きれじ (PART 1)
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デンマンさん。。。、「きれ痔」に悩んでいるのですか? うふふふふふふ。。。
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ん。。。? 「きれ痔」?
そうですわァ。。。 タイトルにそう書いてあるじゃありませんか!
僕は、「きれ痔」に悩まされたことはありません!
じゃあ、どういうわけできれじ というタイトルにしたのですか?
あのねぇ~、僕はバンクーバー市立図書館に歩いてやってくると、まず開館時間まで地元の無料タウン情報紙を読むのですよ。。。 たまたま日曜日に "Georgia Straight" というエンターテインメント情報紙を読んでいたら次のコラムに出くわしたのです。。。
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The Nature of Haiku
(April 28 at the Vancouver Public Library's central branch)
Get hands-on with haiku with this free public workshop featuring poet Michael Dylan Welch, cofounder of Haiku North America and one of the concise idiom's foremost exponents.
He'll be teachaing in English, but you'll still get a great grounding in kigo (seasonal words), kireji (poetic juxtaposition), and shasei (invoking the sensational world).
SOURCE: "Arts TIP SHEET" (デジタル版)
Page 11 of "The Georgia Straight" (March 28 - April 4, 2019)
あらっ。。。 kireji (きれじ) が出てますわねぇ~。。。
。。。でしょう! 上の文章を見れば分かるように俳句についての説明なのですよ。。。
つまり、バンクーバー市立図書館で無料の俳句講座が4月28日に開かれるということですねぇ~。。。
そうです。。。 上の告示を読んだ時に kigo (季語) も shasei(写生) も分かりました。。。 でもねぇ~、僕はこれまでに俳句の授業で kireji (きれじ) という言葉を聞いたことが全くなかった。 ジュンコさんはありますか?
ありません。。。 初耳ですわァ~。。。
僕も初めて目にしたので、俳句にkireji (きれじ)というモノがあるのか? そう思って poetic juxtaposition をGOOGLEで翻訳してみました。
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kireji (きれじ) というのは翻訳すると 詩の並置 ということのようですわねぇ~。。。
ジュンコさんは俳句の授業で 詩の並置 という言葉を聞いたことがありますか?
ありませんわ。。。
僕もないのですよ。。。 それでkireji (きれじ)をいれて WIKIPEDIA で調べてみました。。。 その結果を見てください。。。
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■『実際のページ』
驚いたことに、ちゃんとkireji (きれじ)の項目が載ってるのですよ。。。 でもねぇ~、日本語版のウィキペディアには「切れ字」の項目がない!
どうしてですか?
おそらく「俳句」の項目の中で説明されているのではないか? そう思って「俳句」を入れて調べてみました。
切れ
俳諧では、最初に詠まれる発句は後に続ける脇句や平句の動機となる必要がある。
そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。
そこで編み出されたテクニックが「切れ」である。
上手く切れた発句は「切れがある」と評価され、重視された。
たとえば有名な芭蕉の句
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古池や
蛙飛びこむ
水の音
上の句では、「古池や」の後で一呼吸、句の流れが切れている。
これは、切れ字の「や」による効果である。
読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっている。
このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、言葉に形と質感を与える効果を持つ。
さらに、季語とあいまって句に余韻をかもしだす。
このような「切れ」は、現代の俳句でも重要なテクニックの一つである。
切れ字は、強制的に句を切るために使われる助詞のことである。
現代の俳句でも使われている切れ字には「かな」「や」「けり」がある。
俳句以前の連歌・俳諧の時代には「もがな」「し」「ぞ」「か」「よ」「せ」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「ず」「いかに」「じ」「け」「らん」など、先の3個と合わせ、計18種類の助詞、助動詞が使われていた。
しかし、切れ字がなくても「切れ」が成立することもある。
例えば、芭蕉の弟子・去来は『去来抄』「故実」の中で、こんな芭蕉の言葉を紹介している。
切字を入る句は句を切ため也。きれたる句は字を以て切るに不及。
いまだ句の切レる不レ切を不知作者の為に、先達而切字の數を定らる。
此定の字を入ては十に七八はおのづから句切る也。
残り二三は入 レて不切句又入れずして切る句有り。
きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也
【現代語訳】
切れ字を入れるのは句を切るためである。しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。
いまだに句が切れている、いないが、わからない作者のために、あらかじめ切れ字の数を定めているのである。
この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。
しかし残りの二三は切れ字を入れても切れない句である。また入れなくても切れる句もある。
切れ字を用いるときはいろは四十八字みな切れ字となるし、用いないときは一字も切れ字にならない。
つまり芭蕉の言いたいことは、切れは句の内容の問題で切れ字があるなしの問題ではないということである。
そのため、現代の俳句でも、その句のどこに切れがあるのかが話題に上がることがある。
助詞の他には、名詞で切れることが多い。
出典: 「俳句」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なるほどォ~。。。 「切れ」という俳句のテクニックがあるのですわねぇ~。。。
俳句の授業中に、先生が説明したのかもしれないけれど、僕には全く、その記憶がない。。。 だから、エンターテインメント情報紙に kireji (きれじ) という文字を見た時に、僕は「きれ痔」以外に考えられなかったのですよ。。。
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たぶん、多くの日本人はバンクーバーで "Georgia Straight" というエンターテインメント情報紙を読んだ時に そう考えたと思いますわァ~。。。
しかし、いくらなんでも、「俳句」と「きれ痔」が関係あるわけないよねぇ~。。。
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(すぐ下のページへ続く)