デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

自分史再考

2023-10-11 02:50:42 | 言論の自由 表現の自由

 

自分史再考

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで自分史再考 を取り上げるのですか?


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知りたい?

当たり前でしょう? 呼び出しておいて「知りたい?」はないでしょう! オイラが尋ねる前に礼儀として説明するものですよ。。。

じゃあ、まず次のリストを見て欲しいのだよ。。。

 


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『拡大する』


『自分史を書く人は、いい気なものか?』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で9月27日の午後10時28分から翌日28日の午前0時44分までのアクセス者の記録だよ。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



9月27日の午後10時53分に 自分史を書く人は、いい気なものか? を読んだネット市民がいたのですねぇ〜。。。

そうなんだよ。。。実は、東京の世田谷区に住んでいる山根雅美(やまねまさみ)さんが読んだ。

 


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雅美さんは世田谷で何をしているのですか?



神田にある出版社で編集者として働いているのだよ。。。

 


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出版社で編集の仕事をしている晴美さんが、どういうわけで自分史の記事を読んだのですかァ~?



晴美さんも自分史を書こうと思っていたのだよ。。。

それで、自分史を書いている人の記事でも読もうと思ったのですか?

そういうことだよ。。。晴美さんは次の箇所を読んで共感したのだよ。。。

 



自分史を書く人は、

いい気なものか?


 


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あなたは自分史を書いていますか?
僕は書いていますよ。
うひひひひ。。。。


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自分史がどういうものか、見たことがありますか?

フルーツブログ(すでに消滅)をやると、その機能の一つとして自動的に付いてきました。
せっかく、そういう機能が付いているので僕はメモ帳として使い始めたのです。

記事を書いている時に、
“確か、この事はどこかに書いたはずだが。。。?”
“引用するのにあの文章を使いたいのだが、どこに書いたっけ?”
...こういう疑問が頭を持ち上げることって良くありますよね。

そういう時に、ちょっとメモ帳を調べるように見ることが出来たらいいな、と思って
この自分史を書き始めたのです。

非常に便利なのは、項目ごとにリンクを貼ることができるのですよ。
つまり、見出しだけ書いて詳しいことはリンク先に書くことが出来ます。

ところが、最近ではエントリーの数が多すぎて、ある項目を探すのに時間がかかりすぎて現在、ほとんど使っていません。
この自分史には検索機能が付いてないので使い物にならないんですよ。

ただし、日記帳の目次のように利用しています。
月日から、目的の記事を探すには非常に便利です。

ところで、どうして僕が自分史のことを書く気になったのか?
それは、僕の自分史の2006年10月10日のエントリーに書いてありますが、太田さんから、本のコピーを送ったと言うメールをもらったんですよ。
詳しい内容はその項目をクリックすると僕の掲示板に飛んで読むことが出来ます。

太田さんから次の本のコピーを受け取ったのです。


前奏曲集
ー私はアマチュアであるー
作品 1の2

Les Préludes
Je Suis Amateur
Opus 1.2
by Masahiro Ota

著者: 太田将宏
初版: 1989年7月
改定: 2006年5月


幾冊か、もらった内の最新版です。
いつも興味深く読んでいるので、さっそく手にとって読み始めたのです。
最初の章に次のように書いてありました。


0.0 Prélude

(前略)

もともと、言葉の網目は音楽のnuanceをすくいあげるのには粗すぎるので、
音楽そのものについて直接的に表現されたものはすべて嘘である。

例えば、F.Lisztは、二つの深淵の間に咲いた可憐な花、などと L.v.Beethovenの
Klaviersonate in cis-moll (Op.27,Nr.2)の第二楽章を表現していたが、もし、私が、同じ曲に違ったimageを感じたら、何か私が間違っているのであろうか。

仮に、Lisztがそのように感じた事実は事実であったとしても、
気障に気取って他人に話すような事ではない。

私は、これをローマン派の甘えと言いたい。
現代の音楽評論にも、作品につけ、演奏につけ、この類の文章が多すぎる。

(中略)

慇懃無礼に言って、Lisztのような文章を書くことは、私の手に余る。
私たちの出来ることは、音楽を聴いて、客観的な事実に基づいて考えたことを記すことでしかない、と自覚しようではないか。

