【最後の審判三部作之一:神の大いなる怒りの日】ジョン・マーティン
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(ヘブル人への手紙、第4章12~13節)
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
(テサロニケ人への手紙第一、第5章23節)
>>聖霊を通して私たちの霊は神とコミュニケーションを持ち、神を礼拝することができます。けれども、ヘブル人への手紙、第4章12節のみことばからすれば、私たちが今の罪の状態でこの地上にとどまる間、私たちがふたたび自分の霊のからだを意識して支配(コントロール)するようになるのは、神のみこころではありません。
それゆえ、御霊の剣(神のことば)がたましいと霊を分ける(分断する)のです。いったん分けてしまえば、たましいは、もはや霊のからだをコントロールできなくなります。主がテサロニケ人への手紙第一、第5章23節で、私たちのたましいや肉体と同じく、私たちの霊もイエス・キリストの完全な主権のもとに置かなければならないことをはっきり示しているのもそのためです。
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
今回の記事は、前回の記事の一部補足となりますm(_ _)m
ヘブル人への手紙、第4章12節に、神さまにはたましいと霊の分かれ目さえも刺し通して切り離すことが出来る、とあることから、神さまはその御心により、わたしたち自身の意志(たましい)によっては、霊のからだをコントロールできないようにしている……とレベッカ・ブラウンさんは書かれています。
この場合のたましいというのは、わたしたちの精神や心、意識ある知性・意志・感情ということなのですが、健全なクリスチャンというのは、【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】すべてによって、「神さま、イエスさま、あなたのみこころのとおりになりますように」と、そのような聖霊の一致をもって礼拝を捧げていると思うんですよね。
けれども、前回書きましたとおり、アダムとエヴァが罪を犯してエデンの園から追い出されてしまったことから……以降、エデンの園で持っていたようには、アダムとエヴァは【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】によって元は持っていたはずの神さまとコミュニケーションするという道が絶たれてしまいました。
わたしたちクリスチャンは、教会でイエスさまの十字架の血潮を信じる告白をし、聖霊さまを与えられることによって、死んでいたはずの霊のからだが聖霊さまによって活性化され、再び神さまとコミュニケーションすることの出来る道が開かれます。
これがキリスト教でいう<新生>ということですが、最初、『サタンのわな』のこの部分を読んだ時、神さまはその御心によりわたしたちの【たましい】と【霊のからだ】を御霊の剣(神のことば)によって分離している……ゆえに、わたしたちの【たましい】は【霊のからだ】をコントロールすることが出来ません、といったことの意味がいまひとつよくわかりませんでした
けれども、このあとにアストラル・プロジェクション(幽体離脱)のことが書かれており、その対比によって、レベッカ・ブラウンさんの書いている文章の意味がわかったのです(^^;)
悪魔(サタン)・悪霊がよく行うことのひとつに(ようするに、オカルトその他の活動において、ということですが)、わたしたち人間の【たましい】に【霊のからだ】をコントロールするよう教える、ということがあるそうです。
自分の体から霊を離すことが出来る、という話は、誰でも聞いたことがあると思います。あるいは、自分の霊を自分の体から離して、同時に別の場所に現れることが出来る能力というのもあり(このことを「バイロケーション」と呼ぶそうです)、後者はわたし、テレビでとても有名な芸能人の方がおっしゃっているのを聞いたことがあります。
その方は自分から魂を離す(離魂(りこん)する、という言い方をされていたと思います)ことによって、肉体は今ある場所にそのままありながら、魂だけを別の場所に飛ばすことが出来る、ということでした。そして実際に、「△□さん、きのう、○△にいましたよね?」みたいに人から言われたりすることもあるそうです。そうした時、その方は「あなたはわたしの離魂した魂のほうを見たのよ」といったようにおっしゃったりするとか。
