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【最後の審判三部作之二:最後の審判】ジョン・マーティン
わたし、オフコースさんの歌とか全然詳しくないのですが(汗)、以前オフコースの歌に「キリストは来ないだろう」っていう曲があると聞いたことがあって(^^;)
いえ、何かメッセージ的にキリスト教を批判してるとか、自分的にはあんましそう感じないんですよね。「イエス・キリストは来ないだろう」とかだったら、アンチキリスト的な歌だなあって思ったかもしれないんですけど。。。
なんていうか、聖書でいう「終末の時」が訪れた場合、携挙されなかった人々は地上に取り残されることになり、その「残された人々」の視点から歌われている――と、クリスチャンの方が聞いた場合はそんな印象かもしれません。
でも、アニメやSF小説などで、色々な種類の「世界の終わり」っていうのが今まで随分描かれてきていますから、そちらからインスピレーションを受けて書かれた曲なんじゃないかな、なんて、自分的には想像しています(^^;)
それはさておき、キリスト教徒、クリスチャンと呼ばれる人々は全員、イエスさまの再臨を当然信じています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
>>イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみのはじめなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
死体のある所には、はげたかが集まります。
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
(マタイの福音書、第24章3~31節)
もし、わたしがノンクリスチャンであった頃に、「聖書にはこう書いてあるから、いずれこの世界が滅ぶ前に主を信じましょう」と言われていたとしたら……果たして信じていたか、それとも「うっさんくせー
」と思って終わりだったかどうかは、今となってはもちろんわかりません(^^;)
でも昔から、キリスト教にまつわる噂として、ある選ばれた人は救われるが、そうでない人は救われないとか、地獄へ落ちる的なことをなんとなく聞いていて、「キリスト教ってな、けったいなもんやなー
」と思うのと同時、「そんな神など神ではない!」という強い反発心がありました。
でも今は……イエスさまにやって来て欲しいと思うのと同時、世界の終末の時というのは悲惨な時代でもあるわけですから、そういう時代に生きていたくはないな……とも思い、そう考えると複雑だったりするわけです(^^;)
ただ、地震や戦争や……また、世界全体の雰囲気としても、「いつ何があってもおかしくはない」とう空気があり、一番心配なのはやっぱり<経済>のことかなっていう気がします(もちろん地震や異常気象のことも気になりますけれども)。今の時代のシステムとして、どこか一つの国がひとり勝ちすることはないとわかっているわけですし、その部分は注意深く慎重に見ていく必要があると思うのですが――以前あったサブプライムローン問題とかリーマンショックなど、一体何が<契機>となって経済が破綻するかって、誰にも予測不能と思うんですよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
そして、そうした経済的破綻っていうのが戦争に繋がる場合がありますし、究極、自国にないものは他国から奪ってくるしかない……というのが、戦争の原始的な原理という気がするのですが、イースター島のモアイ像のことは、おそらく誰もが知っていると思います。
イースター島に住んでいた人々は、あの小さい島の中で部族同士で食糧などの奪いあいをした結果として滅んだ――という説があるのを聞いたことがあります。つまり、あのモアイ像というのは、その民族同士で互いの部族の偉大さの象徴として、競って建てていたのではないか、ということらしく……けれども、あんなに小さな島で食糧の奪いあいのために戦争をしていたとすれば――結局のところ、それが原因で両部族とも滅びの道を辿ってしまったというのは、とても悲しいことのように思います。。。
これを今の地球全体に当てはめた場合、戦争によって奪いあいをするのではなく、共存共栄の道を模索したほうがよいということに当然なるわけですが……なんていうか、自分的にはそれが出来ないところが人類の愚かさというか、人間という生き物の難しさではないかという気がしているんですよね(^^;)。
そして、人間たちがそんな形でにっちもさっちもいかなくなった泥沼状態に陥った時……聖書の黙示録にもあるとおり、「キリストはやって来られる」のではないかと、わたし自身はそんな気がしています。
また、その時代というのは「神など信じて何になる
」といったような暗い時代であり、科学なども今以上にさらに発達して、神という存在を信じるのがさらに困難な時代になっているのではないかと想像します。
けれど、そんな時代にあって最後までイエスさまに対する信仰を固く守った者だけが、携挙され、雲の中で主と出会えるという光栄に浴すことが出来るのではないでしょうか。
>>主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
(テサロニケ人への手紙第一、第4章16~17節)
聖書のこの箇所だけ抜粋すると、ノンクリスチャンの方にとってはおそらく、「嘘くせー☆
」とか「うっさんくせー
」としか感じられないかもしれません。
でも、このいずれイエス・キリストが雲に乗ってやって来られるということと、携挙された場合は主と空中で出会えるということとは、アメリカの六割以上の人が信じていることだと、以前テレビのニュースでやっているのを見たことがあります(日本のアナウンサーの方は当然、とても不思議がっておられました^^;)。