蛇足(コーダ):

昨今、自分史などを書いている人がいる、と聞いているが、いい気なものだ、と私は思う。

私は、自分のことなどを書いても仕方がない、
と考えている人間である、と自分で思っている。

ただ、それを書くまいとしているわけではないので、書くこともあるかと思うが、そんな場合でも、むしろ、自分そのものではなく、その対象のほうに重きがあることを、ここで、明言しておきたい。




『前奏曲集』の 101ページより抜粋


もちろん、太田さんは僕が自分史を書いていることは知りません。
上の“蛇足”は僕に対してあてつけがましく書いたものではないのです。(笑)

。。。もしかすると、そうかもしれないなあああ~
と考える、ひねくれた心が僕にはありますが、
太田さんはそのような人ではないのです。(苦笑)

いづれにしても、太田さんが本の始めに書いたこの箇所を読んで“自分の事を書くことは、どういう意味があるのか?”
この事に付いて僕は考えさせられたわけなのです。

例えば、レンゲさんのことを書いた僕の記事にダ・ヴィンチさんから次のようなコメントをもらったことがあります。

 


レンゲさんは謙虚で美しいわ





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世の中レンゲさんみたいに
不倫でも純粋に誰かを愛する
真摯な女性がいるのに、
私の知るブログでは、
恋愛なのか性欲処理なのか
無粋な女性がいて困っております。

レンゲさん
もっと自信持って下さい(`∀´)。

家庭を持って迄不倫して
ブログ公開迄して自身の生活を
赤裸々にして得意に成る女と比べたら
貴女は非常に謙虚で美しいのです。

恋愛に悩みは憑き物ですわ。

応援していますわ。

 

by ダ・ヴィンチ

2006/10/08 18:30




『まったり愛されたいの? PART 4』のコメント欄より




(残念ながら、このブログ・プロバイダーもすでに閉鎖)



 


家庭を持って迄不倫して
ブログ公開迄して自身の生活を
赤裸々にして得意に成る女


こういう女が居て、この女の書いたブログをダヴィンチさんが読んで恋愛なのか性欲処理なのか?
無粋な女性がいて困っております。
。。。と書いているわけですよ。

つまり、太田さんが言っていることも、そのようなことなんですよね。

この女は得意になって不倫の性生活を赤裸々に書いている。
本人は得意なつもりなんですよね。
ところが、それを読んでいる人は、そのようには思わない。
それどころか、ダ・ヴィンチさんのように“無粋な女性がいて困”っちゃうわけですよ。

太田さんの言葉を借りれば、
“(得意になって不倫の)自分史などを書いている人がいる、と聞いているが、いい気なものだ”と言うわけですよね。
うへへへへ。。。(爆笑)

そう言う訳で、僕にも太田さんの言おうとしていることが実に良く分かるんですよ。
ブログで性生活を赤裸々に書いて得意になっている上の不倫女は、恐らく読んでいる人の多くがダ・ヴィンチさんのように“困った女だ”と思っただろうし、太田さんならば、“いい気な女だ!”と思うわけですよね。

でもね、僕はちょっと違うんですよ。うへへへへへ。。。


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こういう馬鹿な女が居てもイイと思うのですよ。
むしろ貴重な存在ですよ。

なぜ?

僕は歴史馬鹿だから、ときどき平安時代のミーちゃんハーちゃんがどのような恋愛をしていたのだろうか?
こういう事を考えてみることが、たびたびあるんですよ。
この事は次の記事の中でも書いています。

 


古代史にはロマンがありますよね。


(bond010.gif)

例えば『源氏物語』を読んだとしますよね。

平安時代には男と女はどのように恋愛していたのだろうか?
物語は物語で結局、『源氏物語』は“小説”にすぎないのではないか?

現実に平安時代の、あるいは古代史の中で男と女は
実際にどのような恋愛をしていたのだろうか?

僕は歴史馬鹿ですから、当然そのような疑問が頭を持ち上げてきます。

でもね、そのような事を調べようとしても、
なかなか庶民の恋愛なんて記録に載ってないんですよね。
平安時代や奈良時代のミーちゃんハーちゃんの恋愛日記なんて無いんですよ。

仕方ないから有名人の恋愛を手がかりにするしかない。


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この女性は西暦734年当時16才でした。
どうですか?
なんとなく現在でも通用する容貌を備えていると思いませんか?