また、アストラル・プロジェクション(幽体離脱)に関しては、レベッカ・ブラウンさんは女優のシャーリー・マクレーンさんの書かれた本から引用されているのですが、わたしも他の本ですが、シャーリー・マクレーンさんの書かれた、彼女の<霊的探求>系の本を古本屋さんで買ったことがあります。
というのも、これもまた別の本の中で、シャーリー・マクレーンさんの書かれた文章の一部が抜粋されていたことがあり、確かに言ってることはおかしいものの、妙に真実味がある……というのでしょうか。つまり、わたしはシャーリー・マクレーンさんのように女優としても素晴らしく、人間としても聡明な女性であるように感じられる方が、どのようにしてそのような<霊的探求の道>といったものに入っていったのか、そのことを知りたいと思い、彼女の本を読んでみることにしたのです。
そして、読んでみるとすごくよくわかるんですよね。「この本を書かれた方は非常に聡明で頭のいい人で、嘘は書いていない」といったことが。ただ、その本の中に、聖書は読んだことがなく、キリスト教の教えについても詳しく触れたことがない……といったことも書かれてあり、自分的には「なるほど」と妙に納得したものでした。
ゆえに、わかるのです。レベッカ・ブラウンさんの書かれているシャーリー・マクレーンさんが経験したというアストラル・プロジェクション(幽体離脱)というのは本当のことでしょうし、ただ、シャーリー・マクレーンさんは他の星から来たとかいう男性の言っていることを信じていたり、またこの方というのが「イエス・キリストは確かに存在しただろう。彼はおそらくはインドで仏陀から教えを受けたのだ」みたいなことを言っていたりするというのは、誰がどう聞いても「そりゃ、かなりとこおかしいのでは?」といったことになるという、そうしたことだと思うんですよね(^^;)
けれどもわたしが思うに、アメリカのようなキリスト教国でも、今は人種の多様性や個々人の宗教・信仰の自由を尊重する考えから、シャーリー・マクレーンさんのように、イエスさまを信じることによって与えられる聖霊さまの力、といったことを知らない方というのは本当にとても多いのだと思います。
そして、一般的な日本の方がわたしの書いている文章を読んだ場合、わたしが聖霊さまの力がどうこう言っているのも、アストラル・プロジェクション云々といったことも、ほぼ同列に「どっちもどっちや。気違いの宗教かぶれや」くらいにしか感じられないことかもしれません。
また、これもテレビでアストラル・プロジェクション(幽体離脱)のことを語っている人が出ていた時に聞いたことなのですが、この肉体から離した霊同士でセックスすることが出来る、ということだったんですよね(爆☆)。その話を聞いていた芸能人の方も笑っていましたし、わたしもテレビを見ながら大笑いしてしまいました。けれども、体験した方が話すには、肉体同士の気持ちよさとは比較にならないほどのエクスタシーというのか快楽があるそうで、幽体離脱した魂にナンパされたりすることもあるという話ww
事の真偽のほうは経験した方にしかわからないのでしょうが、これはあくまでわかりやすいように、極端な例として書きました。じゃなかったらこんな馬鹿みたいな話、わたしも引用したりしたくないのですが、わたしたちクリスチャンが【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】を清く保たなくてはいけない理由というのは、こうしたところにもあるのだということがわかると思います。
多くの場合、【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】を清く保たなくてはいけないと言われると、ほとんどのクリスチャンの方が考えるのは、肉体とたましいのことではないでしょうか。つまりは、複数の男性や女性と同時につきあったりしないですとか、清い結婚生活をして浮気はしないですとか、あるいは思考を神さまに喜ばれるよう清く保つ……といったことです。このあたりを守ってさえいたら、当然霊のからだも清く保たれるに違いない、そう考えるのが普通というか、一般的ではないでしょうか。
これは気づきにくいことですが、わたしたちクリスチャンは教会でイエスさまのことを信じて受け容れ、聖霊さまを受けた時点で――その後、まったく考えを翻して他宗教を信じたり、オカルト的な働きに関わるといった極端なことさえなければ、自然と当たり前のように【霊のからだ】は守られることになります。何故なら、御霊の剣(神のことば)によってわたしたちの【たましい】が【霊のからだ】をコントロールすることがないよう聖霊さまによって当たり前のように守られているからです。
