ロマン@尾瀬ヶ原 (PART 1)

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デンマンさん、尾瀬ヶ原でロマンを見つけたのですか?

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いや。。。 もう、しばらく尾瀬ヶ原には行ってませんよ。
それなのに、どういうわけで尾瀬ヶ原について書こうと思ったのですか?
実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
水芭蕉

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最初に絵描き道具を持って旅行に行ったのは浪人の時だった。
一番早く描けそうなパステルだった。
尾瀬へ。
義兄(当時はこいつが姉と結婚するなんて想像もつかなかったのに)と一緒。
人の靴が顔の目の前にあるような混み混みの夜行列車で沼田へ。
そしてバスで大清水。
確かにたくさんの水芭蕉が咲いていたが、あまり多くて、そのうちなんだか鼻をかんだ後のちり紙みたいだと思ったら、ずっとそう見えてきて困った。

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尾瀬沼から翌日は尾瀬ヶ原へ。
原の真ん中で、至仏山と尾瀬ヶ原を描いたのが自発的な写生をした初めてだった。
ぶよに何ヵ所も刺された。
でも割合初心者としてはよい出来だったと自画自賛したが、義兄は全然感心しなかった。
嫌なやつ。
三条の滝とアヤメ平の絵も描いたがこちらは不出来だった。
それでもその時に東京に帰って彼の持っていたカメラの写真と私の写真を見比べたら、絵の方が自分の見たままに臨場感が伝わってきた。
それまでもオリンパスペンでいろいろなところを何枚も写真に撮ったが、出来てくるのは自分の印象とは全然かけ離れた画像ばかりだった。
これ以降、画帳を持つ旅が始まった。

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
(101-102ページ)
『メスとパレット IV 外科医の見果てぬ想い』
著者: 森 武生
2016年4月20日 第1刷発行
発行所: 婦人之友社

デンマンさんは尾瀬ヶ原へいつ旅行したのですか?

大学に入学した初めての夏休みだと思うのですよ。。。
ガールフレンドと一緒に出かけたのですか?
いや。。。、当時、一緒に旅行するガールフレンドはいなかったのです。。。
一人で出かけたのですか?
いや。。。 6歳年上の叔母(九条多佳子)と出かけたのです。。。
デンマンさんのお母さんの一番下の妹さんですわねぇ~。。。
そうです。。。 親戚中で、僕が一番親しくしている女性です。
そういえば、ときどき記事に出てきますわねぇ~。。。

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多佳子・叔母さんは デンマンさんにとっては“お姉さん”のような人なのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 僕の母親の一番下の妹(九条多佳子)で。。。 20歳も年が離れていたので、まるで母親と娘のように親しくしていました。。。 僕と叔母とは6歳しか年が離れてないのです。。。 僕が生まれて間もない頃、お袋が実家の田植えの手伝いに行ったら、7歳の叔母が小さな僕を見て どうしても僕をおぶるんだと言ったらしのですよ。。。
それで、7歳の叔母さんはデンマンさんを背中に おぶったのですか?
ちょっと危なげだったけれど、どうしてもと言って聞かないので、仕方なく お袋が おんぶさせたというのです。。。

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それ以来、デンマンさんは実のお姉さんのように親しく付き合っているのですか?

そういうことです。。。
私も、一度だけ多佳子・叔母さんを遠くから見たことがありましたけれど。。。

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そういうことがありました。。。 小百合さんが運転する車で鴻巣市の叔母の家まで行ったのですよ。。。 でも、小百合さんは、どういうわけか 「ちょっと今日は遠慮しておきますわ」と言って、会わなかった。。。

デンマンさんが、急に行こうと言い出したので、私には心の準備ができてませんでしたから。。。
『行田物語 古代蓮』より
(2017年8月10日)

叔母さんが7つで、デンマンさんをおんぶした頃からの長いお付き合いなのですわねぇ~。。。

そういうことになります。。。
。。。で、叔母さんと行った尾瀬ヶ原はロマンがいっぱいだったのですか?
ロマンと言うよりも、とっても楽しかったですよ。。。 僕にとって、叔母は身近に感じられる“魅力あふれる女”でしたからねぇ~。。。
デンマンさんの理想の女性だったのですか?
いや。。。 理想の女と言うよりも、一緒に居て“大人の女”を感じさせる人でした。。。 香水の匂いというかァ~。。。 肌の優しい匂いと言うかァ~。。。 僕と同じで、当時、ヨーロッパの文化とかアメリカの生活などに憧れを持っていて、映画なども、ほとんど洋画だけしか観なかった。。。 彼女のアイドルがアラン・ドロンでしたよ。。。

