(smilejp.gif)
あのさァ~、いくらなんでも、それはオーバーじゃないのォ~? オマエが以前のようにスキップして喜んだら、この記事を読みにやって来たネット市民の皆様が呆れて他のブログへ飛んでしまうのだよ!
分かりました。。。 じゃあ、スキップして喜びたいのですけれど、デンマンさんが そのように言うのであれば、じっと我慢したいと思います。。。で、いったいどのクラシックの曲を鑑賞するのですか?
オマエが“後奏曲集”の中で書いていた記事から選んだのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!
A.15 Michael Tippett (1905 – 1998)
家内の誘いで、友人夫妻と共に、産卵に川を上る鮭を見に行く。時既に遅く、前夜の雨のせいか茶色に濁った川の中に、泥にまみれた魚の死体が数多く見られたのに過ぎなかった。その腐臭に潮の匂いが混じっているのは、それらが海から来たが故の名残か。ここ、Torontoも隣のMissisaugaも海から遠く離れた北米の内陸なのに。
そこに、性の、生殖の虚しさを感じる私には、何かが欠落しているのであろうか。私には、性とは、ただ存在するだけのもので、理由づけされ得るものでは無い、と思われるのである。性とは、ただ、物体の太古以来の衝動のようなものであり、解釈の彼方にある、と思われるのである。しかし、精神と肉体の二元論を斥けて、なおかつ、何ものかを、何ものでも肯定することは、困難なことである、と思う。
さて、軍事資本主義超大国のUSAを遙かに超える版図のうえに、世界中を荒らしまわり略奪して疲弊させたUKは、H. Purcellを例外として、ついに、未だかつて、何ら音楽(史)の上に貢献することがなかったのではないか。古くは、衰弱したRenaissanceの音楽に過ぎないW. Byrdの、近くは、超保守的な<現代>の作曲家B. Britten、更には、既に実験済みの手法の寄せ集めを超えることのないM. Tippettの作品が、何とか、数えられるのみであろう。
そのTippettの<<King Priam>>を聴こう、という気持ちになったのは、ひとえに、Priamの姿、Hectorを惨殺したAchillesに身代金を携えて愛息の屍を乞いに行く父親の姿、というのが気になったからであった。音楽については、何と聴き易い<現代音楽>か、という以上の感想はもち得ないのであるが、筋書きには過不足なく調和していると感じられた。特にAchillesが登場する場面でのギターの採用やHecubaのヴァイオリン、Andromacheのチェロなどに見られる、聴かれるように、楽器の使用上の効果には、興味をそそられる処が多かった。もっとも、I. Stravinskyは、―― ある作品について、最初に目につくものが楽器法である、というのは、良い徴候ではない、それに、楽器法で人目を引くような作曲家は、…… 最上級の作曲家ではない、と言っていたが(Conversation with I. Stravinsky, Stravinsky and Robert Craft, 1959)。
この作品の筋書きは、要するに、ParisとHelenのerosの後始末である。多くの文芸作品においてerosの問題は、不可知論で終わっている。オペラに限ってみても、<<King Priam>>の台本はTippett自身によるものであるが、C. Monteverdiの<<L’ incoronazione di Poppea>>から一歩でも先を行くものではない。Mirror upon mirror mirrored等の言葉は、erosと運命を短絡した台詞にすぎなく、単なる思わせぶりであろう。それに、ここでの音楽は、mirror mirroredに必要な精緻さに及んではいないではないか。ちなみに言えば、A. Bergの<<Lulu>>の肖像画の方が、単純に象徴としての役割、音楽に於ける意味を効果的にく表出している、と私は思う。
文学を含めての一つの作品の中で、そこに盛られた、或いは、紛れ込んだ哲学(紛い)の思考水準での価値判断は避けるべきである、ということぐらいは、私ですらも弁えているつもりである。それでなければ、例えば、あの<源氏物語>は、その価値の大半を失うことになるではないか。私は、しかしながら、ただ、作品が紛い物の哲学らしきものに侵入されたときにだけ途惑うのである。私は、ただただ、例えば、<浮舟>に、今は、もはや、本名も知られていない作者の自己投影を読み取っているのである。
W. Shakespeareの<<King Lear>>は、財産と、それに伴う権力を二人の娘に譲渡したが、Tippettの<<King Priam>>は、権力に伴う為政者としての責任を放棄している(第一幕第二景)。それでは、それ故に、HecubaやAndromacheはおろか、Parisでさえ浮かばれなくなるのである。登場人物を批判することは、台本作家を批判することにはならないにしても、この作品の台本作家兼作曲家は、登場人物以上に無責任である。Priamは、既に、他の惑星の空気(草子地:この地球以外に空気のある惑星があったっけ。)を吸っている、とのことである。
とは言え、AchillesとPriamが、各々自分の運命、宿命を前にして酒を酌み交わす場面は感動的であった。
蛇足 (コーダ):
その後、別の小川の清流で、釣り人に釣られた鮭が、その瞬間、射精したのを見た。性は、どこかで、死につながってはいないか。清流に映る紅葉が、静まり返って美しかった。
135-136ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より
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振り返ってみると、デンマンさんと共にクラシックを鑑賞するなんて今年になってから7度目のことですねぇ~。。。
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確かに、そうなんだよ! でもさァ~、オマエの上の文章は とにかく読みづらいのだよ! おそらく、この記事を読み始めたネット市民の皆様の半分以上が、オマエの読みづらい文章を途中まで読んで 他のブログへ飛んでしまったと思うよ!
