なかなか攻めたタイトル(?)と思いますが、結論として全然大したことは書けないと思いますので、最初にそう書いておきたいと思いますm(_ _)m
その~、これは決して悪い意味で書くのでもなく、他の誰かの揚げ足取りをしたいというわけでもなく……自分的にちょっと「ん?」となった言葉を聞いたことがありました。それが、「彼女は小学校も出ていないのに、本当に心のあたたかい良い人で……」という言葉でした。
ちなみに、アフリカのお子さんが何人もいらっしゃる苦労の多い人生を歩まれてる方に対しての言葉であって、文脈的には悪意ゼロ%善意100%だということはよくわかっております(^^;)
ただ、その言葉からふと「小学校も出ていないのに?でも、小学校なんて出ていなくてもいい人間になることは出来るし、むしろ今の日本なんかだと子供の成長にとってマイナスになる可能性だって結構あるよねえ」みたいに思ったわけです。
でもわたし、このことについては心にちょっと思い浮かんだ程度のことだったので、すぐ忘れてしまいそうになりました。ところがその後、偶然立て続けに「学校」とか「不登校」に関することがラジオから流れてきて……ちょっと考えてしまったわけです。「今はそこで働く教師ですら「学校は地獄だ」と認めているというのに、学校というシステム自体は今後もなくなることはないだろう」というのでしょうか。
こんなふうに書くからといって、わたし自身は何も「学校批判者」というわけでもないのです。子供たちが健全に成長するのに「学校」に代わるより良いシステムが存在するなら、そちらにシフトしていくだろうことは間違いなく、現在は「学校」より良いシステムを誰も思いつかないため、小学校→中学校→高校→大学……といったように順にクリアーしていかなくてはならないということが一般に定着した社会だ、とにかく日本や他の多くの先進国でそうである――みたいな感じのことなのではないでしょうか。
でももし、「お母さん、学校は地獄だから、おれ/わたしはもう行きたくないんだ!!」と子供が訴えてきたとしたら……かなりのところ問題として難しいです。親御さんとしては、とにかくお尻を叩いたりハッパ(発破)をかけたりして、「なんでもいいからとにかく学校には行け!!」ということになるかもしれません。
まあ、わたしの時代は間違いなくコレでした。また、わたしと同じ世代か、上の世代の方、少し下の世代の方も基本的にそうだったろうと思います。また、ルーズソックスって今は履いてる子ほとんどいないというか、わたし自身は見かけなくなったのですが、ものすご~く流行っていた一時期、「ルーズソックスを履いちゃいけないのはなんで?」という質問に、大抵の親や教師は答えられないっていうことだったんですよね。せいぜいが「だらしなく見えるから」とか、「校則違反になるから」とか、そんなことしか言えないというか。。。
それと似たようなもので、「どうして学校へは行かなくちゃいけないの?」という質問に親や教師はうまく答えられない場合が多い。わたし、チャットGPTってこの質問にどう答えるのかなと思ったりするのですが、「学校・不登校」みたいに検索をかけると「何故学校へ行かなくちゃいけないか」みたいに関連項目として出てきます(^^;)
流石は時代だなあ……と思ったりもしますが、わたし自身は軽く検索かけた程度なので、「おお、これは!!」みたいな答えには出会えなかったのですが、わたし自身は子供の意見として多いのはおそらく「友だちがいるから」とか、「親のため」みたいな解答って多いんじゃないかなと思ってます。まず、小学校も高学年くらいになってくると、中学校や高校や大学など、「なるべくいいところ」へ入ることを親も望んでいるし、その時点でなりたいものが特になかったとしても、将来の選択肢の幅を増やすためにも勉強は必要だ――くらいのことは当然言われる。「勉強してないと、いざなりたいものが出来た時、それが成績悪かったりするとなれないかもしれないのよ」などなど……。
子供もこの理屈には一応納得してるので、親や教師の言い分をある程度正しいものとして納得はする。何故かというと、今の現行の日本の社会ではどう頑張っても他に抜け道のようなものはなさそうに見えるからです。言い方を変えるとしたら、「お父さんもお母さんも先生たちも、今ある生き苦しい社会を変えることは出来ないのよ」、「だから仕方ないの」、「そうやってみんな、限られた枠の中で頑張って生きているのだから……」という、何かそういったこと。