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■『コーヒーと愛の香り』

そういうわけで、話し始めると、もう、話題がどこまでも尽きないで、一晩でも2晩でも寝ないで話し込むような感じでした。。。

あらっ。。。 叔母さんと泊りがけで 出かけたのですかァ?
いや。。。、日帰りでしたよ。。。
あらっ。。。 1週間でも泊りがけでロマンを満喫すればよかったではありませんかァ~!
あのねぇ~、僕はそれを望んでいたのだかれど、叔母は当時、埼玉銀行の行田市店に勤めていたのですよ。。。 その当時は、土曜日は休日ではなかった。。。 だから、日曜日だけしか時間が取れなかった。
有給休暇をとればいいではありませんか?
あのねぇ~、当時は、最近の事情と違って、女性が有給休暇などを取ったら、上役からにらまれた。。。 せいぜい、葬式とか、結婚式とか、そういうことでもないかぎり有給休暇を取りにくかったのですよ。。。
誰かが亡くなったという事にすればいいではありませんか?
あれっ。。。 小百合さんは、そういう事までして有給休暇を取ったことがあるのですか?
いいえ。。。 私の頃は、嘘をつかなくても有給休暇を取るのは当たり前でしたわァ~。。。
とにかく、そういうわけで僕と叔母は日帰り旅行で尾瀬ヶ原へ行ったのですよ。。。
残念でしたわねぇ~。。。
そうです。。。 ところが、問題が起きたのです。。。
どのような。。。?
僕が社会人になってからのことだけれど、叔母と僕があまりにも仲がいいので、いつの間にか僕の母親の記憶の中では、僕と叔母が泊りがけで尾瀬ヶ原に行ったことになっていたのですよ。。。
あらっ。。。 デンマンさんのお母さんは、デンマンさんと叔母さんが禁断の恋愛関係にあると思い込んでしまったのですかァ~?
そうなのです。。。 あのねぇ~、僕の母親は小学校だけしか出てないから、いわゆる“文学少女”ではなかった。。。 でもねぇ~、頭はよかった。。。 昔の“甲ぞろい”。。。 つまり、僕らの時代であれば、小学校の成績が“オール5”だったのですよ。。。 だから、本人も女学校に行きたかったのです。。。、だかど、実家が貧乏だった。。。 自分よりも成績の悪い女の子が行田女学校に自転車で通うのを田んぼの畑仕事をしながら眺めるのがつらかったと言ってました。。。
それで。。。?
小学校しか出てなかったけれど、母親は島崎藤村ぐらいは知っていた。。。 「どのように有名でも人間の中には、畜生(ちくしょう)と同じで浅ましい者も居るのよ。。。 例えば、あの有名な島崎藤村も、素晴らしい作品を残したかもしれないけれど、人間としては畜生と同じだよ。。。」 こう言ったものです。。。
島崎藤村

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1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日
島崎 藤村は、日本の詩人、小説家。
本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。
信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。
『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。
さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。
作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。
家系
島崎家の祖は相模国三浦半島津久井(現在の神奈川県横須賀市)発祥の三浦氏の一族で、島崎重綱の代に木曾義在に仕えて木曽谷に入り、その長男重通が郷士として馬籠を開拓して中山道の宿駅として整備し、代々本陣や庄屋、問屋を務めた。
父の正樹は17代当主で平田派国学者だった。
『文学界』と浪漫派詩人
20歳の時に明治女学校高等科英語科教師となる。
翌年、交流を結んでいた北村透谷、星野天知の雑誌『文学界』に参加し、同人として劇詩や随筆を発表した。
一方で、教え子の佐藤輔子を愛し、教師として自責のためキリスト教を棄教し、辞職する。
その後関西に遊び、吉村家に戻る。
1894年(明治27年)、女学校に復職したが、透谷が自殺。
さらに兄秀雄が水道鉄管に関連する不正疑惑のため収監され、翌年には輔子が病没。
この年再び女学校を辞職し、この頃のことは後に『春』で描かれる。
1896年(明治29年)9月8日、東北学院の教師となって宮城県仙台市に1年間ほど赴任。
同年10月25日に母の死に直面し、当時住んでいた広瀬川を見下ろす崖上の支倉町の住居で詩作を始め、仙台駅近くの三浦屋(参照)に移って第一詩集『若菜集』を執筆、これを発表して文壇に登場した。
『一葉舟』『夏草』『落梅集』の詩集で明治浪漫主義の開花の先端となり、土井晩翠(仙台県仙台出身)と共に「藤晩時代」あるいは「晩藤時代」と並び称された。
これら4冊の詩集を出した後、詩作から離れていく。
藤村の詩のいくつかは、歌としても親しまれている。
『落梅集』におさめられている一節「椰子の実」は、柳田國男が伊良湖の海岸(愛知県)に椰子の実が流れ着いているのを見たというエピソードを元に書いたもので、1936年(昭和11年)に国民歌謡の一つとして、山田耕筰門下の大中寅二が作曲し、現在に至るまで愛唱されている。
また、同年に発表された国民歌謡「朝」(作曲:小田進吾)、1925年(大正14年)に弘田龍太郎によって作曲された歌曲「千曲川旅情の歌」も同じ詩集からのものである。
親譲りの憂鬱
島崎藤村は自作でさまざまに、「親譲りの憂鬱」を深刻に表現した。これは、
1.父親と長姉が、狂死した。
2.すぐ上の友弥という兄が、母親の過ちによって生を受けた不幸の人間だった。
3.後に姪の島崎こま子と近親相姦を起こしたが、こま子の父である次兄広助の計らいによって隠蔽された。兄の口から、実は父親も妹と関係があったことを明かされた。
等の事情による。