『卑弥子さんに誘われて古代史を覗いた人(2006年10月2日)』より

(残念ながら、この掲示板もすでにプロバイダーが消滅)


 

つまり、今から100年後、200年後の歴史馬鹿にとって、上の不倫女が書いた赤裸々な不倫日記は“歴史的に意味を持つ生々しい”ミーちゃんハーちゃんの不倫の記録になりますよ。
歴史研究家ばかりではなく、不倫研究家にも意味がありますよね。

このようなことを考えれば、どのような内容のモノであれ、
例えば落書きさえ、次のように1冊の本になってしまうほどです。

 


『ポンペイ・エロチカ ローマ人の

愛の落書き』


 


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とりわけ自然で開放的な性愛を謳歌した数々のグラフィティには大らかな古代人の息吹きが感じ取れて微笑ましい限り。

オーラル・セックスやパイデラスティアー、レスビアニスムス、マスタベーション等々の自由奔放な表現は、現代の日本社会よりノビノビとしていて、古代ローマ人を羨ましく思う人さえ居ることでしょう。

ただし誤訳が散見されるので、出来ればイタリア語の原書を直接お読みになるか、注釈のラテン文にしっかりと目を通しながらお読みになることをお奨め致します。




『ポンペイ・エロチカ』より

(残念ながら、この掲示板のプロバイダーも消滅)


でもね、たとえば、どんなにすばらしい記事を(あるいは本を)読んだとしても、ある一部の人にとっては太田さんが次に書いているように全く“猫に小判”と言う人だって居るのです。

 


1.2 Georg Philipp Telemann

(前略)

音楽に快楽主義を持ち込んだ。Mozartは厭だ。
---とは、I. Xenakisの言葉であるが、
私には、それはむしろ、G.P. Telemannや、
近代では、Serge Prokofieffのことではないか、と思われるのである。

音楽に快楽的な一面、あるいは要素があるのは私も認めるが、いや、私自身がそれを楽しみに音楽を聴くことも多いのかもしれないが、

一方、何を聴こうが、何を読もうが、自分の生活、人生、それに対する姿勢には影響ない、関係ない、といった種類の人たちと一緒にされたくはない、と言う気持ちが私にはある。

(草子地:とはいえ、そうした人たちにも、人間としての可能性がある、ということは信じたいけれど)。



『前奏曲集』の 105ページより抜粋


 

太田さんの本はクラシックについての本ですが、
僕はクラシックについては良く勉強したことがないのですよ。

クラシックの専門家であれば、太田さんの本からもっと専門的なことが書けるだろうけれど、僕は、このようにしか太田さんの書いた本を消化できない。
また、これで充分だと僕は思っているんですよ。

太田さんも書いているように、
“とはいえ、そうした人たちにも、人間としての可能性がある、ということは信じたいけれど”

僕は太田さんが意図したようには太田さんの本を読めないかもしれないけれど、
“僕の世界”の中で、このように太田さんの本を消化して記事を書くことが出来る。

自分史も、結局、そういうモノではないかと思いますね。
ある人にとっては、“猫に小判”。
書いた人のことを “いい気なものだ” と感じる人だって居る。
また、ダ・ヴィンチさんのように“困ったものだ”と感じる人も居る。
そういう人が出てきても当然です。

なぜなら、人間はさまざまだからです。
十人十色!
つまり、どのようなことを書いてもいいのですよね。

上で紹介したローマ時代のポンペイの落書きは
2000年後に、我われが読むのに充分な興味と関心を引き起こしてくれる。
つまり、歴史的に意味のあるものになっている。

ここで司馬遼太郎さんの言った言葉を引用します。

“作品は作者だけが作るものでは

ないんやでぇ~。

作者と読者の共同作業なんやでぇ~。”


正に名言だと思いますね。

いくらすばらしい作品を作者が書いたつもりで居ても、
読者にそのすばらしさが伝わらなかったら、その作品は駄作です。

つまり、50%の作者の能力と知性と教養と人生経験と
50%の読者の能力と知性と教養と人生経験が合わさって、その作品は100%の真価を発揮できるものだという事でしょうね。