ところが、悪魔(サタン)・悪霊というのは、キリスト教徒でない他の未信者の方(また、キリスト教徒であっても聖霊を受けていない場合は未信者の方と同じかもしれません)の【たましい】に【霊のからだ】をコントロールするよう、つまりは神さまの御心に背くように教えるのです。
この世界には昔からいわゆる霊能者と呼ばれる方がたくさんいて、そうした方というのはこうした霊の世界から情報を得ることによって色々と不思議なことを行ったり、あるいは言い当てたりといったことがあると思うのですが、一度こうした形で悪魔(サタン)・悪霊にくびきをつけられると、その方の【霊のからだ】は、悪魔(サタン)・悪霊の奴隷ということになります。もちろん、それが悪しき力によるものだとその方が自覚していることは多くの場合ありませんから、「この不思議なことはどういうことなのだろう」とか、「この霊的な道をさらに探求してみたい」ということになるのでしょうが、こうしたことに関わりを持つ方の最終的な結末は魂の滅びなのです。
悪魔(サタン)・悪霊の策略というのは、非常に巧妙なもので、もし彼らが自ら「わたしは悪魔だよーん」だのと名乗っていれば、そんな悪い力とは関わりにならないと決心する方は多いと思いますが、悪魔(サタン)・悪霊の知恵というのは、わたしたちが「そうと知らない」、「わからない」間に自分たちの支配下に置くということなのです。
ここまで書いてくれば、おそらく前回「ん?なんかこれ、おかしくないか?異端の可能性も……」と感じられたクリスチャンの方も、「なるほど。そういう意味か」と御理解いただけたのではないでしょうか。
わたしたちクリスチャンが<破れ口>に立って祈り、戦っていかなければいけないのも、今すでに自分が知らない間に、こうした悪魔(サタン)・悪霊のくびきの下にある方の解放のためであり、そうした方をイエス・キリストに立ち返らせて神さまと聖霊さまの守護の元に置くこそ、三位一体なる神の御心であることは間違いありません。
>>私は本書で非常に重みのあるテーマをいくつか書いてきましたが、みなさんの中には、自分はこれらの情報をどうすればよいのだろうと考えている方が、きっと多くいることでしょう。私たちはまず、次のことを認識しなければなりません。
「彼(イエス)は彼らに言われた。『収穫は多いが働き人は少ない。だからあなたがたは、収穫の主に、彼が働き人を彼の収穫の中へ送り出してくださるよう願いなさい」
(ルカの福音書、第10章2節)
私たちは確かに『終わりの時代』に生きています。私たちの主の再臨は迫っています。大ぜいのたましいが、あの判決の谷におり、もし私たちがサタンと彼の悪霊たちに攻撃しなければ、それらの尊いたましいは地獄で永遠に滅びることになります。
あなたは、この収穫の働き人になろうとしているでしょうか?あなたが彼らに語らないなら、これらの失われた捕われ人たちは、自分が救われて解放されるために主の御名を呼び求めることを、どうやって知るのでしょうか?彼が判決の谷を通ってまっすぐ地獄に行進するのを、あなたはそばで立って見ているつもりでしょうか?あなたはキリストの裁きの御座の前に立ち、あなたがこの収穫の働き人になろうとしなかっために地獄に行ってしまったすべての人々について、申し開きをしなければならなくなるのではないでしょうか?
「なぜなら、主の御名を呼び求める者はみな救われるからです。では、彼らは信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか?彼らは聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか?宣べ伝えることなしに、彼らはどのようにして聞くのでしょうか?彼らは遣わされなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか?」
(ローマ人への手紙、第10章13~15節)
私たちの父なる神があなたを祝福し、神のひとり子、私たちの主イエス・キリストを通して、あなたの道を一歩一歩導いてくださいますように。
主イエスよ、すぐに来てください!
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
わたし自身、もともとは「悪魔(サタン)・悪霊・地獄」といったことについては、そう深刻に論じたくないといった傾向があり、「悪魔・悪霊」といったことについては、自分が何かと悩まされることがあるもので、「これはどういうことなのか?」ということを考えているうちに、色々と学んでいくことになったのですが、それでも「地獄」ということは今もあまり想像したくないところが残ってたりするんですよね(^^;)
