【家族の面影】マルク・シャガール
フリードリヒがヘルガと悲しい別れを経験した翌年の1941年――フリードリヒのお父さんは、ユダヤ教のラビを匿っていたことがわかってしまい、当局に引っ張っていかれることになってしまいます。
この時代、本来であれば強制収容所行きの人物を匿った場合、どうなるのか、その逃亡劇が決して楽でないということは、有名な『アンネの日記』の中にも出てきますし、映画であれば『戦場のピアニスト』などを見るとよくわかります。
フリードリヒのお父さんが匿っていたラビは、「ユダヤ人が迫害されるのは今にはじまったことではない」ということについて、とてもいいお話をしてくださるのですが、そちらについては割愛させていただくとして、重要なのはこの時、ラビだけでなく彼を匿っていたことでフリードリヒのお父さんも警察に連れていかれてしまったということでした。
ちょうどこの時、フリードリヒは留守にしていたのですが、暫くしてアパートの三階にある自分の部屋へと戻ってきます。
けれど、フリードリヒがその時に目にしたものは……。
>>その夜は、誰も眠らなかった。父は、じっとしていられないというふうで、寝返りをうってばかりいた。母は泣いた。ぼくは、シュナイダーさんのことばかり思いつづけた。翌朝、急いででかけなければならない者はいなかったのに、ぼくたちは、非常に早く起きた。
「フリードリヒが帰ってきたら、家にはいってしまう前につかまえなくちゃ!」
母がいった。
父も同意した。
「そうだ、先に話してきかせなければいかん」
母は朝ごはんが喉を通らなかった。
父も、コーヒーを少し飲んだだけだった。
(第29章『見さげたやつ』(1941年)より)
――この時、『ぼく』は玄関のドアの内側に座って、フリードリヒがやって来たら声をかけようと思い、そこで耳を澄ませていました。
けれども、ちょっとした瞬間にフリードリヒがやって来るのを聞き逃してしまうんですね。
でもすぐにそれと気づいて、『ぼく』はフリードリヒのあとを追って階段を上がり、彼のいる部屋の中へと入っていきました。
>>フリードリヒは居間にいた。両脚をひろげ、ドアのところに立ちはだかっていた。そして、身じろぎもせずに、レッシュ氏をにらみつけていた。レッシュ氏は居間にしゃがみこんでいた。恐怖で青ざめた顔をフリードリヒに向け、右手をマットレスの詰物の中につっこみ、左手は、フリードリヒを防ぐかっこうで、突きだしていた。まるで石造が床から生えでたようだった。その指先だけが、かすかに震えていた。
床にはレッシュ氏のおばさんの大きな買物袋がおかれていた。それは、シュナイダーさんの本でふくれあがり、口から電気スタンドが二つ、はみでていた。シュナイダーさんのひざかけが、その他の中身をかくしていた。銀の安息日用燭台だけははいらないので、むきだしにしておいてあった。
このレッシュという名前の大家さん、ユダヤ人に対して敵対的な感情を抱いているというだけでなく、実際にシュナイダー一家がこのアパートから出ていくよう裁判で争ったということもあります。
結局彼はその裁判で負け、シュナイダー家はそのまま『ぼく』の住む上の階に住み続けることが出来たのですが――その裁判のあったのが1933年のことですから、もし今同じ事態になっていたとしたら、シュナイダー家はレッシュ氏の思惑通り出ていかなくてはならなかったでしょう。
ずっと過酷な試練に耐え続けてきたフリードリヒ少年ですが、この時、自分たちの部屋のものを大家のレッシュさんが泥棒よろしく当たり前のように漁っているのを見て、とうとう神経の糸が切れてしまったのかもしれません。
>>不意に、フリードリヒが、レッシュ氏の顔のどまん中に唾をはきかけた。
「見さげたやつだ!」
かれはさけんだ。
「死人の身をはぐ、ひとでなしだ!」
レッシュ氏の頬にかかった唾が、ゆっくりと口に流れた。
レッシュ氏は、腕でそれをふきとった。呼吸が大きくなった。顔に血がのぼって、真っ赤になった。全身が震えだした。片手が燭台をつかもうとして、横にそれた。二度目に伸びた手が、今度は、しっかりとつかんだ。
フリードリヒはドアのところに立ちはだかったまま、びくとも動かなかった。
レッシュ氏は、手をついて身を支え、やっとのことで立ちあがった。そして、銀の燭台をつかんだ手をふりかざし、口笛のような息を吐きながら、フリードリヒの方によろめきよろめき近寄っていった。
フリードリヒはたじろぎもしなかった。
「助けてくれ!」
突然、レッシュ氏の声が建物中にひびきわたった。
「強盗だ!」
フリードリヒはなんのあわてるようすもなく、落ちついたまま後ろを向いた。そして、ぼくが立っているのを見た。
ぼくは、合図をしようとした。
「ユダヤ人だ!――つかまえろ!――警察はおらんか!」
レッシュ氏が声をはりあげた。
フリードリヒはぼくにうなずいてみせ、さっとそばをとびぬけて、階段を駆けおり――アパートの外に姿を消した。
(第29章『見さげたやつ』(1941年)より)
――こののち、フリードリヒは一体どんなふうにして暮らしていたのでしょう。
この出来事があった翌年の1942年、フリードリヒは「家族で写った写真が欲しい」と言って、再び『ぼく』の家を訪ねてきます。
そうです。小学校で入学式があった時に撮った、あの写真です!