それほどオイラの文章は悪文でしょうか?
オマエの文章ほど読みづらい悪文を 僕は他に見たことがない!
マジで。。。?
僕には、到底、オマエの文章を最後まで読む気になれず、仕方がないから次のように楽しく、面白く読めるように編集し直したのだよ。。。 オマエも読んでごらんよ。。。
A.15 マイケル・ティペット
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(tippett2.jpg)
(1905 – 1998)
家内の誘いで、友人夫妻と共に、産卵に川を上る鮭を見に行く。
時既に遅く、前夜の雨のせいか茶色に濁った川の中に、泥にまみれた魚の死体が数多く見られたのに過ぎなかった。
その腐臭に潮の匂いが混じっているのは、それらが海から来たが故の名残か。
ここ、トロントも隣のミシサガも海から遠く離れた北米の内陸なのに。
そこに、性の、生殖の虚しさを感じる私には、何かが欠落しているのであろうか。
私には、性とは、ただ存在するだけのもので、理由づけされ得るものでは無い、と思われるのである。
性とは、ただ、物体の太古以来の衝動のようなものであり、解釈の彼方にある、と思われるのである。
しかし、精神と肉体の二元論を斥けて、なおかつ、何ものかを、何ものでも肯定することは、困難なことである、と思う。
さて、軍事資本主義超大国のアメリカ合衆国を遙かに超える版図のうえに、世界中を荒らしまわり略奪して疲弊させたイギリスは、ヘンリー・パーセルを例外として、ついに、未だかつて、何ら音楽(史)の上に貢献することがなかったのではないか。
古くは、衰弱したルネッサンスの音楽に過ぎないウィリアム・バードの、近くは、超保守的な<現代>の作曲家ベンジャミン・ブリテン、更には、既に実験済みの手法の寄せ集めを超えることのないマイケル・ティペットの作品が、何とか、数えられるのみであろう。
そのマイケル・ティペットの<<プリアモス王>>を聴こう、という気持ちになったのは、ひとえに、プリアモス王の姿、ヘクターを惨殺したアキレスに身代金を携えて愛息の屍を乞いに行く父親の姿、というのが気になったからであった。
音楽については、何と聴き易い<現代音楽>か、という以上の感想はもち得ないのであるが、筋書きには過不足なく調和していると感じられた。
特にアキレスが登場する場面でのギターの採用やヘカベのヴァイオリン、アンドロマケのチェロなどに見られる、聴かれるように、楽器の使用上の効果には、興味をそそられる処が多かった。
もっとも、イーゴリ・ストラヴィンスキーは、「ある作品について、最初に目につくものが楽器法である、というのは、良い徴候ではない、それに、楽器法で人目を引くような作曲家は、…… 最上級の作曲家ではない」と、言っていたが(『イーゴリ・ストラヴィンスキーとの対話』 Stravinsky and Robert Craft, 1959)。
この作品の筋書きは、要するに、パリスとヘレネのエロスの後始末である。
多くの文芸作品においてエロスの問題は、不可知論で終わっている。
オペラに限ってみても、<<プリアモス王>>の台本はマイケル・ティペット自身によるものであるが、クラウディオ・モンテヴェルディの<<ポッペーアの戴冠>>から一歩でも先を行くものではない。
「セネカやポッペーアの邸宅内の部屋に鏡がふんだんに使われている」等の言葉は、エロスと運命を短絡した台詞にすぎなく、単なる思わせぶりであろう。
それに、ここでの音楽は、「鏡張りの部屋」に必要な精緻さに及んではいないではないか。
ちなみに言えば、アルバン・ベルクの<<ルル>>の肖像画の方が、単純に象徴としての役割、音楽に於ける意味を効果的にく表出している、と私は思う。
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(lulu01.jpg)
文学を含めての一つの作品の中で、そこに盛られた、或いは、紛れ込んだ哲学(紛い)の思考水準での価値判断は避けるべきである、ということぐらいは、私ですらも弁えているつもりである。
それでなければ、例えば、あの<源氏物語>は、その価値の大半を失うことになるではないか。
私は、しかしながら、ただ、作品が紛い物の哲学らしきものに侵入されたときにだけ途惑うのである。
私は、ただただ、例えば、<浮舟>に、今は、もはや、本名も知られていない作者の自己投影を読み取っているのである。
シェイクスピアの<<リア王>>は、財産と、それに伴う権力を二人の娘に譲渡したが、
マイケル・ティペットの<<プリアモス王>>は、権力に伴う為政者としての責任を放棄している(第一幕第二景)。
それでは、それ故に、ヘカベやアンドロマケはおろか、パリスでさえ浮かばれなくなるのである。
登場人物を批判することは、台本作家を批判することにはならないにしても、この作品の台本作家兼作曲家は、登場人物以上に無責任である。
プリアモスは、既に、他の惑星の空気(草子地:この地球以外に空気のある惑星があったっけ。)を吸っている、とのことである。
とは言え、アキレスとプリアモスが、各々自分の運命、宿命を前にして酒を酌み交わす場面は感動的であった。
蛇足(コーダ):
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その後、別の小川の清流で、釣り人に釣られた鮭が、その瞬間、射精したのを見た。
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(salmon9.jpg)
性は、どこかで、死につながってはいないか。
清流に映る紅葉が、静まり返って美しかった。
135-136ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より
『後奏曲集』より
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デンマンさん。。。、オイラの家内を持ち出してきて、またオイラを侮辱しようとしているのですか?
