神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

神は、脳がつくった。-【4】-

2021年06月21日 | キリスト教
【人類は進化し、携帯を持つサラリーマンになった】


 さて、わたしはクリスチャンでイエスさまのことを信じていますが、一旦ここでリセットボタンを押して、仮に「神は人間の脳の進化の産物で、ゆえに神というのは自分の頭が作りだしたものだ」としてみましょう。

 人間が神を作り出したのは、死への恐怖を乗り越えるため……というのは、多くの方が「まあ、なんとなくわかる」と感じることだと思います。何故なら、もし神がおらず死後の天国も来世もないのだとすれば、わたしたちは究極、一体なんのために生きているのでしょうか?

 科学の標準理論というものによれば、この世界というのは宇宙でビッグバンが起きて以降、ずっと偶然の連なりによって続いてきたと言っているわけです。地球という惑星が生まれたのも偶然なら、そこに意識なるものを持つ人類が誕生したのも――すべて偶然の連続によって、ということになると思います。

 けれども、地球の誕生や、その後の生命の誕生の過程などにも言えることですが、何かほんのちょっとの誤差が生じていたとすれば……地球もまた、他の木星や金星などの惑星と同じく、ヒトというものが存在しない惑星になっていたわけですよね。また、「恐竜が滅んだのは、その後哺乳類が進化し、最終的に意識を持つ今の我々のような人類が生まれるためであったとしか思えない」とおっしゃる科学者の方もいます。

 つまり、それを「信じるか・信じないか」は別として――普段はわたしたちが住んでいるこの地球も、物理や自然の法則その他に規則正しく従っているものだと思います。けれど、ある瞬間、確かに神の手が入ったという、歴史上のはっきりとした刻み目のようなものが確認されることがあるわけです。

 たとえば、キリスト教でいえば、旧約聖書の出エジプトや、新約聖書のイエス・キリストの誕生、ペンテコステなど、「神さまの約束が成就する瞬間」というのが確かにあるわけですが、その間、何百年も時間が空いていて待たされたりもするわけです(^^;)

 いえ、まだキリスト教の神のことを持ち出すのは早いですね。とにかく、もしこの世界に神が存在しないとなれば――もし神という存在が、人間が顕微鏡を覗いて、そこに張りついている70億以上もの細菌を確認するように……地球上にもそのような人間という名の存在が張りついているだけだと認識するだけなのだとしたら、「神は、脳がつくった」の結論というのは、この科学的真実を裏付けるものとも言えます。

 けれども、こうした議論について、「ふむふむ。なかなか面白いな」とわたしたちが思ったとして……実際のところ、大切なのはそこではないわけですよね。問題は、この宇宙全体、地球のすべてが偶然の連続によって出来たにせよ、あるいは神がそのすべてを創造したにせよ、「神という存在は、真実本当に我々を幸福にする存在なのか否か」ということが重要なのではないでしょうか。

「神は、脳がつくった」の中には、(わたしたちの脳が造りだした)神がいることのメリットとデメリットについても書かれています。つまり、現在であればイスラム教の過激派テロなどがそうであるように、一神教の場合は「おまえと我々のどちらの神が本当の神か」ということで争いが起きるわけですし、これは古代の時代でも同じだったと言います。ふたつ、あるいはふたつ以上の複数の国が争う時、侵略した側の国が、征服した国の神殿や、そこに祭られた神々の像などを破壊し尽くすということはよくあったことでしょう。

 また、メリットとしては、あるまとまったひとつの集団の結束を高め、生産性を上げる、協力関係を深める……といったことが上げられるかと思います。こうした場合、それが偽りの神であれ、人間にとって神はいないよりもいたほうがいい存在となる。やはり、人間が社会生活を営むにおいて、「神さまが見てるよ!」とか、「生前に悪いことばかりしてると、天国へ行けなくなるよ!」といった、すべての人が共有しているといっていい道徳的規範を守るというのは、かなりのところ重要なことでもありますよね。

 けれど、普段信奉しているこの神、あるいは神々が、人生で究極的に困窮した時、助けてくれなかったとしたら――「神はいない」、あるいは「いても、顕微鏡で地球を覗き、そこから細菌のような小さな人間たちが自分の欲望を中心にして動きまわるのを見物してるだけ」なら、そんな神はわたしにもあなたにも必要ないということになるのではないでしょうか。

 つまり、「神は、脳がつくった」の話に沿うとしたなら、人間は最初は「心が空白」だったのが進化し、その後心の理論を手に入れ、さらには進化しすぎた脳を持ってしまったがゆえに、「いつか人は必ず死ぬ」ということに気づいてしまった。そしてその、わたしたち人間の「進化」というのは今も続いているわけです。