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出典: 「島崎藤村」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このように、島崎家には“おぞましい血”が流れているのですよ! 藤村は姪の島崎こま子と近親相姦を起こしたのです。。。

つまり、デンマンさんのお母さんは、叔母さんとデンマンさんが近親相姦を起こしたと信じ込んでしまったのですかァ~?
もちろん、信じ込んだわけではないけれど、やっぱり、母親としては、息子を妹に取られてしまったような寂しさを感じたのでしょうねぇ~。。。
でも。。。、でも。。。、デンマンさんが叔母さんと尾瀬ヶ原に日帰り旅行をしたぐらいで、そんな風に思うものでしょうか?

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僕と叔母が、まるで恋人同士のように楽しそうに笑顔で写っている写真を見ると、心は穏やかではなかったようです。。。

でも、それだけで近親相姦だと邪推するのは、ちょっと。。。
いや。。。それだけではないのです。。。 僕がカナダへ移住してから、帰省すると成田から叔母の家に行って泊るのですよ。。。
何で叔母さんの家に泊るのですか? お母さんが待っている行田の実家に帰ってゆっくり泊ればいいではありませんか!
当時は安いチケットで、バンクーバーからロスを経由してソウルへ飛んで、それから成田につくようなルートを選んだ。。。 そういうルートが直通で成田へ行くよりも だいぶ安かった。。。 ところが、成田に着く時間が遅くなって、吹上駅から行田へ行くバスの最終に間に合わない。。。 それで、当時、高崎線の北本駅の近くにあった叔母の家に厄介になったわけです。。。
タクシーを使えばいいではありませんか!
あのねぇ~、チケットもバーゲンハンターで安いものをゲットしたのに、深夜のタクシーなんかに乗ったら、割増料金で、何のために、安いチケットを買ったのか!? 意味がないじゃありませんかア!
でも。。。、でも。。。、デンマンさんは吹上駅から歩いて行田の実家に帰ったことだってあるでしょう!?

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■『夜道のルート66』

それは、バンクーバーからの帰省の帰りじゃなくて、東京の友達を訪ねたときなど、帰りが遅くなったというような時だけです。。。 バンクーバーから遠回りをして成田に着いたときには、もう疲れきっているのですよ。。。 クタクタですよ。。。 だから、途中の叔母の家に寄りたくなるのです。。。

それは、母親として絶対に寂しいと思いますわァ。。。 最愛の息子が帰ってくるのを待っているのに、自分の妹の家に泊るなんて、なんだか二人の間には特別な契(ちぎ)りでもあったのではないか? そう勘(カン)ぐっても仕方がないと思いますわァ~。。。
そういうわけで、いつの頃からか、母親の記憶の中で、島崎藤村と姪の関係にダブって、僕と叔母が泊りがけで尾瀬ヶ原に行って“禁断の園の契り”を結んだというようになってしまっていたのです。。。
お母さんは亡くなるまで、そう思い込んでいたのですか?
いや。。。、もちろん、僕の母親は精神を病んでいたわけではないから、冗談にそういう話を持ち出すだけだったけれど。。。 でもねぇ~、心のどこかで確かめたいという気持ちは持っていたようです。。。
。。。で、デンマンさんは八百万(やおよろず)の神様に誓ってお母さんの前で、叔母さんとの近親相姦はなかったと告白したのですかァ~?
そうですよ。。。 「最愛の息子の言うことを信じなさい! “信じる者は救われる!”と昔の人は、言ったじゃありませんかァ!」 僕は、そう言って母親を説得したわけです。。。
マジで。。。?
もちろんです。。。 だから、僕の母親は救われて天国から、僕と小百合さんを温かく見守っているのですよ!
このお話って、マジですかァ~?
僕は、こういう真面目な時に嘘と小百合さんの尻は突きません! (笑)
信じてもいいのかしら。。。?
だから、僕は島崎藤村の作品は一度も読んだことがないのですよ。。。 藤村のおかげで僕はとんだトバッチリを受けましたからねぇ~。。。 小百合さんも、僕の言うことを信じてねぇ~。。。 “信じる者は救われる!”と昔の人は、言いましたから。。。

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