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いや。。。 僕がオマエの奥さんのことを持ち出したのではなくて、オマエが記事の中で、止せばいいのに、また奥さんを持ち出してきて鮭が遡上するのを見に行ったと書いているのだよ!
つまり、今日もクラシックの鑑賞というタイトルを掲げながら、クラシックのことよりもオイラとワイフの関係について、とやかく言うのですか?
言われるのがいやなら、クラシック鑑賞に関係のない奥さんの事を持ち出すなよ!
関係ありますよ。。。 家内と一緒に鮭が遡上するのを見に行って、オイラには思うところがあったのです。。。
うん、うん、うん。。。 オマエは次のように書いている。。。
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ここ、トロントも隣のミシサガも
海から遠く離れた北米の内陸なのに。
そこに、性の、生殖の虚しさを感じる私には、
何かが欠落しているのであろうか。
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(heckel2.jpg)
私には、性とは、ただ存在するだけのもので、
理由づけされ得るものでは無い、
と思われるのである。
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この箇所がデンマンさんの関心を呼び起こしたのですかァ?
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その通り!
どういう風に。。。?
かつてオマエは次のように書いていた。
恋愛は、年頃の男女が肉体に
触発された心理現象?
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(tantra20.jpg)
音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
(中略)
いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の
“Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
(中略)
わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。
J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。
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(jsbach02.jpg)
pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月
『老人の性と太田将宏』より
(2016年8月20日)
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この上の文章を引用してデンマンさんは、いったい何が言いたいのですか?
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あのさァ~、オマエはセクシュアリティに、つまり、性愛にロマンを見ることができないのだよ!
そうでしょうか?
だってぇ~、オマエは次のように書いていた。
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性の、生殖の虚しさを感じる私には、
何かが欠落しているのであろうか。
私には、性とは、ただ存在するだけのもので、
理由づけされ得るものでは無い、
と思われるのである。
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オマエは「性の、生殖の虚しさを感じる私には、何かが欠落しているのであろうか?」と、自分に疑問を投げかけているけれど、確かに、オマエには性愛にロマンを見出せないという欠陥があるのだよ!
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そうでしょうか?
だから、オマエは上のパッセージで「そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。 長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか!」というような愚かな事を恥ずかしげもなく書いている。
やっぱり、こういう事を書くのは恥ずかしいことなのですか?
あのさァ~、かつてオマエは「昨今、自分史などを書いている人がいる、と聞いているが、いい気なものだ」と、書いていた。 ところが、上の文章に見るように、オマエも意識せずに「自分史」を文章の中に散りばめていたのだよ! オマエは、むしろ僕以上に家族を通して自分自身の事を 無意識に語っていたのだよ!
要するに、デンマンさんは オイラが家内の事を持ち出しながら、自分自身の事を書いていると言いたいのですか?
その通りだよ! 実際、オマエは「そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。 長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか!」というような愚かな事を恥ずかしげもなく書いているのだよ!
デンマンさんは、セクシュアリティにロマンを見ているのですか?
その通りだよ。。。 だから、バッハが前妻、後妻と共に仲が良かったことが僕には理解できる!
マジで。。。?
ただ、オマエが「性は、どこかで、死につながってはいないか!?」と単純に観察したことは、実は、奥深いところで正しのだよ。。。
やっぱり、オイラは正しことを言ったのですか?
そうだよ。。。 オマエは聞いた事がないと思うけれど、オマエの奥さんも性愛の絶頂期を体感した時には「死ぬゥ~! 死ぬゥ~!」と言いながら歓喜に体を痙攣させるのだよ!
マジで。。。?
オマエは見たことがないだろう?
ありません!
デンマンさんは、オイラの家内が 「死ぬゥ~! 死ぬゥ~!」と言いながら歓喜に体を痙攣させるのを見たことがるのですかァ~?
当たり前田のクラッカー!
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(maeda01.jpg)
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デンマンさん! こういう真面目な時に、下らないギャグを持ち出すなんて、オイラをとことん、完全に、完膚なきまでに侮辱してますゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウ!
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そんなにムキになるなよゥ。。。 夢で見た話をしただけだよ!
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(laugh16.gif)
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