何故かといえば、もしわたしがもっと信仰熱心で「地獄」というものをリアルに感じていたとすれば――もう道ゆく人すべてにイエスさまのことを熱心に語らずにはいられないくらいになるのではないでしょうか。でも今現在そうなっていないということは、「その程度の信仰だ」ということなのです。
また、わたしの元の考えがそうであるように、「悪魔だの悪霊だのいう点を強調しすぎて、人から変人だと思われたくない」との人間的な思いが強かったり、あるいは牧師の役職にある方であれば、自身の教会の評判にも関わることから、そのあたりは当たり障りなく……という場合も多いかもしれません。
けれども、教会で何か分裂的兆候が見られるような時、「主、イエス・キリストの御名において命じる!分派・分裂を引き起こす霊よ、今すぐここから出ていけ!!」、「言い争いを引き起こす霊よ、今すぐここから出ていけ!!」と熱心な祈りとともに命じるのは大切なことだと思います。もしそれがただの、人間的な言い争いであれば、人間的な仲裁で静まると思いますが、それ以上の、牧師さん御夫妻が鬱病になる……くらいのレベルのものは特に、こうした霊的対応というのが非常に重要になってくると思います(もしそうではなく、鬱病の癒しのみを求めていく時、何故かいつまでも癒されない、問題も一切解決しないという壁にぶち当たることがあるのではないでしょうか。けれども、この壁を破るために、悪魔・悪霊に出ていくよう命じる、そのことを続けた時に初めて霊的解決が与えられるということが間違いなくあると思います)。
レベッカ・ブラウンさんも、人から変人・おかしな人との誤解を受けるのを避けるために、トイレなどの個室でこうした霊の戦いをすることがよくあるそうです。そう本に書いてあるのを読んだ時、本当にすごい霊の人だと思いましたし、自分もレベッカ・ブラウンさんのような働き人になれたらどんなにいいかと思いました
では、最後に、レベッカ・ブラウンさんの本の中で、わたしが一番好きな箇所について引用して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
>>飛行機の中で聞いた神の声
数カ月前、教会での奉仕のため、イレイン(サタン崇拝から解放された女性)と私が東海岸に向かう飛行機に乗っていました。私たちはとても疲れており、私はそこに着くまで眠る予定でいました。けれども、飛行機を乗り継いでからの旅の後半、私は一人の小柄な婦人のとなりの席に座りました。八十代くらいの婦人でした。私は彼女と会話しようとしましたが、彼女は話しをさえぎり、だれとも話したくないのが明らかでした。
飛行機に乗って約一時間後、主が私に語って言われました。「あなたのとなりの婦人に福音を伝えなさい」私は、イエス・キリストの福音をさまざまな人々に、いろいろな状況で伝えることに慣れていました。けれども、この時、私は強い抵抗感を覚えました。「主よ、どうしてできるでしょう?彼女は私と話すことさえしません!」私は、私のした質問の答えを受け取りませんでした。それで、からだを後ろにもたれ、眠ろうとしました。
約五分後、主はふたたび私に語られ、同じことを私に命じられました。私は彼女の注意を引くのに使う適切なトラクトを捜して、かばんをくまなくひっくり返しました。飛行機を乗り継いだ空港で、私は最後のトラクトを渡してしまっていました。どうしようかと座って考えていると、主は最後にもう一度、私に非常に力強く語られました。「もしあなたがこの女性に福音を伝えなければ、彼女は地獄に行き彼女の血はあなたの手の上に置かれる!」言うまでもなく、私はこれによって激しく揺さぶられました。
私は、私がこの女性に福音を伝えることに気が進まなかったのは、私が悪霊によってそそのかされていたからだと気付きました。彼女の内にいる悪霊が、私が彼女に語りかけるのをとどめようとして私を苦しめていたのです。私は静かな声で、イエスの御名によって悪霊を縛りました。
それから私はその婦人の方に向いて言いました。
「お尋ねしてもよろしいですか?」
驚いたことに、彼女はとても楽しそうに私の方を向いて言いました。
「ええ、いいわよ」
「イエス・キリストをご存じですか?」
「いいえ、一度も聞いたことがないわ」
「何か信仰を持っておられますか?」
「いいえ、そんなこと、一度も考えたことがないわ。いったい、神様ってどんな方なの?」
私はびっくりしてしまいました。後でわかったことですが、そこにいたのは八十二歳の老婦人で、人生の終わり近くであることが明らかでした。彼女は人生のほとんどをこのアメリカで過ごしてきたのにイエス様については聞いたことすらなく、神を崇めることを考えてみたこともなかったのです!