要するに作者は読者が分かり易いように書く。
読者は作者の言おうとすることを充分に汲み取る。

しかし、残念ながら、作者と読者の共有できる能力と知性と教養と人生経験がなかったら作者の意図することが充分に読者に伝わらない。

それにもかかわらず、読者に理解させるのが作者の力量でしょうね。
つまり、エピソードや具体例を書いて経験不足の読者に分かり易く書く。

でも、上のポンペイの落書きのように
その時には下らないものでも、
もし、読む人の能力と知性と教養と人生経験が豊かであるならば、興味深い意味のある読み物となることもある。

つまり、読者は作者の言おうとしている以上の内容を読み取ることも可能です!

こうして考えてくれば、どのような事でも書いて意味のあるものではないか?
そう思いませんか?

ただし、例外があります。
ネットでのスパムコメントです。

土足で上がりこんで来るなと言うのに、土足で上がり込んで来る。
それが、迷惑スパムコメントです。
記事の内容にこだわりなく、メッタやたらにコメントを飛ばす。
これは世界のネチケットに反することですよね。

これ以外なら、原則として何を書いても良いのではないか?
もちろん、アダルトサイトでないサイトにアダルト用のコメントを書くのはまずいですよね。
これもネチケットですよね。

あなたも、迷惑スパムだけはしないで下さいね。

では、また。。。




『自分史を書く人は、いい気なものか?』より
(2006年10月20日)


 



なるほどォ~、この上の文章を読んで晴美さんも他人に迷惑をかけるようなことを書くのはいけないけれど、それでなければ、どのようなことでも書いていいのだと共感したのですか?



そういうことだよ。。。

つまり、表現の自由、言論の自由ですねぇ~。。。

でも、ネットをサーフィンしていると、表現の自由と言論の自由を自分勝手に解釈して犯罪まがいのことをしている愚か者がいるんだよ。。。

マジで。。。?

神武君と現実君が、そのよい例だよ。。。

 



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『セクハラ止めない神武君』





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『現実主義者 馬鹿の見本』



 



この二人はニートで、家に引きこもりながら神武君は他人になりすまして、セクハラ、名誉毀損、誹謗中傷、嫌がらせのコメントを書きまわっている。。。現実君も しきりに嫌がらせのコメントを書きまわっていた。。。最近、現実君は元気がなくて、どうやら落ち込んでいるようだ。。。



デンマンさんが現実君のことをネットで晒しまくったので、落ち込んでしまったのではありませんかァ~?

現実君は、そのようなセンシティブで繊細な心を持ってないよ。。。

とにかく、表現の自由、言論の自由があろうとも セクハラ、名誉毀損、誹謗中傷、嫌がらせのコメントを書きまわるのは やってはいけないことですよ。。。

でも、オマエも人のことは言えないよ。。。

オイラが、何か悪い事でもしましたかァ~?

オマエだって、僕のブログに嫌がらせのコメントをずいぶんと書いたじゃないかァ~。。。

 




『成りすまし老人』


 



でも、オイラは反省してデンマンさんのブログには嫌がらせのコメントを書くのを止めました。。。そこがオイラと神武君や現実君とは違うところです。。。うへへへへへ。。。



でも、そのうちまた書き始めるのじゃないかァ~?

いや。。。そんな事はありません。。。デンマンさんに晒されて凝りましたから。。。



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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

貴方もセクハラ、名誉毀損、誹謗中傷、嫌がらせのコメントを書く事だけは止めてくださいねぇ~
。。。

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、何か他に面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調であたしに命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

実は、デンマンさんは太田さんについて

しばしばコケにした記事を書いて

ネット上にアップしたのです。

そういうわけで、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのですわ。。。

 


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

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軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


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■ 『クラシック鑑賞 3』

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■ 『彌年不得意』

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■ 『トルコの女狐』

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■ 『紐パンタグ』


■ 『トルコ狐』




(juneswim.jpg)


『センスあるランジェリー』



(byebye.gif)
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宝暦の恨みを明治維新で

2023-10-11 01:27:27 | 歴史四方山話

 

宝暦の恨みを明治維新で

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“宝暦の恨みを明治維新で”というタイトルにしたのでござ~♪~ますのォ~。。。?


