カズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」
先週ラジオをふとつけるとアナウンサーから多部未華子がインタビューを受けていた。どうやら5/30から梅田のシアタードラマシティーでにながわユキオ演出で「わたしを離さないで」という舞台をする宣伝。
多部未華子はNHK朝ドラのヒロインをやったことがあったので、朝ドラをもう20年以上見続けている私にもなじみのある女優。それから興味をもってピノキオの少年役と数年後の美少女役はとってもよかったな。ただ顔は鞘師里保みたいな一重でかわいいのかかわいくないのかよくわからない顔立ちだったなと記憶している。そんなわけで原作を読んでみようと、視覚障害者のための録音図書データダウンロードサイトサピエ図書館でダウンロードしてさそく読んでみた。網膜色素変性症な私デスペア。もう目で本は読めないのでボランティアさんが朗読してくれた録音図書を耳で聞く。12時間あったが一気に読んだ。昨日の夜どんどん物語にひきこまれていって、気付いたら朝の4時まで聞いていた。物語の後半マダムとの再会のシーンで泣いた私。
この物語は、前半は、とあるイギリスの町の全寮制の学校の寄宿舎での少年少女のたわいもないエピソードが語られる。6才から16才までのこどもたちが一緒に寄宿舎で寝起きし学校生活をおくる。友達をからかったり、友達のもっているものがうらやましかったり、こわい先生の陰口をいったり、男子を意識したりとなつかしい学校生活。
ただ、なにかがおかしい。この寄宿舎はなぜか外部と隔離されていて、この子供たちには親がいないよう、かといって子供たちは悲しそうでもなくいつも楽しげ。さらに読み進めていくと、どうやらこの子供たちにはある使命があり、将来大きくなったら映画スターになるとか、運転手になるとか、、オフィスレディーとして働くということはできない。ある使命を果たすことが義務付けられている。
その使命とは、まさしく漢字のとおり、「命を使う」こと。将来のある時期がきたらその使命を徐々にはたさなければならない。ただそれが強制されているようでされていない、子供たちはすこしの違和感を覚えながらも、その使命をはたすべく、納得していく。物語は残酷なんだけど、それが当たり前かのように淡々と物語は進行していく。
この子供たちはその使命をうまくはたすべく、みんな子供はうめないからだなのだが、その意味もわからない10才ぐらいの少女が、部屋でNever let me goをテープで聞きながら、枕を胸にだいて、その枕を赤ん坊にみたてて、歌詞の一部のベイビーベイビーと口ずさむ。少女は自分がこどもをうめないからだだということになんとなく気付いているがそれがどういった意味なのかはわからない。そんな少女が本能的にか赤ん坊をイメージして枕をだいて口ずさむ。ベイビーベイビーと。
物語の終盤、そのシーンが再度でてきて、そこで私は泣いた。その少女はすでに30才ちかくになっていて氏名を果たすべき時がちかづいている。そこでベイビーベイビー。布団の上でねころがって聞いていた私だったが、上体ををおこしてボロボロないた。小さいころから隔離された寄宿舎で育ち、30になる前に指名をはたさなければならない。その後はなにもない。そして彼女たちは誰かを愛してよりそって生きていくということができない。
まるでハロプロのようだと思った。9才ぐらいからハロプロエッグ研修生としてレッスンを積み、アイドルをめざしデビューする。そのときメンバーは普通の中高生のような学校生活はおくれずましてや恋愛は禁止されている。ただ禁止されているといっても強制じゃなくていつでも恋愛はできるのだが
それを自主規制しているメンバー。わたしを離さないでの少年少女のように、はたから見ればそんな氏名はなげすてて自分の本能のまま自分の自由意思のままにいきたらいいじゃんと読者はおもうのだけど、彼女たちはそうしない。そもそもそういう考えがないように思う。ハロプロメンバーも同じ。
元ハロプロのカントリー娘のみうなこと斉藤美海が最近のブログで、アイドルをやっていて失ったものは、自発的に考えて行動することだと言っている。アイドルはいわれた衣装をきていわれたとおりんいうまくこなせることが大事でそれが認められることと言っている。
そのとおりだと思う。ネットではこのみうなのブログに批判もあるようだが、真実だと思う。というかそうであるからこそアイドルは愛おしいのだと思う。アイドルという氏名を果たすために、無邪気に意識的に無意識的に自分の意志というのをおしこんでいる。そんなに自己抑制しても30になるころにはアイドルという氏名を果たして、そこからはもうアイドルとして生きていけない。なんでそこまで頑張るの、なんで何も疑わず信じてるの。涙がでてくる。
わたしを離さないでの中で、マダムが、枕をだいてベイビーベイビーと口づサム少女を見て、動揺し方を震わせながらないている。このマダムと少女の関係は、アイドルヲタとアイドルのそれと同じ。
わかるかなぁわかんないだろうなぁ。私のこの心境を知りたい人はぜひわたしを離さないでの本を読んでっ見てね。読んで登場人物のキャシーやルースやトミーがとっても愛おしい区感じられたら、あなたはきっとハロプロももっと愛おしく感じられますよ。
p.s.