>>音もたてずに、母がでていった。もどってきたとき、母はフリードリヒをつれていた。
フリードリヒはオーバーの襟を立てていた。オーバーは汚れでごわごわになっていた。しのび足で机のところにくると、父とぼくに握手した。その手も、きれいではなかった。おどおどとぼくたちの表情をうかがい、部屋の中を見まわした。そして、小声でいった。
「ぼく、すぐでていきます」
「まず、かけなさい」
父がきめつけるようにいった。
しかし、フリードリヒはこばんだ。オーバーをぬぐのもいやがった。それでもやっとぬいだのを見ると、上着もズボンも、いたるところ汚れがかさぶたのようにこびりついていた。カッターシャツは着ていなかった。母が部屋をでたのを見て、フリードリヒは、はっとして身を縮めた。
この時、フリードリヒは「密告されるのではないか」ということを心底恐れていたようなのですが、もちろん『ぼく』のお母さんはそんなことをする人ではありません。
それどころか、『ぼく』のお母さんは、パンの大きなひときれにぶ厚いソーセージをのせたのをフリードリヒに持ってきてくれたのでした。
>>フリードリヒはパンをほとんどそのまま飲みこんだ。礼をいうことすら、忘れていた。パン以外のものは眼中にないというありさまだった。最後の一口をほとんど嚙みもしないでのみくだすと、皿の小さいパンくずまで残らずつまんで口に入れた。
母がまた二きれ持ってはいってきて、前においた。それも、さっきと変わらず、あっという間に消えてなくなった。
それからやっと、フリードリヒはまた話しはじめた。
「ぼく、父と母の写真がほしいんです。――お宅に一枚あることがわかってたんで、だから、ぼく、思いきってきたんです。――あのとき、小学校の入学式の日、長い馬に乗って写したの、――あれ、お宅にあるでしょう。ぼく、覚えてるもの。――お願いですから、あれをぼくにください」
「あれは、あの大きい箱にあるにちがいないわ!」
母がいった。そして戸棚から、とても大きいチョコレートの箱をだしてきた。それは十回目の結婚記念日に、その直前に職の見つかった父が、母に贈り物にしたチョコレートだった。母が箱を開けると、上のほうの写真が数枚、机の上に滑り落ちた。
「どれ、ぼくが急いで探してみよう」
父は手早く一枚一枚、箱の蓋にだしていった。
「そのあいだに、あなたはこっちにいらっしゃい!」
母がフリードリヒをうながした。母は風呂に湯をはり、ぼくの下着をだして用意してあった。
はじめ、フリードリヒは断わったが、やはり、母のいうとおりにした。
箱には、写真や絵はがきやお祝いのカードなどが、無数にはいっていた。父とぼくはいっしょになって探した。まだ半分も探さないでいるとき、サイレンが鳴りだした。
(第30章『写真』(1942年)より)
このサイレンは、爆撃機がやって来たことを知らせるサイレンでした。
ところが、困ったことに例のあのレッシュ氏がこの区域の防空委員を担当していたので――『ぼく』のお父さんはフリードリヒひとりだけが捕まるだけでなく、自分たち家族も刑務所行きになることを恐れ、フリードリヒに警報が解除されるまでここで待っているようにと言ったのでした。「きっと今夜も、大丈夫だから。あとで、また一緒に写真を探そう」と……。
おそらく、爆撃機がやって来たことを知らせるサイレンが鳴ることはこれまでに何度もあったのでしょう。そして『ぼく』の一家はそのたびに防空壕へ逃げたものの、その度にそれほど大事に至るようなこともなく防空壕の外へ出てきた……ということが何度も繰り返されていたのではないでしょうか。
けれど、この日は違ったのです。フリードリヒは『ぼく』のお父さんの言うとおり、部屋でじっとしていたのでしょうが、爆撃機の攻撃があまりに激しかったので――恐ろしさのあまり、防空壕まで逃げてきます。
でも、そこには防空委員の腕章をした<見下げた奴>こと、例のレッシュ氏がいて……このあと、フリードリヒのことをさらなる悲劇が襲います。
では、次回でこのあらすじも最終回となりますm(_ _)m
それではまた~!!