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あのねぇ~、たまたま夕べ バンクーバー市立図書館で借りた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 


宝暦治水

 


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中部地方には、「木曽三川」といわれる河川(揖斐川・長良川・木曽川)がある。

これらの河川は、岐阜県海津市あたりできわめて近接して流れており、昔はそれぞれの河川で洪水があるたびに、流路をまたがって流れたため、一流域で大雨が降ると、それが全下流域に及ぶといった被害がたびたび発生した。

そこで、江戸幕府は、この三川の近接部をきちんと分流することとし、木曽川は木曽川の流路、長良川は長良川の流路、揖斐川は揖斐川の流路になるよう、三川を分離する治水工事を実施することにした。

島津藩に御手伝い普請を命じて行わせたこれは「宝暦治水」(1754年~1755年)と呼ばれている。

この工事はきわめて難工事であったため、多数の島津藩士が病死したり自害したりした。

また、予想外の費用がかかったことから、工事責任者であった島津藩家老の平田靱負は、工事完了時に切腹して責任を取った。



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しかし、江戸時代の技術力ではこの三川を分離することは不可能だった。

木曽三川が完全に分流され今日の姿になったのは、明治以降の治水努力の成果なのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


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74-76ページ 『国土が日本人の謎を解く』
著者: 大石久和
2015(平成27)年9月16日 第5刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



この部分を読んで、僕が中学生の時の歴史の時間に先生が言った事を思い出したのですよ。。。



つまり、歴史の先生が“宝暦の恨みを明治維新で”と言ったのでござ~ますかァ~?

そうなのです。。。 この部分を読まなかったら、その歴史の先生のことなど思い出すことはなかったでしょうねぇ~。。。

。。。で、その先生のお名前は。。。?

それが、全く記憶にない。。。 思い出そうとしても思い出せない。。。 ところが、上の「宝暦治水」を読んだら、その先生の言った事だけは鮮やかに思い出されたのですよ。。。 その先生の姿や行田中学2年の時の教室までも はっきりと思い出すことができた。。。 不思議と言えば不思議ですよ。。。

デンマンさんは、中学生の頃から歴史に興味があったのでござ~ますかァ~?

好きでしたねぇ~。。。 好奇心を刺激されました。。。 それに、その先生も歴史にハマッていたのですよ。。。 かなり熱のこもった授業でした。。。

。。。で、この「宝暦治水」というのは、江戸幕府が島津藩の恨みを買うほどのひどい工事だったのですか?

それは、それは、ひどい工事だったのですよ。。。

 


宝暦治水事件

 


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宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸時代中期に起きた事件。
幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老平田靱負も自害した。

宝暦治水とは、江戸時代の宝暦年間(1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月)、幕命により薩摩藩が行った治水工事。
濃尾平野の治水対策で、木曽川、長良川、揖斐川の分流工事。三川分流治水ともいう。

木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を貫流し、下流の川底が高いことに加え、三川が複雑に合流、分流を繰り返す地形であることや、小領の分立する美濃国では各領主の利害が対立し統一的な治水対策を採ることが難しかったことから、洪水が多発していた。
また、美濃国側では尾張藩の御囲堤より3尺(91cm)以上低い堤しか作ってはいけなかったとする伝承もある。

1735年(享保20年)、美濃郡の代官であった井沢為永(井沢弥惣兵衛)が三川の調査の上で分流工事を立案したが、この時はあまりに大規模な案であり、財政難の幕府の許可が下りなかったとされる。
このとき立案された計画が後に宝暦治水に利用されたと言われているが、確たる証拠はない。
ただし、それ以前も以降も輪中地域の住人は三川分流を幕府へ度々願い出ていた。

幕府は延享4年(1747年)に二本松藩主丹羽高庸に対し、井沢の案を規模縮小した形で御手伝普請として治水工事を命じたが、これが完成してもなお抜本的解決にはなり得なかった。