ただ、極一部の限られた思考法を持つ方だけ、自分の子供がもし「もう学校へ行きたくない!!」と泣いて頼んできたら、少し違う道を選ぶか、選ばざるをえないことになるかもしれません。もちろん、心の中で思うのは当然「とりあえず学校へ行っててくれるのが一番いいし、それが一番安心なんだがな」とは思う。でも、しぶしぶの仕方ない第二選択、Bプランとしては、学校の代わりになるプランを親御さんが用意するしかないっていうことなんですよね。
これはあくまで「どうしても子供が学校へ行かなくなったら」の、非常に稀なパターンのひとつ、みたいなことなので、どこの家庭でも出来ることではないんですけど、「学校へは行かなくても、代わりに家で勉強するのであればこのくらいはしなさい」とか、同じものを親御さんが用意しなくてならない。ゆえに、共働きだったりするとまずそんなゆとりはありません。また、多少なり金銭的に余裕があれば、家庭教師の人や塾という方法もあるかもしれない。その地域にもよるかもしれないにしても、今はボランティアで勉強を見てくれるシステムのあるところがあったり、自分の住んでいるところで何か利用できるものがないかどうかを探すというのもひとつの手かもしれません。
何より、大抵の子供には「学校にさえ行かなくていいならなんでもする」気持ちが強いと思うので、「学校へ行かなくていいかわりにこうしなさい」とか「ああしなさい」ということについて、素直に聞く子は比較的多いのではないでしょうか。また、小学校と中学校は出席日数が足りなくても「卒業できる」と聞いたりしたのですが、そう仮定した場合、大切なのは高校や大学のことかもしれません。あるいは専門学校など、どのくらいお金がかかるか現実を教えておくのも大切かもしれない。あるいは、中学は行きたくなくて不登校だったとしても、高校からは新しく頑張りたいということであれば、そこへ向かって何が出来るかを互いに何度も相談しあって考えるとか……まあ、お互いに言い合いになったり不機嫌になったり喧嘩してみたり、何を聞いても「べつに」としか言わないので、「おまえは沢尻エリカか!!」と心の中で突っ込んでいたなど、色々あるかもしれません。
でも本当に、「不登校」についてどうするのが一番いいかなど、答えは人それぞれで本当に「正解」はないと思います。ただ、イライラしたり腹が立ったり、「なんでこの子は他の普通の子と同じように出来ないんだろう」と思ったりする中で、子供のほうでも表面上は「何も考えてない」ように見えたり、「ゲームばっかりしてる」ようだったとしても、その水面下で「何も考えてない」子はいないわけです。「このままいったらどうなるんだろう」と焦ったりしてない子は絶対にいない。そうしたものを目先にある何がしかで誤魔化してるというそれだけなので、「このままではいけない」という意識というのは当然誰もが根底のあたりに必ず持ってる。そしてそうした中で、偶然街中で小学校の時の同級生と会って、「今こうしてるんだ~」みたいな話になって、その日から突然変わる子もいる。いじめにあって学校が嫌になったのは中学からで、もう一度同じように友達と笑って話がしたいとか、その子にとっての「変わるポイント」というのが絶対的にある。
たとえば、いじめによる不登校で、親御さんが完全に子供さんを休ませて、北海道へ旅行に来たということがありました。それで温泉とか色々巡ってる間も、その子自身には「親に悪いな」という気持ちがあったそうです。まだ十歳くらいの男の子だったんですけど、ある時馬に乗れるところで乗馬体験をしたんですよね。そしたら、その後何故か突然立ち直ったそうです。なんていうか、馬って最初に乗る時、自分的には結構怖かった記憶があります。それと同時に視点が変わったり、そんなに訓練されてるって感じの馬じゃなかったりすると、道端の草とかもぐもぐ普通に食べだしたりとか……あと、視点がちょっと変わって高くなる。なんていうか、「普段と見てるものが変わる」というか、「これしか視点はない」というものから外れて、違うものが自然の中で少し遠くまで見通せたりするんですよ。
それが原因ということもなかったと思うのですが、結構この「これしかない」、「学校へ行くしかない」、「だって他に道はないんだから」ということだと、どうしても息苦しくなる。でも、馬みたいに自由に生きてもいい、「他にも実は道があるんだ」ということがわかると……むしろ逆に自分にとって苦しい道を選ぶことの出来る余力が生まれることもある、というのでしょうか
もちろん、これは「乗馬すれば不登校は治る」といった単純な話ではないですし、あくまでも「その子にとっては~~が立ち直るポイントだった」みたいな、ひとつの例ということではあるんですけれど(^^;)
なんにしても、子供にとってだけじゃなく、大人にとっても大変難しい世の中と思います。。。
それではまた~!!
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