この前の日曜日に行った℃-uteコンサートでは開演前にに客席BGMとしてベイビーベイビーベイビーOHベイビーと繰り返す歌が流れていた。たしか数年前にはやった少年が歌うイギリスかどっかのポップス。なんかシンクロニシティーだった。
そして、今日4/29に山口で行われたモーニング娘。コンサートツアーで道重さゆみの今秋をもっての娘卒業が発表された。過去もっとも自らの使命を自覚しそしてもっともその使命を果たしたのが道重さゆみである。
先週ラジオをふとつけるとアナウンサーから多部未華子がインタビューを受けていた。どうやら5/30から梅田のシアタードラマシティーでにながわユキオ演出で「わたしを離さないで」という舞台をする宣伝。
多部未華子はNHK朝ドラのヒロインをやったことがあったので、朝ドラをもう20年以上見続けている私にもなじみのある女優。それから興味をもってピノキオの少年役と数年後の美少女役はとってもよかったな。ただ顔は鞘師里保みたいな一重でかわいいのかかわいくないのかよくわからない顔立ちだったなと記憶している。そんなわけで原作を読んでみようと、視覚障害者のための録音図書データダウンロードサイトサピエ図書館でダウンロードしてさそく読んでみた。網膜色素変性症な私デスペア。もう目で本は読めないのでボランティアさんが朗読してくれた録音図書を耳で聞く。12時間あったが一気に読んだ。昨日の夜どんどん物語にひきこまれていって、気付いたら朝の4時まで聞いていた。物語の後半マダムとの再会のシーンで泣いた私。
この物語は、前半は、とあるイギリスの町の全寮制の学校の寄宿舎での少年少女のたわいもないエピソードが語られる。6才から16才までのこどもたちが一緒に寄宿舎で寝起きし学校生活をおくる。友達をからかったり、友達のもっているものがうらやましかったり、こわい先生の陰口をいったり、男子を意識したりとなつかしい学校生活。
ただ、なにかがおかしい。この寄宿舎はなぜか外部と隔離されていて、この子供たちには親がいないよう、かといって子供たちは悲しそうでもなくいつも楽しげ。さらに読み進めていくと、どうやらこの子供たちにはある使命があり、将来大きくなったら映画スターになるとか、運転手になるとか、、オフィスレディーとして働くということはできない。ある使命を果たすことが義務付けられている。
その使命とは、まさしく漢字のとおり、「命を使う」こと。将来のある時期がきたらその使命を徐々にはたさなければならない。ただそれが強制されているようでされていない、子供たちはすこしの違和感を覚えながらも、その使命をはたすべく、納得していく。物語は残酷なんだけど、それが当たり前かのように淡々と物語は進行していく。
この子供たちはその使命をうまくはたすべく、みんな子供はうめないからだなのだが、その意味もわからない10才ぐらいの少女が、部屋でNever let me goをテープで聞きながら、枕を胸にだいて、その枕を赤ん坊にみたてて、歌詞の一部のベイビーベイビーと口ずさむ。少女は自分がこどもをうめないからだだということになんとなく気付いているがそれがどういった意味なのかはわからない。そんな少女が本能的にか赤ん坊をイメージして枕をだいて口ずさむ。ベイビーベイビーと。
物語の終盤、そのシーンが再度でてきて、そこで私は泣いた。その少女はすでに30才ちかくになっていて氏名を果たすべき時がちかづいている。そこでベイビーベイビー。布団の上でねころがって聞いていた私だったが、上体ををおこしてボロボロないた。小さいころから隔離された寄宿舎で育ち、30になる前に指名をはたさなければならない。その後はなにもない。そして彼女たちは誰かを愛してよりそって生きていくということができない。
まるでハロプロのようだと思った。9才ぐらいからハロプロエッグ研修生としてレッスンを積み、アイドルをめざしデビューする。そのときメンバーは普通の中高生のような学校生活はおくれずましてや恋愛は禁止されている。ただ禁止されているといっても強制じゃなくていつでも恋愛はできるのだが
それを自主規制しているメンバー。わたしを離さないでの少年少女のように、はたから見ればそんな氏名はなげすてて自分の本能のまま自分の自由意思のままにいきたらいいじゃんと読者はおもうのだけど、彼女たちはそうしない。そもそもそういう考えがないように思う。ハロプロメンバーも同じ。
元ハロプロのカントリー娘のみうなこと斉藤美海が最近のブログで、アイドルをやっていて失ったものは、自発的に考えて行動することだと言っている。アイドルはいわれた衣装をきていわれたとおりんいうまくこなせることが大事でそれが認められることと言っている。
そのとおりだと思う。ネットではこのみうなのブログに批判もあるようだが、真実だと思う。というかそうであるからこそアイドルは愛おしいのだと思う。アイドルという氏名を果たすために、無邪気に意識的に無意識的に自分の意志というのをおしこんでいる。そんなに自己抑制しても30になるころにはアイドルという氏名を果たして、そこからはもうアイドルとして生きていけない。なんでそこまで頑張るの、なんで何も疑わず信じてるの。涙がでてくる。
わたしを離さないでの中で、マダムが、枕をだいてベイビーベイビーと口づサム少女を見て、動揺し方を震わせながらないている。このマダムと少女の関係は、アイドルヲタとアイドルのそれと同じ。
わかるかなぁわかんないだろうなぁ。私のこの心境を知りたい人はぜひわたしを離さないでの本を読んでっ見てね。読んで登場人物のキャシーやルースやトミーがとっても愛おしい区感じられたら、あなたはきっとハロプロももっと愛おしく感じられますよ。
p.s.
この前の日曜日に行った℃-uteコンサートでは開演前にに客席BGMとしてベイビーベイビーベイビーOHベイビーと繰り返す歌が流れていた。たしか数年前にはやった少年が歌うイギリスかどっかのポップス。なんかシンクロニシティーだった。
そして、今日4/29に山口で行われたモーニング娘。コンサートツアーで道重さゆみの今秋をもっての娘卒業が発表された。過去もっとも自らの使命を自覚しそしてもっともその使命を果たしたのが道重さゆみである。