時代が下るにつれて木曽三川流域は土砂の堆積や新田開発による遊水地の減少により洪水による被害がさらに激化していった。
1753年(宝暦3年)12月28日、第九代将軍徳川家重は薩摩藩主島津重年に手伝普請という形で正式に川普請工事を命じた。
この普請は幕府の指揮監督の下、薩摩藩が資金を準備し人足の動員や資材の手配をする形態であった。
また地元の村方を救済するため、町人請負を基本的に禁止して村請により地元に金が落ちる方針を取った。

1754年(宝暦4年)1月16日薩摩藩は家老の平田靱負に総奉行、大目付伊集院十蔵を副奉行に任命し、藩士を現地に派遣して工事にあたらせた。
度々水害に見舞われ貧窮する輪中地域の住民を労働に当てて救済する目的もあり、通常の公儀普請に比べて割高な賃金を工事に関して経験や技術の乏しい地元住民に支払うことを余儀なくされた。
また、工事が進んでいたところを水害に見舞われ工事済みの部分が破壊されることもあった。
さらに見試し工法によって工事が進められたため、工事の設計が途中で変更されることがしばしばあったことにより当初予想されたよりも大量の費用が必要となった。

宝暦治水は設計、計画は幕府によって行われるお手伝い普請であり、幕府側の総責任者は勘定奉行一色政沆、監督者として水行奉行高木新兵衛が命じられている。
高木は自家の家臣のみでは手に余ると判断し、急遽治水に長けた内藤十左衛門を雇っている。

事件概要

当時すでに66万両もの借入金があり財政が逼迫していた薩摩藩では、工事普請の知らせを受けて幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論が続出した。
財政担当家老であった平田靱負は強硬論を抑え薩摩藩は普請請書を1754年(宝暦4年)1月21日幕府へ送った。

同年1月29日には総奉行平田靱負、1月30日には副奉行伊集院十蔵がそれぞれ藩士を率いて薩摩を出発。
工事に従事した薩摩藩士は追加派遣された人数も含め総勢947名であった。

同年2月16日に大坂に到着した平田は、その後も大坂に残り工事に対する金策を行い、砂糖を担保に7万両を借入し同年閏2月9日美濃に入った。
工事は同年2月27日に鍬入れ式を行い着工した。

最初の犠牲者

1754年(宝暦4年)4月14日。薩摩藩士の永吉惣兵衛、音方貞淵の両名が自害した。
両名が管理していた現場で3度にわたり堤が破壊され、その指揮を執っていたのが幕府の役人であることがわかり、その抗議の自害であった。

以後合わせて61名が自害を図ったが平田は幕府への抗議と疑われることを恐れたのと、割腹がお家断絶の可能性もあったことから自害である旨は届けなかった。
また、この工事中には幕府側からも、現場の責任者が地元の庄屋とのもめ事や、幕府側上部の思惑に翻弄されるなどして、内藤十左衛門ら2名が自害している。
さらに、人柱として1名が殺害された。


幕府側は工事への嫌がらせだけでなく、食事も重労働にも拘らず一汁一菜と規制しさらに蓑、草履までも安価で売らぬよう地元農民に指示した。
ただし経費節減の観点から普請役人への応接を行う村方に一汁一菜のお触れを出すことは当時は普通のことであった。

赤痢

1754年(宝暦4年)8月には薩摩工事方に赤痢が流行し、粗末な食事と過酷な労働で体力が弱っていた者が多く、157名が病に倒れ32名が病死した。

1755年(宝暦5年)5月22日工事が完了し幕府の見方を終え、同年5月24日に総奉行平田靱負はその旨を書面にして国許に報告した。
その翌日5月25日早朝美濃大牧の本小屋で平田は割腹自殺した。


(kokudo12.jpg)

辞世の句は以下のとおり:


住み馴れし
 

里も今更
 

名残にて、
 

立ちぞわずらう
 

美濃の大牧

 


(kokudo15.jpg)

 



薩摩藩が最終的に要した費用は約40万両(現在の金額にして300億円以上と推定)。

大坂の商人からは22万298両を借入。
返済は領内の税から充てられることとなり、特に奄美群島のサトウキビは収入源として重視され、住民へのサトウキビ栽培の強要と収奪を行った。
現地では薩摩藩への怨嗟から「黒糖地獄」と呼ばれた。