けれども、ノアの箱舟のノアが、神さまに語られた100年後に実際に洪水を経験したように……聖書全体を通して読んでみますと「そんなことがどうやって起きるのか
」という不可能を神さまは可能にし、人間たちが「自分にはあんなこともこんなことも可能なのだ」と思っているところへ、予測しようもないことが起きるというのでしょうか。何かそうしたところがあるような気がします。
大体、中東のノアが住んでいたあたりって、年間降水量的なことを考えてみても、まずは洪水がくるだなんて想像も出来ないところですよね。しかも、「10年後に洪水が起きるから今から箱舟を造りなさい
」というならまだしも、100年後ですよ?(^^;)
そして、現代という時代を生きるわたしたちにとって、「いずれイエスさまが来られる黙示録の時代に備えなさい」というのも、実はノアの経験と似たところがある気がしています。
とりあえず、まあ、ここ2~3年は大丈夫だろうと思い、そして三年後には三年後で、その時にも「まあ、ここ2~3年は大丈夫だろう」と思い……そのように日々は過ぎていった――というような時の連なりを人は想像するものだと思います。
でも、イエスさまがこの世に来られて、時がクロノスからカイロスへ移ったように、神さまが「もう、今この時まで」と定められた瞬間が来たら、それが人類の終わりの時になると思うんですよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
わたしたちは普段、「神さまはなんて腰の重い方なんだろう。もっとこう、人類のためにサッ、ササッと迅速に行動してくださっても良さそうなものなのに……ブツブツ☆」なんて思ったりするものですが、でも、神さまの御手というのは、「動いた」となると、もうあっという間なのです。
そして、神さまにあって携挙された人々というのは、天使たちが光の速さでさらっていくようなものですから、残された人々が「それ」と気づかぬうちに、生きたまま天に上げられるということになる……という可能性が大きいと思います。
え?誰がそんな馬鹿な話を信じるのかですって??(笑)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
確かにそうです。人には自分が何を信じるかについて、信仰の自由がありますし、イエス・キリストの再臨などは、まこと、非科学的な法螺話にしか普通の人には聞こえないものでしょう。
けれども、天の御国に入れなかった人々は、「外の暗闇に放り出されて泣いて歯ぎしりする」とも聖書には書いてありますし、また、主は言われました。「あなたの信じたとおりになるように」と……。
およそ、信じられそうもないことを、聖霊さまを通して信じられるようにしてくださることもまた、神さまにある恵みに他ならないと、そのように思います。
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
わたし、オフコースさんの歌とか全然詳しくないのですが(汗)、以前オフコースの歌に「キリストは来ないだろう」っていう曲があると聞いたことがあって(^^;)
いえ、何かメッセージ的にキリスト教を批判してるとか、自分的にはあんましそう感じないんですよね。「イエス・キリストは来ないだろう」とかだったら、アンチキリスト的な歌だなあって思ったかもしれないんですけど。。。
なんていうか、聖書でいう「終末の時」が訪れた場合、携挙されなかった人々は地上に取り残されることになり、その「残された人々」の視点から歌われている――と、クリスチャンの方が聞いた場合はそんな印象かもしれません。
でも、アニメやSF小説などで、色々な種類の「世界の終わり」っていうのが今まで随分描かれてきていますから、そちらからインスピレーションを受けて書かれた曲なんじゃないかな、なんて、自分的には想像しています(^^;)
それはさておき、キリスト教徒、クリスチャンと呼ばれる人々は全員、イエスさまの再臨を当然信じています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
>>イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみのはじめなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
死体のある所には、はげたかが集まります。
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
(マタイの福音書、第24章3~31節)
もし、わたしがノンクリスチャンであった頃に、「聖書にはこう書いてあるから、いずれこの世界が滅ぶ前に主を信じましょう」と言われていたとしたら……果たして信じていたか、それとも「うっさんくせー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0202.gif)
でも昔から、キリスト教にまつわる噂として、ある選ばれた人は救われるが、そうでない人は救われないとか、地獄へ落ちる的なことをなんとなく聞いていて、「キリスト教ってな、けったいなもんやなー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
でも今は……イエスさまにやって来て欲しいと思うのと同時、世界の終末の時というのは悲惨な時代でもあるわけですから、そういう時代に生きていたくはないな……とも思い、そう考えると複雑だったりするわけです(^^;)
