自動翻訳はダメ (PART 1)
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デンマンさん。。。 どういうわけで自動翻訳はダメなのですか?
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あのねぇ~、先日、次の記事を書いたのですよ。。。
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■『宇宙は永遠か?』
わたしも読ませていただきましたわ。。。 でも、前半 クラシックのことが書いてありますわねぇ~。。。
そうです。。。 太田将宏老人がイタリア出身のアメリカ合衆国のオペラ作曲家・台本作家のジャン=カルロ・メノッティを取り上げて記事を書いたのですよ。。。 その記事の中に宇宙のことが出てきたので、その文章を取り上げたわけです。。。
。。。で、その記事の中で自動翻訳を使ったのですかァ?
そうです。。。 使ってみたのですよ。。。
どのように。。。?
まず、GOOGLEで「translate」と入れて検索してみました。
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■『拡大する』
■『実際の検索結果』
緑の枠で囲んである「テキストを入力」という所に英文をコピペすると 自動的に日本語に訳されるのですか?
そういうことです。。。 で、次のように英文を入れてみたのです。。。
(gog90409a.png)
■『拡大する』
。。。で上の訳文は全く使い物にならないのですか?
その通りですよ。。。 ジューンさんも読んでみれば分かるけれど、肝心な箇所が間違っている! ジューンさんもきっと大笑いしますよ!
Although the Opera was not composed until 1945, the idea of ≪The Medium≫ first occurred to me in 1936 in the little Austrian town of St. Wolfgang near Salzburg.
I had been invited by my neighbors to attend a séance in their house.
I readily accepted their invitation but, I must confess, with my tongue in my cheek.
However, as the séance unfolded, I began to be somewhat troubled.
Although I was unaware of anything unusual, it gradually became clear to me that my hosts in their pathetic desire to believe, actually saw and heard their dead daughter Doodly (a name, incidentally, which I have retained on the Opera).
It was I, not they, who felt cheated.
The creative power of their faith and conviction made me examine my own cynicism and led me to wonder at the multiple texture of reality.
オペラは1945年まで作曲されませんでしたが、1936年にザルツブルク近郊のオーストリアの小さな町、ザンクトヴォルフギャングで「ミディアム」の発想が初めて起こりました。
私は近所の人から彼らの家の居留地への出席に招待されました。
私はすぐに彼らの招待を受け入れました、しかし、私は私の舌で私の頬に告白しなければなりません。
しかし、その気持ちが広がるにつれて、私はやや悩み始めました。
私は珍しいことは何も知らなかったけれども、彼らの哀れな願望の中の私のホストが彼らの死んだ娘Doodly(偶然にも、私がオペラに残した名前)を信じ、実際に見そして聞いたことが徐々に明らかになりました。
だまされたのは、彼らではなく私でした。
彼らの信仰と信念の創造的な力によって私は私自身の皮肉を検討し、現実の多様な質感に疑問を投げかけました。
【GOOGLEによる自動翻訳】
確かに、可笑しな訳になってますわァ~。。。 (ぎゃははははははは。。。)
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。。。で、まともな日本語の訳はどうなるのですか?
次のようになるはずです。。。
Although the Opera was not composed until 1945, the idea of ≪The Medium≫ first occurred to me in 1936 in the little Austrian town of St. Wolfgang near Salzburg.
I had been invited by my neighbors to attend a séance in their house.
I readily accepted their invitation but, I must confess, with my tongue in my cheek.
However, as the séance unfolded, I began to be somewhat troubled.
Although I was unaware of anything unusual, it gradually became clear to me that my hosts in their pathetic desire to believe, actually saw and heard their dead daughter Doodly (a name, incidentally, which I have retained on the Opera).
It was I, not they, who felt cheated.
The creative power of their faith and conviction made me examine my own cynicism and led me to wonder at the multiple texture of reality.
オペラは1945年まで作曲されませんでしたが、1936年にザルツブルク近郊のオーストリアの小さな町、ザンクトヴォルフギャングに居た時に≪霊媒≫のアイデアが思いつきました。
私は近所の人たちから彼らの家での交霊会に出席するよう招待されていました。
私はすぐに彼らの招待を受けましたが、実は、正直なところ、それほど参加したいわけではありませんでした。
しかし、交霊会が進むうちに、私はやや悩み始めました。
とりわけ異常な出来事に出くわしたわけではありませんが、次第に事の成り行きがわかって来ると、私を招いた主人の家の者たちは亡くなった娘のドードゥリー(その名前は、私のオペラで使わしてもらっています)が実際に現れて、彼女を見て、彼女の話を聞いているのでした。
だまされたのは彼らではなく私でした。
彼らの信仰と信念が生み出す創造力によって、社会の風潮や事象などに対して私自身が持つ冷笑的な態度を改めて考えさせられ、現実の多様さに驚かされたのです。
【デンマン訳】
『宇宙は永遠か?』より
(2019年4月7日)
10年前から比べれば、自動翻訳は良くはなっていますよ。。。 でもねぇ~、そのまま翻訳された文章として掲載したら、大笑いされるのがオチです。。。
やっぱり、一語一語見直さないと いけませんわねぇ~。。。
最近は、あまり見かけなくなったけれど、10年ぐらい前には自動翻訳した文章をそのまま記事として掲載しているブログを見かけましたよ。。。
笑えました?
涙が出るくらいに笑ったことがありますよ。。。
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(すぐ下のページへ続く)