その後

この工事は一定の成果を上げ、治水効果は木曽三川の下流地域300か村に及んだ。
ただし長良川上流域においては逆に洪水が増加するという問題を残した。
これは完成した堤が長良川河床への土砂の堆積を促したためと指摘されている。

薩摩藩では治水事業が終了したあとも現地に代官を派遣したが後に彼らは尾張藩に組み込まれている。
その後、近代土木技術を用いた本格的な治水工事は、明治初期に「お雇い外国人」ヨハニス・デ・レーケの指導による木曽三川分流工事によって初めて行われた。

1900年(明治33年)の分流工事完成時に、宝暦治水碑が千本松原南端に建てられている。
1938年(昭和13年)には、平田靱負ら85名の薩摩藩士殉職者を、「祭神」として顕彰するために『治水神社』(所在地:岐阜県海津市海津町油島(旧海津郡海津町))が建立された。

岐阜県と旧薩摩藩の大部分を継承する鹿児島県は、これが縁で1971年(昭和46年)7月27日に姉妹県盟約を締結しており、両県は、県教育委員会同士の交流研修として、お互いの県に小中高校教員を転任させている。
2007年(平成19年)より岐阜県では他県への教職員派遣を止める事にしたが、鹿児島県のみ継続している。
鹿児島県で発生した平成5年8月豪雨の際は岐阜県より復旧支援の土木専門職員が派遣され支援に当たった。
岐阜県海津市と鹿児島県霧島市は、これが縁で友好提携を結んでいる。




出典: 「宝暦治水事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



そもそも、なんで とんでもなく遠い鹿児島にある島津藩が岐阜の治水工事を命ぜられたのござ~ますかァ?



あのねぇ~、18世紀の中頃、島津藩は琉球との貿易によって財力を得ていたのですよ。。。 だから、徳川幕府のお偉方は、島津藩を恐れていた。

つまり、島津藩が財力に物を言わせて 幕府に抵抗して謀反を起こすと考えたのでござ~ますかァ~?

そうですよ。。。 いつの時代にもスパイが活躍しているのです。。。 そのスパイが幕府のお偉方に“島津藩に注意せよ!”と告げ口するわけです。。。

でも。。。、でも。。。、上の説明によると、工事を命令された当時、島津藩はすでに66万両もの借入金があり財政が逼迫していたというではござ~ませんかァ!

でもねぇ~、幕府としては、スパイの言うことを信じるわけですよ。。。 事実、島津藩は琉球と密貿易をしていたのだから。。。

要するに、幕府のお偉方は島津藩の密貿易の証拠を握っていたわけですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 だから、幕府の命令を 島津藩は断固として断るわけにはゆかなかったのですよ。。。

でも、島津藩からすれば、“嫌がらせ”以外の何物でもないわけですよねぇ~。。。

そうです。。。 幕府のお偉方だって、うすうす島津藩の台所事情が良くない事ぐらい知っていたはずです。。。 でもねぇ~、この際、島津藩の財力を ごっそりとそぎとってやろうという意地悪な気持ちが頭をもたげたのですよ。。。 島津藩が貧乏になれば、幕府のお偉方は枕を高くしてグッスリと眠れるわけだから。。。

つまり、わざと難工事を島津藩に押し付けたわけでござ~ますかァ?

島津藩の財力を弱らせるには、一番それが手っ取り早い方法だからですよ。。。 だから、工事費用は島津藩が全額負担とした。。。 それに加えて幕府は、大工などの専門職人を一切雇ってはならないと命令した。

どうして、そういう命令を出したのでござ~ますかァ?

専門職人がいなければ、所々でミスをやらかすわけですよ。。。 そうなれば、幕府はやり直しを命ずることができる。。。そうなれば、ますます島津藩はお金を使うことになる。。。

そうやって、イジメながら島津藩を貧乏にするためなのですかァ~?

そういうことです。。。 幕府のやり方は マジで汚いのですよゥ。

工事に携(たずさ)わった島津藩士はアタマにきたでしょうねぇ~?

当然でしょう!。。。 僕が島津藩家老の平田靱負ならば、絶対に我慢できませんよ。

デンマンさんならば、どうなさるのですかァ~?

