神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あのころはフリードリヒがいた-【9】-

2015年09月10日 | 
【町の魂】マルク・シャガール


『ぼく』が両親と一緒に防空待避所へ隠れると、そこには<防空委員>であることを示す腕章をしたレッシュ氏がいて、鋼鉄のドアを開けてくれました。


 >>共同の防空待避所にはいるドアは、すでに閉まっていた。父はトランクをおき、鉄の取っ手をまわした。だがどうしてもまわりきらないので、鋼鉄のドアを力いっぱいたたいた。

 レッシュ氏が開けてくれた。レッシュ氏は鉄かぶとをかぶり、防空委員であることを示す腕章をしていた。「おそいじゃないですか!」文句をいった。

 父は、一言もいわなかった。

 ぼくたちは横穴を通って避難室にはいっていった。はいるとき、「ハイル ヒトラー!」とあいさつした。

 誰もあいさつを返さなかった。

 婦人や年輩の男の人があちこちに散らばってすわっていたが、眼を閉じたままだった。長いすに横になっている人も、何人かいた。が、みな、自分の荷物は肌身からはなさずおいていた。小さい子どもづれのお母さんが二人、うす暗い片隅にうずくまっていた。子どもたちは、不きげんにぐずっていた。別の一隅には、一組の恋人どうしがぴったりとよりそってすわっていた。男の人は曹長だった。

(第31章『地下室で』(1942年)より)


 やがてここに、フリードリヒがやって来ます。

 というのも、外ではじゅうたん攻撃が行われるようになっており、その轟音は地下壕にも轟き渡るほどだったからです。


 >>外の爆音は、刻々はげしくなっていった。奇妙にうつろなひびきを持った高射砲の発射音が、とだえる間もなく、波のうねりのように上空を駆けまわっていた。射撃音に、爆弾が炸裂する音がまじった。一つ、また一つ、やがていくつかがつづけざまに落ち、あっと思う間に、じゅうたん爆撃になっていた。その轟音は地下壕にもとどろきわたった。

「あの子、かわいそうに!」

 母がひそかにためいきをついた。

 父は「うん」といっただけだった。

 レッシュ氏が、横穴から避難室の中へもどってきて、中のドアにもかんぬきをかけた。

 また、外で爆弾の落ちた音がした。今度はずっと近かった。地下壕の壁がゆれ動いた。

 そのとき、外のドアをはげしくたたく音がした。

「今ごろ、誰が、きたんだろう?」

 レッシュ氏が不審げに避難室の中を見まわした。

「早く開けろよっ!」

 曹長が隅の席からどなった。レッシュ氏が、中のドアのかんぬきをはずした。

 誰かが地下室の前でわめいていた。

「お願い、お願いです、入れてください、ぼくも入れてくださーい!」

「フリードリヒ!」

 母の口をついて声がもれた。その口は開いたまま、眼はぎょっとして大きく見ひらかれていた。

「開けてください!開けてくれーっ!」

 外では絶望的な声が、さけびつづけていた。

「お願いです、開けてくださーいっ!」

 レッシュ氏が鋼鉄のドアを開けた。

 その前にフリードリヒが両膝をついて手を組みあわせていた。

「こわいんです!こわい、こわい!」

 フリードリヒは四つんばいになって、壕の中にはいずりこんだ。

 開いたドアの隙間から、たけり狂う生き地獄の外のありさまが、かいまみえた。爆弾が炸裂して、爆風がドアをたたき閉めた。

「でていけ!」

 レッシュ氏がどなった。

「とっととでていけ!――おまえなんかがおれたちの防空壕に入れてもらえると思ってるのか!」

 息切れがして、ふーっと鼻から息をついた。

「でていけ!消えうせろ!」

(第31章『地下室で』(1942年)より)