もし私が主に聞き従わず、彼女に福音を伝えなかったら、何という悲劇となったことでしょう。悪霊は、彼女をこの人生でも永遠にも、まんまとわなにかけたと思ったことでしょう。もう少しで悪霊が勝利するところでした。私は彼女に福音を伝え、小型の聖書を彼女にあげました。そこでは彼女は私といっしょに祈ることには気が進みませんでしたが、その聖書を読んで、私が話しをしたこのイエス様についてもっと理解を深めることを約束してくれました。
私たちが福音をだれかに伝えるのを妨害するのは、悪霊にとってどんなに簡単なことか、おわかりでしょうか?私たちは、もしかすると悪霊が妨げているのかもしれない、といつも注意していなければなりません。あなたが今度、だれかに福音を伝えるべきだという促しを感じながらも、しりごみしている自分に気付いた時は、あなたが神に従うのをとどめようとしている悪霊を縛ることをしてください。
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(ヘブル人への手紙、第4章12~13節)
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
(テサロニケ人への手紙第一、第5章23節)
>>聖霊を通して私たちの霊は神とコミュニケーションを持ち、神を礼拝することができます。けれども、ヘブル人への手紙、第4章12節のみことばからすれば、私たちが今の罪の状態でこの地上にとどまる間、私たちがふたたび自分の霊のからだを意識して支配(コントロール)するようになるのは、神のみこころではありません。
それゆえ、御霊の剣(神のことば)がたましいと霊を分ける(分断する)のです。いったん分けてしまえば、たましいは、もはや霊のからだをコントロールできなくなります。主がテサロニケ人への手紙第一、第5章23節で、私たちのたましいや肉体と同じく、私たちの霊もイエス・キリストの完全な主権のもとに置かなければならないことをはっきり示しているのもそのためです。
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
今回の記事は、前回の記事の一部補足となりますm(_ _)m
ヘブル人への手紙、第4章12節に、神さまにはたましいと霊の分かれ目さえも刺し通して切り離すことが出来る、とあることから、神さまはその御心により、わたしたち自身の意志(たましい)によっては、霊のからだをコントロールできないようにしている……とレベッカ・ブラウンさんは書かれています。
この場合のたましいというのは、わたしたちの精神や心、意識ある知性・意志・感情ということなのですが、健全なクリスチャンというのは、【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】すべてによって、「神さま、イエスさま、あなたのみこころのとおりになりますように」と、そのような聖霊の一致をもって礼拝を捧げていると思うんですよね。
けれども、前回書きましたとおり、アダムとエヴァが罪を犯してエデンの園から追い出されてしまったことから……以降、エデンの園で持っていたようには、アダムとエヴァは【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】によって元は持っていたはずの神さまとコミュニケーションするという道が絶たれてしまいました。
わたしたちクリスチャンは、教会でイエスさまの十字架の血潮を信じる告白をし、聖霊さまを与えられることによって、死んでいたはずの霊のからだが聖霊さまによって活性化され、再び神さまとコミュニケーションすることの出来る道が開かれます。
これがキリスト教でいう<新生>ということですが、最初、『サタンのわな』のこの部分を読んだ時、神さまはその御心によりわたしたちの【たましい】と【霊のからだ】を御霊の剣(神のことば)によって分離している……ゆえに、わたしたちの【たましい】は【霊のからだ】をコントロールすることが出来ません、といったことの意味がいまひとつよくわかりませんでした
けれども、このあとにアストラル・プロジェクション(幽体離脱)のことが書かれており、その対比によって、レベッカ・ブラウンさんの書いている文章の意味がわかったのです(^^;)
悪魔(サタン)・悪霊がよく行うことのひとつに(ようするに、オカルトその他の活動において、ということですが)、わたしたち人間の【たましい】に【霊のからだ】をコントロールするよう教える、ということがあるそうです。
自分の体から霊を離すことが出来る、という話は、誰でも聞いたことがあると思います。あるいは、自分の霊を自分の体から離して、同時に別の場所に現れることが出来る能力というのもあり(このことを「バイロケーション」と呼ぶそうです)、後者はわたし、テレビでとても有名な芸能人の方がおっしゃっているのを聞いたことがあります。