 わたしたち現代ホモ・サピエンスのご先祖さまは、「この世界には神がいる」、「わたしたちの行いすべてを見つめている神が」といったように感じ考え、色々なたくさんの神々を作りだしてきました。でもその後、さらに進化したわたしたちは、エジプトの人々があんなにもせっせとミイラ作りに励んでいたことは無意味だったと知っていますし、今も太陽神ラーを「我が神よおっ!!」と叫び崇めようと考える人はいないでしょう。

 その中で、何故キリスト教が特異な立場を占めるのか、あるいは現在世界の三大宗教と言われる仏教・イスラム教・キリスト教が信徒数も多く、今後も生き残りそうな見通しがあるのは何故か――このあたりを説明しだすと長くなりますので端折りますが、キリスト教に関していえば父なる神と子なる神、聖霊なる神という三位一体の神をただひとりの<神>としています。そして、教会で信仰告白し、この「聖霊なる神」の聖霊を与えられると、「イエス・キリストは神の子である」ということに同意し、聖書に書かれていることはすべて真実である……誰に洗脳されたというのでもなく、そのように信じるようになるわけです。

「え~っと、だからさ、そこのところがキリスト教徒じゃない人たちにはわかんないわけよ」と、ノンクリスチャンの方がそう思うのは当然ですし、わたしもキリスト教を信じていなかった頃は、「ここが変だよ、キリスト教」といった疑問を、いくつも持っていました。

 けれど、ノンクリスチャンの方に理解していただけるかどうかはわからないにしても、わたし、この「神は、脳がつくった」という一連の記事を書きはじめる前に――偶然、マーリン・キャロザース先生の「讃美の力」という本を何度目かに読み、「わたしたちが神を信じるのは、わたしたちの批判的知性というコントロール・センターを通らずに起きることだ」と、あらためてそう思いました。

 実際、その通りなのです。わたし自身、こうした一連の問題について悩み労してる方の、多少の参考にでもなればと思い、こうした記事を書いているわけですが、わたしたちの脳の中にもし神がいるとすれば、それは側頭葉であろう……といった、そうした理由について読んでも、わたしの心は一切揺るぎませんし、信仰のほうも一向信じないほうへ動くということがありません。

 これは、わたしが単に妄信的にイエス・キリストを信じているからではなく、今まで書いてきたとおり、さらにはこれ以外にも、「だから神などいない」とすることの出来る、いかにももっともらしい理屈や理論を、わたしはいくらでも展開することが出来ると思います(たとえば、聖書はこのあたりがおかしいのではないか、矛盾しているのではないか、などなど・笑)。

 でも、わたしはこうした一連の科学的事実を目にしても、<そちらの人間的知性>経由で神を信じているわけではないため――「わたしが人間的知性でもし神を信じていたのだとすれば、その同じ神をまったく同じ速度で否定していたことだろう」とわかっているがゆえに、こうした議論自体が、「神はいない」とする重要な事実とはなりえないわけです。

 また、信仰というものには、ただ知性や理屈や論理といったものだけでなく、「いかに実践的に神を信じるか」という部分も非常に大きな割合を占めます。個人的に、「神はいない」と信じているがゆえに、一日5分も神に祈ることはないという人と、本当にイエス・キリストを信じ、マーリン・キャロザース先生の「すべてのことを神さまに感謝し、讃美する」といった実践的な人生を送っている人とでは……普段の生活では一見、どちらもそう差が見えなかったとしても(神を信じる者にも信じない者にも、起きる幸・不幸に変化はないとする議論が、昔からあります)、ある究極的な段階においては、決定的な差が生じうるものと信じます。

 わたし自身、こうした事柄について祈っているゆえに、それに対する聖霊さまを通してのイエスさまの答えといったものがありました。それは、「あなた方は、ただ自分で自分の心を窮屈にしているのです」というものでした(笑)。

 わたしはこの答えのみによって十分納得しましたが、もちろんノンクリスチャンの方はそうではないでしょう。けれど、現代ホモ・サピエンスがあんなにもピラミッドをはじめとする神に関わる事業に熱心であったにも関わらず、今や科学というものはすべて「神はいない」という方向を向いているにも関わらず――科学的な事実の羅列による不信時代が終焉を向かえ、結局のところ「神がいる」となるのだとしたら……こんな論議自体、本当に無意味なものではないでしょうか(^^;)

 では、次回はまたこの続きです(笑)

 それではまた~!!






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