琉球は幕府には内緒で清国とも密貿易をしていた。。。 もちろん、その事は公然の秘密だった。。。 だから、僕が島津藩家老の平田靱負ならば「そのような無理を幕府が我が藩に課するならば、我が藩は清国と琉球と共同戦線を組んで幕府と一戦を構える覚悟です」と幕府の重役たちに言いきかせますよ。。。

つまり、脅(おど)しをかけるのでござ~ますか?

当たり前でしょう!

18世紀の中ほどにデンマンさんが島津藩に生きていなくて良かったと思いますわァ。。。 もし、それが現実になったら、日本の歴史は変わっていたでござ~ましょうねぇ~。。。

だいたい、幕府のやり方が汚すぎるのですよ。。。 幕府のやり方は露骨な弾圧ですよ!。。。 島津藩が恨みに思うのも もっともです。。。 とにかく、平田靱負は、平和を愛する人だったに違いないのです。。。 我慢に我慢を重ねた。。。 40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂豪商から借金を重ね、幕府へもたびたび専門職人の雇用許可を要請した。

許可がおりたのでござ~ますかァ?

もちろん、幕府は度重なる願い事もすべて退けたのですよ。。。 むちゃくちゃですよ。。。 しかも、工事のやり直しを命じることがしばしばだった。。。 だから、工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病による死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士達も続出した。

ちょっとひどいですわよねぇ~。。。

だから、幕府の監視役の中からも、島津藩に同情する良心的な人物までが出てきた。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

薩摩藩に同情して抗議の切腹を行う幕府の監視役の武士が二名いたのですよ。。。

あらっ。。。 感動させるエピソードですわァ~。

ところが、平田靱負は、あくまでも平和を愛する人物のようです。。。 切腹した島津藩士が 51人も出たというのに、幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理していたのですよ。。。

それで、最終的に工事が終わった時点で、平田靱負は50歳で切腹して果てたのでござ~ますか?

そうなのです。。。 分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したのだけれど、平田靱負は藩への多大な負担の責任を取って自害した。。。 さらに、島津藩主の島津重年も心労で、後を追うように翌月に27歳で病没しているのです。

マジで。。。?

ところが、この話の元になっている史料は、昭和29年に発行された「宝暦治水と薩摩義士」という書物なのですよ。。。 でもねぇ~、それ以前の史料には平田靱負が自害した記録が無いとされている。

あらっ。。。 それってぇ、どういうわけでござ~ますか?

それどころか「島津氏世録正統系図」には、「平田は昨年から病気でいまだ回復せず、さらに胃を病んで5月24日数度吐血し、25日死す」と書かれている。

あらっ。。。 じゃあ、「平田靱負が藩への多大な負担の責任を取って自害した」というのは、創作された美談なのでござ~ますか?

ただし「同時代の公式記録に自刃という出来事を載せない」という慣習が島津藩にはあったという歴史家もいるのですよ。。。

真相はどうなのでござ~ますか?

あのねぇ~、島津藩主の島津重年が心労で、27歳の若さで亡くなってしまったのですよ。。。 そのことを考えれば、50歳の平田靱負も、工事が終了したときには、病気で棺桶に片足が入っていたとしてもおかしくない。

つまり、平田靱負の死を無駄にしないために、「平田靱負が藩への多大な負担の責任を取って自害した」という美談に仕立て上げたのでござ~ますか?

僕は、そうだと思います。。。 そうすることにより、島津藩が長州藩と一緒に弾圧政府の江戸幕府を倒して明治維新を断行したという正当な理由にしたと思うのですよ。




初出:2016年10月8日



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

確かに、江戸幕府のやり方はひどすぎたのでござ~ますわァ。
遅かれ早かれ、幕府は倒されて近代日本が生まれるのは宿命だったのかもしれませんわねぇ~。。。

ところで、個人的なことになりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

そうでしょうねぇ~。。。 あたくしだって、デンマンさんの お話を聞いていて なんとなく 騙されているような気になるのですものォ~。。。 

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。
つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。
“寅さん”のような人でもいいですわ。
旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。
あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。

 


(tora019.jpg)



 

ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。
たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(hama10.jpg)

『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


(banana82e.jpg)

『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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