その方は自分から魂を離す(離魂(りこん)する、という言い方をされていたと思います)ことによって、肉体は今ある場所にそのままありながら、魂だけを別の場所に飛ばすことが出来る、ということでした。そして実際に、「△□さん、きのう、○△にいましたよね?」みたいに人から言われたりすることもあるそうです。そうした時、その方は「あなたはわたしの離魂した魂のほうを見たのよ」といったようにおっしゃったりするとか。
また、アストラル・プロジェクション(幽体離脱)に関しては、レベッカ・ブラウンさんは女優のシャーリー・マクレーンさんの書かれた本から引用されているのですが、わたしも他の本ですが、シャーリー・マクレーンさんの書かれた、彼女の<霊的探求>系の本を古本屋さんで買ったことがあります。
というのも、これもまた別の本の中で、シャーリー・マクレーンさんの書かれた文章の一部が抜粋されていたことがあり、確かに言ってることはおかしいものの、妙に真実味がある……というのでしょうか。つまり、わたしはシャーリー・マクレーンさんのように女優としても素晴らしく、人間としても聡明な女性であるように感じられる方が、どのようにしてそのような<霊的探求の道>といったものに入っていったのか、そのことを知りたいと思い、彼女の本を読んでみることにしたのです。
そして、読んでみるとすごくよくわかるんですよね。「この本を書かれた方は非常に聡明で頭のいい人で、嘘は書いていない」といったことが。ただ、その本の中に、聖書は読んだことがなく、キリスト教の教えについても詳しく触れたことがない……といったことも書かれてあり、自分的には「なるほど」と妙に納得したものでした。
ゆえに、わかるのです。レベッカ・ブラウンさんの書かれているシャーリー・マクレーンさんが経験したというアストラル・プロジェクション(幽体離脱)というのは本当のことでしょうし、ただ、シャーリー・マクレーンさんは他の星から来たとかいう男性の言っていることを信じていたり、またこの方というのが「イエス・キリストは確かに存在しただろう。彼はおそらくはインドで仏陀から教えを受けたのだ」みたいなことを言っていたりするというのは、誰がどう聞いても「そりゃ、かなりとこおかしいのでは?」といったことになるという、そうしたことだと思うんですよね(^^;)
けれどもわたしが思うに、アメリカのようなキリスト教国でも、今は人種の多様性や個々人の宗教・信仰の自由を尊重する考えから、シャーリー・マクレーンさんのように、イエスさまを信じることによって与えられる聖霊さまの力、といったことを知らない方というのは本当にとても多いのだと思います。
そして、一般的な日本の方がわたしの書いている文章を読んだ場合、わたしが聖霊さまの力がどうこう言っているのも、アストラル・プロジェクション云々といったことも、ほぼ同列に「どっちもどっちや。気違いの宗教かぶれや」くらいにしか感じられないことかもしれません。
また、これもテレビでアストラル・プロジェクション(幽体離脱)のことを語っている人が出ていた時に聞いたことなのですが、この肉体から離した霊同士でセックスすることが出来る、ということだったんですよね(爆☆)。その話を聞いていた芸能人の方も笑っていましたし、わたしもテレビを見ながら大笑いしてしまいました。けれども、体験した方が話すには、肉体同士の気持ちよさとは比較にならないほどのエクスタシーというのか快楽があるそうで、幽体離脱した魂にナンパされたりすることもあるという話ww
事の真偽のほうは経験した方にしかわからないのでしょうが、これはあくまでわかりやすいように、極端な例として書きました。じゃなかったらこんな馬鹿みたいな話、わたしも引用したりしたくないのですが、わたしたちクリスチャンが【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】を清く保たなくてはいけない理由というのは、こうしたところにもあるのだということがわかると思います。
多くの場合、【血肉のからだ】、【たましい】、【霊のからだ】を清く保たなくてはいけないと言われると、ほとんどのクリスチャンの方が考えるのは、肉体とたましいのことではないでしょうか。つまりは、複数の男性や女性と同時につきあったりしないですとか、清い結婚生活をして浮気はしないですとか、あるいは思考を神さまに喜ばれるよう清く保つ……といったことです。このあたりを守ってさえいたら、当然霊のからだも清く保たれるに違いない、そう考えるのが普通というか、一般的ではないでしょうか。
これは気づきにくいことですが、わたしたちクリスチャンは教会でイエスさまのことを信じて受け容れ、聖霊さまを受けた時点で――その後、まったく考えを翻して他宗教を信じたり、オカルト的な働きに関わるといった極端なことさえなければ、自然と当たり前のように【霊のからだ】は守られることになります。何故なら、御霊の剣(神のことば)によってわたしたちの【たましい】が【霊のからだ】をコントロールすることがないよう聖霊さまによって当たり前のように守られているからです。
ところが、悪魔(サタン)・悪霊というのは、キリスト教徒でない他の未信者の方(また、キリスト教徒であっても聖霊を受けていない場合は未信者の方と同じかもしれません)の【たましい】に【霊のからだ】をコントロールするよう、つまりは神さまの御心に背くように教えるのです。