ただ、地震や戦争や……また、世界全体の雰囲気としても、「いつ何があってもおかしくはない」とう空気があり、一番心配なのはやっぱり<経済>のことかなっていう気がします(もちろん地震や異常気象のことも気になりますけれども)。今の時代のシステムとして、どこか一つの国がひとり勝ちすることはないとわかっているわけですし、その部分は注意深く慎重に見ていく必要があると思うのですが――以前あったサブプライムローン問題とかリーマンショックなど、一体何が<契機>となって経済が破綻するかって、誰にも予測不能と思うんですよね
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そして、そうした経済的破綻っていうのが戦争に繋がる場合がありますし、究極、自国にないものは他国から奪ってくるしかない……というのが、戦争の原始的な原理という気がするのですが、イースター島のモアイ像のことは、おそらく誰もが知っていると思います。
イースター島に住んでいた人々は、あの小さい島の中で部族同士で食糧などの奪いあいをした結果として滅んだ――という説があるのを聞いたことがあります。つまり、あのモアイ像というのは、その民族同士で互いの部族の偉大さの象徴として、競って建てていたのではないか、ということらしく……けれども、あんなに小さな島で食糧の奪いあいのために戦争をしていたとすれば――結局のところ、それが原因で両部族とも滅びの道を辿ってしまったというのは、とても悲しいことのように思います。。。
これを今の地球全体に当てはめた場合、戦争によって奪いあいをするのではなく、共存共栄の道を模索したほうがよいということに当然なるわけですが……なんていうか、自分的にはそれが出来ないところが人類の愚かさというか、人間という生き物の難しさではないかという気がしているんですよね(^^;)。
そして、人間たちがそんな形でにっちもさっちもいかなくなった泥沼状態に陥った時……聖書の黙示録にもあるとおり、「キリストはやって来られる」のではないかと、わたし自身はそんな気がしています。
また、その時代というのは「神など信じて何になる
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けれど、そんな時代にあって最後までイエスさまに対する信仰を固く守った者だけが、携挙され、雲の中で主と出会えるという光栄に浴すことが出来るのではないでしょうか。
>>主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
(テサロニケ人への手紙第一、第4章16~17節)
聖書のこの箇所だけ抜粋すると、ノンクリスチャンの方にとってはおそらく、「嘘くせー☆
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_full_s.gif)
でも、このいずれイエス・キリストが雲に乗ってやって来られるということと、携挙された場合は主と空中で出会えるということとは、アメリカの六割以上の人が信じていることだと、以前テレビのニュースでやっているのを見たことがあります(日本のアナウンサーの方は当然、とても不思議がっておられました^^;)。
けれども、ノアの箱舟のノアが、神さまに語られた100年後に実際に洪水を経験したように……聖書全体を通して読んでみますと「そんなことがどうやって起きるのか
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大体、中東のノアが住んでいたあたりって、年間降水量的なことを考えてみても、まずは洪水がくるだなんて想像も出来ないところですよね。しかも、「10年後に洪水が起きるから今から箱舟を造りなさい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
そして、現代という時代を生きるわたしたちにとって、「いずれイエスさまが来られる黙示録の時代に備えなさい」というのも、実はノアの経験と似たところがある気がしています。
とりあえず、まあ、ここ2~3年は大丈夫だろうと思い、そして三年後には三年後で、その時にも「まあ、ここ2~3年は大丈夫だろう」と思い……そのように日々は過ぎていった――というような時の連なりを人は想像するものだと思います。
でも、イエスさまがこの世に来られて、時がクロノスからカイロスへ移ったように、神さまが「もう、今この時まで」と定められた瞬間が来たら、それが人類の終わりの時になると思うんですよね
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わたしたちは普段、「神さまはなんて腰の重い方なんだろう。もっとこう、人類のためにサッ、ササッと迅速に行動してくださっても良さそうなものなのに……ブツブツ☆」なんて思ったりするものですが、でも、神さまの御手というのは、「動いた」となると、もうあっという間なのです。
そして、神さまにあって携挙された人々というのは、天使たちが光の速さでさらっていくようなものですから、残された人々が「それ」と気づかぬうちに、生きたまま天に上げられるということになる……という可能性が大きいと思います。
え?誰がそんな馬鹿な話を信じるのかですって??(笑)
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確かにそうです。人には自分が何を信じるかについて、信仰の自由がありますし、イエス・キリストの再臨などは、まこと、非科学的な法螺話にしか普通の人には聞こえないものでしょう。
けれども、天の御国に入れなかった人々は、「外の暗闇に放り出されて泣いて歯ぎしりする」とも聖書には書いてありますし、また、主は言われました。「あなたの信じたとおりになるように」と……。
およそ、信じられそうもないことを、聖霊さまを通して信じられるようにしてくださることもまた、神さまにある恵みに他ならないと、そのように思います。
それではまた~!!
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