 でもこの時、曹長さんが人間として至極まっとうなことを言って、フリードリヒのことを中に入れてあげるよう、一度はレッシュ氏を説得しかけるのですが……。


 >>「おいっ、正気か?この爆撃のまっ最中に、この子を地下壕から追いだすとは、何事だ!」

「こいつがなんだか、知っているんですかい?あんた」

 レッシュ氏がいい返した。

「ユダヤ人なんだよ!」

「だから、どうだっていうんだ?」

 曹長は驚いて問い返した。

「たとえ、かいせんにかかった犬みたいなやつだって、爆撃の終わるまでは入れてやるものだ!」

 今や、防空壕の中のほかの人もみな、一斉に加勢した。

「そうだとも、入れておいてやればいいじゃないか!」

 あちこちから、声がかかった。

「ええ?いったいどういうつもりなんです、あんた?」

 レッシュ氏が曹長に喰ってかかった。

「わたしの職務に、なんでくちばしを入れるんですかね!?ここでの防空委員は、あんたかい、それともこのわたしかい!?ここではわたしの指図にしたがってもらおう。わかったかね!でなきゃ、あんたを告発するよ」

 曹長は、決心しかねて、フリードリヒをじっと見つめた。みなも口をつぐんだ。外の騒音だけが、容赦なくのしかかってきた。

 フリードリヒはまだ蒼白な顔で、横穴の壁にもたれかかっていた。だが、今は、再び落ちつきをとりもどしていた。

「でていきなさい、きみ!追いだされないうちに、自分からでていきなさい!」

 曹長は低い声でいった。

「でないと、腹をたてなきゃならないだけだ!」

 フリードリヒは、ものもいわずに防空壕から立ち去った。

 外は射撃と爆撃で、一刻の休みもない轟音の連続だった。ひゅーっという爆弾の落下音や、建物が焼けおちて崩壊する音さえも聞こえた。

 母は父の肩に顔をうずめて、声をあげて泣いた。

「気を落ちつけてくれ!」

 父がたのんだ。

「ぼくたち一家の不幸になるんだよ」

(第31章『地下室で』(1942年)より)


 ああ、本当になんていうことだろう!……と、ここまで物語を読み進めてきた読者は誰もが思うことと思います

 そしてこの章の次の最終章である<終末(1942年)>で、フリードリヒはレッシュ氏が大家さんで、『ぼく』の家族が住むアパート――そこで、遺体となって発見されたのでした


 >>母は心配に胸をつまらせながら、フリードリヒの姿を求めて、あちこち見まわしていた。

 フリードリヒは、アパートの入り口の物陰に身をかがめてうずくまっていた。眼は閉じられ、顔色はなかった。

「どうした、こんなところで?」

 父が、思わずさけんだ。

 その声で、レッシュ氏も、フリードリヒの姿に気がついた。

 父は、心を決めかねて、敷石道の上に立ちすくんだ。どうすればいいかわからないまま、一歩も動けなくなっているのだった。

 と、レッシュ氏がおばさんを脇にどけたと思うと、つかつかと近寄っていった。腕には、庭の小人、ポリカルプをしっかりと抱いていた。

「とっとと、消え失せろ!」

 レッシュ氏はフリードリヒに向かってどなりつけた。

「この空襲で上を下への騒ぎだから、大丈夫、つかまらないとでも、思ってるのか!?」

 鋭い声で、母がさけんだ。

「わからないんですか?この子、気を失ってるじゃありませんか!」

 意地の悪い笑顔を浮かべて、レッシュ氏は母を見つめた。

「それじゃあ、わたしが、すぐに気がつくようにしてやりますよ。――それはそうと、変だねえ。ユダヤ人に対して、いやに同情するんだねえ、おくさん。――党員のおくさんの、あんたがねえ!?」

 父が母の腕をひっぱった。

 母は両手で顔を覆った。

 レッシュ氏が片脚をあげ、フリードリヒを蹴った。

 フリードリヒは支えになっていた入り口から、敷石道に転がり落ちた。右のこめかみから衿まで、血の流れた跡があった。

 ぼくの手が、バラの植えこみのいばらの中で、ひきつった。

「こういう死に方ができたのは、こいつの幸せさ」

 レッシュ氏がいった。

(第32章『終末』(1942年)より)