この世界には昔からいわゆる霊能者と呼ばれる方がたくさんいて、そうした方というのはこうした霊の世界から情報を得ることによって色々と不思議なことを行ったり、あるいは言い当てたりといったことがあると思うのですが、一度こうした形で悪魔(サタン)・悪霊にくびきをつけられると、その方の【霊のからだ】は、悪魔(サタン)・悪霊の奴隷ということになります。もちろん、それが悪しき力によるものだとその方が自覚していることは多くの場合ありませんから、「この不思議なことはどういうことなのだろう」とか、「この霊的な道をさらに探求してみたい」ということになるのでしょうが、こうしたことに関わりを持つ方の最終的な結末は魂の滅びなのです。
悪魔(サタン)・悪霊の策略というのは、非常に巧妙なもので、もし彼らが自ら「わたしは悪魔だよーん」だのと名乗っていれば、そんな悪い力とは関わりにならないと決心する方は多いと思いますが、悪魔(サタン)・悪霊の知恵というのは、わたしたちが「そうと知らない」、「わからない」間に自分たちの支配下に置くということなのです。
ここまで書いてくれば、おそらく前回「ん?なんかこれ、おかしくないか?異端の可能性も……」と感じられたクリスチャンの方も、「なるほど。そういう意味か」と御理解いただけたのではないでしょうか。
わたしたちクリスチャンが<破れ口>に立って祈り、戦っていかなければいけないのも、今すでに自分が知らない間に、こうした悪魔(サタン)・悪霊のくびきの下にある方の解放のためであり、そうした方をイエス・キリストに立ち返らせて神さまと聖霊さまの守護の元に置くこそ、三位一体なる神の御心であることは間違いありません。
>>私は本書で非常に重みのあるテーマをいくつか書いてきましたが、みなさんの中には、自分はこれらの情報をどうすればよいのだろうと考えている方が、きっと多くいることでしょう。私たちはまず、次のことを認識しなければなりません。
「彼(イエス)は彼らに言われた。『収穫は多いが働き人は少ない。だからあなたがたは、収穫の主に、彼が働き人を彼の収穫の中へ送り出してくださるよう願いなさい」
(ルカの福音書、第10章2節)
私たちは確かに『終わりの時代』に生きています。私たちの主の再臨は迫っています。大ぜいのたましいが、あの判決の谷におり、もし私たちがサタンと彼の悪霊たちに攻撃しなければ、それらの尊いたましいは地獄で永遠に滅びることになります。
あなたは、この収穫の働き人になろうとしているでしょうか?あなたが彼らに語らないなら、これらの失われた捕われ人たちは、自分が救われて解放されるために主の御名を呼び求めることを、どうやって知るのでしょうか?彼が判決の谷を通ってまっすぐ地獄に行進するのを、あなたはそばで立って見ているつもりでしょうか?あなたはキリストの裁きの御座の前に立ち、あなたがこの収穫の働き人になろうとしなかっために地獄に行ってしまったすべての人々について、申し開きをしなければならなくなるのではないでしょうか?
「なぜなら、主の御名を呼び求める者はみな救われるからです。では、彼らは信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか?彼らは聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか?宣べ伝えることなしに、彼らはどのようにして聞くのでしょうか?彼らは遣わされなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか?」
(ローマ人への手紙、第10章13~15節)
私たちの父なる神があなたを祝福し、神のひとり子、私たちの主イエス・キリストを通して、あなたの道を一歩一歩導いてくださいますように。
主イエスよ、すぐに来てください!
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
わたし自身、もともとは「悪魔(サタン)・悪霊・地獄」といったことについては、そう深刻に論じたくないといった傾向があり、「悪魔・悪霊」といったことについては、自分が何かと悩まされることがあるもので、「これはどういうことなのか?」ということを考えているうちに、色々と学んでいくことになったのですが、それでも「地獄」ということは今もあまり想像したくないところが残ってたりするんですよね(^^;)
何故かといえば、もしわたしがもっと信仰熱心で「地獄」というものをリアルに感じていたとすれば――もう道ゆく人すべてにイエスさまのことを熱心に語らずにはいられないくらいになるのではないでしょうか。でも今現在そうなっていないということは、「その程度の信仰だ」ということなのです。
また、わたしの元の考えがそうであるように、「悪魔だの悪霊だのいう点を強調しすぎて、人から変人だと思われたくない」との人間的な思いが強かったり、あるいは牧師の役職にある方であれば、自身の教会の評判にも関わることから、そのあたりは当たり障りなく……という場合も多いかもしれません。