フリードリヒがヘルガと悲しい別れを経験した翌年の1941年――フリードリヒのお父さんは、ユダヤ教のラビを匿っていたことがわかってしまい、当局に引っ張っていかれることになってしまいます。
この時代、本来であれば強制収容所行きの人物を匿った場合、どうなるのか、その逃亡劇が決して楽でないということは、有名な『アンネの日記』の中にも出てきますし、映画であれば『戦場のピアニスト』などを見るとよくわかります。
フリードリヒのお父さんが匿っていたラビは、「ユダヤ人が迫害されるのは今にはじまったことではない」ということについて、とてもいいお話をしてくださるのですが、そちらについては割愛させていただくとして、重要なのはこの時、ラビだけでなく彼を匿っていたことでフリードリヒのお父さんも警察に連れていかれてしまったということでした。
ちょうどこの時、フリードリヒは留守にしていたのですが、暫くしてアパートの三階にある自分の部屋へと戻ってきます。
けれど、フリードリヒがその時に目にしたものは……。
>>その夜は、誰も眠らなかった。父は、じっとしていられないというふうで、寝返りをうってばかりいた。母は泣いた。ぼくは、シュナイダーさんのことばかり思いつづけた。翌朝、急いででかけなければならない者はいなかったのに、ぼくたちは、非常に早く起きた。
「フリードリヒが帰ってきたら、家にはいってしまう前につかまえなくちゃ!」
母がいった。
父も同意した。
「そうだ、先に話してきかせなければいかん」
母は朝ごはんが喉を通らなかった。
父も、コーヒーを少し飲んだだけだった。
(第29章『見さげたやつ』(1941年)より)
――この時、『ぼく』は玄関のドアの内側に座って、フリードリヒがやって来たら声をかけようと思い、そこで耳を澄ませていました。
けれども、ちょっとした瞬間にフリードリヒがやって来るのを聞き逃してしまうんですね。
でもすぐにそれと気づいて、『ぼく』はフリードリヒのあとを追って階段を上がり、彼のいる部屋の中へと入っていきました。
>>フリードリヒは居間にいた。両脚をひろげ、ドアのところに立ちはだかっていた。そして、身じろぎもせずに、レッシュ氏をにらみつけていた。レッシュ氏は居間にしゃがみこんでいた。恐怖で青ざめた顔をフリードリヒに向け、右手をマットレスの詰物の中につっこみ、左手は、フリードリヒを防ぐかっこうで、突きだしていた。まるで石造が床から生えでたようだった。その指先だけが、かすかに震えていた。
床にはレッシュ氏のおばさんの大きな買物袋がおかれていた。それは、シュナイダーさんの本でふくれあがり、口から電気スタンドが二つ、はみでていた。シュナイダーさんのひざかけが、その他の中身をかくしていた。銀の安息日用燭台だけははいらないので、むきだしにしておいてあった。
このレッシュという名前の大家さん、ユダヤ人に対して敵対的な感情を抱いているというだけでなく、実際にシュナイダー一家がこのアパートから出ていくよう裁判で争ったということもあります。
結局彼はその裁判で負け、シュナイダー家はそのまま『ぼく』の住む上の階に住み続けることが出来たのですが――その裁判のあったのが1933年のことですから、もし今同じ事態になっていたとしたら、シュナイダー家はレッシュ氏の思惑通り出ていかなくてはならなかったでしょう。
ずっと過酷な試練に耐え続けてきたフリードリヒ少年ですが、この時、自分たちの部屋のものを大家のレッシュさんが泥棒よろしく当たり前のように漁っているのを見て、とうとう神経の糸が切れてしまったのかもしれません。
>>不意に、フリードリヒが、レッシュ氏の顔のどまん中に唾をはきかけた。
「見さげたやつだ!」
かれはさけんだ。
「死人の身をはぐ、ひとでなしだ!」
レッシュ氏の頬にかかった唾が、ゆっくりと口に流れた。
レッシュ氏は、腕でそれをふきとった。呼吸が大きくなった。顔に血がのぼって、真っ赤になった。全身が震えだした。片手が燭台をつかもうとして、横にそれた。二度目に伸びた手が、今度は、しっかりとつかんだ。
フリードリヒはドアのところに立ちはだかったまま、びくとも動かなかった。
レッシュ氏は、手をついて身を支え、やっとのことで立ちあがった。そして、銀の燭台をつかんだ手をふりかざし、口笛のような息を吐きながら、フリードリヒの方によろめきよろめき近寄っていった。
フリードリヒはたじろぎもしなかった。
「助けてくれ!」
突然、レッシュ氏の声が建物中にひびきわたった。
「強盗だ!」
フリードリヒはなんのあわてるようすもなく、落ちついたまま後ろを向いた。そして、ぼくが立っているのを見た。
ぼくは、合図をしようとした。
「ユダヤ人だ!――つかまえろ!――警察はおらんか!」
レッシュ氏が声をはりあげた。
フリードリヒはぼくにうなずいてみせ、さっとそばをとびぬけて、階段を駆けおり――アパートの外に姿を消した。
(第29章『見さげたやつ』(1941年)より)
――こののち、フリードリヒは一体どんなふうにして暮らしていたのでしょう。
この出来事があった翌年の1942年、フリードリヒは「家族で写った写真が欲しい」と言って、再び『ぼく』の家を訪ねてきます。
そうです。小学校で入学式があった時に撮った、あの写真です!