 ……これが『あのころはフリードリヒがいた』の最後の文章です。

 わたしが『あのころはフリードリヒがいた』で検索をかけた時に一度、<あのころはフリードリヒがいた・あとあじ悪い>という検索項目が出たことがあったのですが、確かに、もしこれが史実を元にしていない物語だったらわたしも、「え?こんなひどい結末で終わるの??」と首を傾げたかもしれません。

 そして、初めて『あのころはフリードリヒがいた』を読んだ時、わたしはただ「ああ、フリードリヒ、可哀想に」と思って本を閉じただけだったのですが――暫くしてもう一度読み返してみた時に、この本の与えた印象はまた変わったと思います。

 特に最後のところ、防空壕でレッシュ氏以外の人がみな、「その子を中に入れてあげればいいじゃないか!」と賛成多数で一致したにも関わらず、「そんなことを言って、あなた方、あとでどうなるか……」というレッシュ氏の脅しの一言で、フリードリヒが防空壕の外へ出ていかなくてはいけないところは、その後、他の人の心をどれほど傷つけたことかと思うんですよね。

 もちろん、一番傷ついたのはフリードリヒ自身であったにしても、「わたしたちはあとでどうなってもいいから、その子を中に入れてあげてくれ!」と勇気をだして言うことの出来なかった『ぼく』の両親も、『ぼく』自身も……その後、どれほど「あの時、何故そう言えなかったのか」と、生涯に渡って償えぬ罪を背負ったような、そんな気持ちに悩まされたのではないでしょうか。

 このお話は作者のハンス・ペーター・リヒターさんがご自身でこの時代に経験したことを元に描かれたらしいのですが、それと同時にフリードリヒ一家のようなユダヤ人家庭はこの時代、それこそ数え切れないくらいいて、と同時にこうした悲しい不幸を体験した人々もまた、それ以上多くいたに違いありません。

 そしてわたしが今回読み返してみて初めて思ったのが、<ユダヤ人>に対して人々がどのような態度で接したのかということについて、色々なパターンがあるように感じたことだったでしょうか。

 作者のリヒターさんは、物語の書き手としてあくまで中立の立場として、どの人のことも責める立場を取っていないように思います。<レッシュ氏のように、ユダヤ人排斥に最初から賛成な人>もいれば、時代がユダヤ人に対して不利になったればこそ、この時とばかりにユダヤ人の敵側に回った人もいたでしょう。この中には、「昔からユダヤ人に嫌悪感を抱いていた人」もいれば、「以前はそれほどでもなかったが、時代が変わり、その時代の流れに喜んで迎合した」といった人もいたに違いありません。

 また、『ぼく』の一家やヘルガのように、「ユダヤ人だから」ということで差別意識を持つことに最後まで抵抗感のある人々もたくさんいたでしょう。けれど、そうした普段は「心優しい普通の人々」もまた、もしかしたらふたつに分かれるのかもしれません。最後まで決然とした意志を持って「ユダヤ人擁護」に回った人々と、「出来ることなら助けてあげたい。でも……」という時代の流れに抗し切ることの出来ない人々とに。

 いえ、わたしがもしこの時代に生きていたとしたら、おそらくフリードリヒが防空壕から出ていくことに一票を投じていたかもしれませんし、また『ぼく』のおじいちゃんがちょうどそうであったように、まわりに反ユダヤ感情の強い人々が多かったとしたら、そちら側についていたかもわかりません。

 ただこの時、<ユダヤ人擁護派>と<反ユダヤ派>の人々とに意見が大きく分かれたようなことは、この先、また起きてくるのではないかという気がしています

『あのころはフリードリヒがいた』のあらすじについては今回で終わりなのですが、次回は時代が悪くなって人々の意見がふたつに大きく分かれた時、果たして人というのは正義や信仰といったものを最後まで貫けるものだろうか……ということについて、キリスト教的観点から個人的に少し考えてみたいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!





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