けれども、教会で何か分裂的兆候が見られるような時、「主、イエス・キリストの御名において命じる!分派・分裂を引き起こす霊よ、今すぐここから出ていけ!!」、「言い争いを引き起こす霊よ、今すぐここから出ていけ!!」と熱心な祈りとともに命じるのは大切なことだと思います。もしそれがただの、人間的な言い争いであれば、人間的な仲裁で静まると思いますが、それ以上の、牧師さん御夫妻が鬱病になる……くらいのレベルのものは特に、こうした霊的対応というのが非常に重要になってくると思います(もしそうではなく、鬱病の癒しのみを求めていく時、何故かいつまでも癒されない、問題も一切解決しないという壁にぶち当たることがあるのではないでしょうか。けれども、この壁を破るために、悪魔・悪霊に出ていくよう命じる、そのことを続けた時に初めて霊的解決が与えられるということが間違いなくあると思います)。
レベッカ・ブラウンさんも、人から変人・おかしな人との誤解を受けるのを避けるために、トイレなどの個室でこうした霊の戦いをすることがよくあるそうです。そう本に書いてあるのを読んだ時、本当にすごい霊の人だと思いましたし、自分もレベッカ・ブラウンさんのような働き人になれたらどんなにいいかと思いました
では、最後に、レベッカ・ブラウンさんの本の中で、わたしが一番好きな箇所について引用して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
>>飛行機の中で聞いた神の声
数カ月前、教会での奉仕のため、イレイン(サタン崇拝から解放された女性)と私が東海岸に向かう飛行機に乗っていました。私たちはとても疲れており、私はそこに着くまで眠る予定でいました。けれども、飛行機を乗り継いでからの旅の後半、私は一人の小柄な婦人のとなりの席に座りました。八十代くらいの婦人でした。私は彼女と会話しようとしましたが、彼女は話しをさえぎり、だれとも話したくないのが明らかでした。
飛行機に乗って約一時間後、主が私に語って言われました。「あなたのとなりの婦人に福音を伝えなさい」私は、イエス・キリストの福音をさまざまな人々に、いろいろな状況で伝えることに慣れていました。けれども、この時、私は強い抵抗感を覚えました。「主よ、どうしてできるでしょう?彼女は私と話すことさえしません!」私は、私のした質問の答えを受け取りませんでした。それで、からだを後ろにもたれ、眠ろうとしました。
約五分後、主はふたたび私に語られ、同じことを私に命じられました。私は彼女の注意を引くのに使う適切なトラクトを捜して、かばんをくまなくひっくり返しました。飛行機を乗り継いだ空港で、私は最後のトラクトを渡してしまっていました。どうしようかと座って考えていると、主は最後にもう一度、私に非常に力強く語られました。「もしあなたがこの女性に福音を伝えなければ、彼女は地獄に行き彼女の血はあなたの手の上に置かれる!」言うまでもなく、私はこれによって激しく揺さぶられました。
私は、私がこの女性に福音を伝えることに気が進まなかったのは、私が悪霊によってそそのかされていたからだと気付きました。彼女の内にいる悪霊が、私が彼女に語りかけるのをとどめようとして私を苦しめていたのです。私は静かな声で、イエスの御名によって悪霊を縛りました。
それから私はその婦人の方に向いて言いました。
「お尋ねしてもよろしいですか?」
驚いたことに、彼女はとても楽しそうに私の方を向いて言いました。
「ええ、いいわよ」
「イエス・キリストをご存じですか?」
「いいえ、一度も聞いたことがないわ」
「何か信仰を持っておられますか?」
「いいえ、そんなこと、一度も考えたことがないわ。いったい、神様ってどんな方なの?」
私はびっくりしてしまいました。後でわかったことですが、そこにいたのは八十二歳の老婦人で、人生の終わり近くであることが明らかでした。彼女は人生のほとんどをこのアメリカで過ごしてきたのにイエス様については聞いたことすらなく、神を崇めることを考えてみたこともなかったのです!
もし私が主に聞き従わず、彼女に福音を伝えなかったら、何という悲劇となったことでしょう。悪霊は、彼女をこの人生でも永遠にも、まんまとわなにかけたと思ったことでしょう。もう少しで悪霊が勝利するところでした。私は彼女に福音を伝え、小型の聖書を彼女にあげました。そこでは彼女は私といっしょに祈ることには気が進みませんでしたが、その聖書を読んで、私が話しをしたこのイエス様についてもっと理解を深めることを約束してくれました。
私たちが福音をだれかに伝えるのを妨害するのは、悪霊にとってどんなに簡単なことか、おわかりでしょうか?私たちは、もしかすると悪霊が妨げているのかもしれない、といつも注意していなければなりません。あなたが今度、だれかに福音を伝えるべきだという促しを感じながらも、しりごみしている自分に気付いた時は、あなたが神に従うのをとどめようとしている悪霊を縛ることをしてください。
(『サタンのわな』レベッカ・ブラウンさん著/エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊より)
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