>>音もたてずに、母がでていった。もどってきたとき、母はフリードリヒをつれていた。
フリードリヒはオーバーの襟を立てていた。オーバーは汚れでごわごわになっていた。しのび足で机のところにくると、父とぼくに握手した。その手も、きれいではなかった。おどおどとぼくたちの表情をうかがい、部屋の中を見まわした。そして、小声でいった。
「ぼく、すぐでていきます」
「まず、かけなさい」
父がきめつけるようにいった。
しかし、フリードリヒはこばんだ。オーバーをぬぐのもいやがった。それでもやっとぬいだのを見ると、上着もズボンも、いたるところ汚れがかさぶたのようにこびりついていた。カッターシャツは着ていなかった。母が部屋をでたのを見て、フリードリヒは、はっとして身を縮めた。
この時、フリードリヒは「密告されるのではないか」ということを心底恐れていたようなのですが、もちろん『ぼく』のお母さんはそんなことをする人ではありません。
それどころか、『ぼく』のお母さんは、パンの大きなひときれにぶ厚いソーセージをのせたのをフリードリヒに持ってきてくれたのでした。
>>フリードリヒはパンをほとんどそのまま飲みこんだ。礼をいうことすら、忘れていた。パン以外のものは眼中にないというありさまだった。最後の一口をほとんど嚙みもしないでのみくだすと、皿の小さいパンくずまで残らずつまんで口に入れた。
母がまた二きれ持ってはいってきて、前においた。それも、さっきと変わらず、あっという間に消えてなくなった。
それからやっと、フリードリヒはまた話しはじめた。
「ぼく、父と母の写真がほしいんです。――お宅に一枚あることがわかってたんで、だから、ぼく、思いきってきたんです。――あのとき、小学校の入学式の日、長い馬に乗って写したの、――あれ、お宅にあるでしょう。ぼく、覚えてるもの。――お願いですから、あれをぼくにください」
「あれは、あの大きい箱にあるにちがいないわ!」
母がいった。そして戸棚から、とても大きいチョコレートの箱をだしてきた。それは十回目の結婚記念日に、その直前に職の見つかった父が、母に贈り物にしたチョコレートだった。母が箱を開けると、上のほうの写真が数枚、机の上に滑り落ちた。
「どれ、ぼくが急いで探してみよう」
父は手早く一枚一枚、箱の蓋にだしていった。
「そのあいだに、あなたはこっちにいらっしゃい!」
母がフリードリヒをうながした。母は風呂に湯をはり、ぼくの下着をだして用意してあった。
はじめ、フリードリヒは断わったが、やはり、母のいうとおりにした。
箱には、写真や絵はがきやお祝いのカードなどが、無数にはいっていた。父とぼくはいっしょになって探した。まだ半分も探さないでいるとき、サイレンが鳴りだした。
(第30章『写真』(1942年)より)
このサイレンは、爆撃機がやって来たことを知らせるサイレンでした。
ところが、困ったことに例のあのレッシュ氏がこの区域の防空委員を担当していたので――『ぼく』のお父さんはフリードリヒひとりだけが捕まるだけでなく、自分たち家族も刑務所行きになることを恐れ、フリードリヒに警報が解除されるまでここで待っているようにと言ったのでした。「きっと今夜も、大丈夫だから。あとで、また一緒に写真を探そう」と……。
おそらく、爆撃機がやって来たことを知らせるサイレンが鳴ることはこれまでに何度もあったのでしょう。そして『ぼく』の一家はそのたびに防空壕へ逃げたものの、その度にそれほど大事に至るようなこともなく防空壕の外へ出てきた……ということが何度も繰り返されていたのではないでしょうか。
けれど、この日は違ったのです。フリードリヒは『ぼく』のお父さんの言うとおり、部屋でじっとしていたのでしょうが、爆撃機の攻撃があまりに激しかったので――恐ろしさのあまり、防空壕まで逃げてきます。
でも、そこには防空委員の腕章をした<見下げた奴>こと、例のレッシュ氏がいて……このあと、フリードリヒのことをさらなる悲劇が襲います。
では、次回でこのあらすじも最終回となりますm(_ _)m
それではまた~!!
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