神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あのころはフリードリヒがいた-【6】-

2015年08月18日 | 
【エルサレムウィンドウ:ユダ族】マルク・シャガール


 今回は、第20章目のポグロム(1938年)からお話をはじめたいと思いますm(_ _)m


 >>アスケナーゼ先生のところまでくると、先生の表札がひんまげられて玄関の前にころがっていた。診察室の窓枠が、地下室の入り口のシャッターの紐にひっかかっていた。誰がしたのか、道いっぱいに医療器具がぶちまけてあった。

 割れ散った薬びんの臭気が、あたり一帯に充満していた。溝に、たたきこわされたラジオがつっこんであった。

 ずっと先の、あのあごひげの小柄なユダヤ人、アブラハム・ローゼンタールの店で、割れたガラスの破片が車道のまん中までもとび散っているのが見えた。歩道には、売台やこわれた商品棚が、がらくたの山のようにつみあげてあった。

 風が、汚くなったタイプ用紙を家の壁に吹きつけていた。

 大人が二、三人、散らかった商品を足でかきまわし、ときどきさっとかがんでなにかをひろいあげては、大急ぎで自分のかばんにつっこんでいた。


 このアスケナーゼ先生は、アスケナーゼという名前からもわかるとおり、ユダヤ人のお医者さんでした。また、フリードリヒにとってのかかりつけ医だったと思われます。

 ローゼンタールさんは文房具店を経営しており、以前にも<ユダヤ人だから>との理由で、不当な嫌がらせのようなものを受けたり、アスケナーゼ先生のところの表札には、赤く<ユダヤ人>と誰かが書き殴っていたということもありました。

 時代が今ほど暗く悪くなる前までは――もしかしたらこれでも、「まだそれで済んでいた」というところがあったかもしれません。けれど、ユダヤ人に対する排斥運動は、とうとうこんなところまでやって来てしまったのです。

 そしてこの、第20章目の<ポグロム>という章では、驚いたことに、『ぼく』自身がユダヤ人見習い工の寮を他の人々と一緒に襲撃するという場面が描かれています。「えっ、どうして!?」という感じがしますが、本を読んでみるとそれもわかるようながしたり


 >>次の角で、男の人が五人と女の人が三人の一団に出会った。その人たちは手に手にかなてこをふりかざし、汚い帽子やネッカチーフを頭にかぶって、黙々とユダヤ人の見習い工の寮に向かっていった。

 物見高い人たちが、大勢、そのあとからついていった。

「あいつらに一発ああしてくれて、せいせいしたぜ」

 眼鏡をかけた背の低い男がいった。

「当然だよ。おそすぎたくらいだ。やれ、やれ、やってくれ!一人も忘れず、みんなやっつけてくれ!」

 ぼくも、その一団についていった。

「おもしろいものが見られるぞ、きょうは」

 さきの男の人がぼくにいった。

「孫子の代まで語り草にできるというものさ」


 この時、『ぼく』はおそらく13歳くらいだったでしょうから……最初は「この人たちは一体、何をどうするつもりなんだろう?」といったような、不思議な気持ちと好奇心とから、もしかしたら人々のあとについて行ったのかもしれません。

 けれど、鍵がかかって閉まっているユダヤ人見習い工の寮をこの人々は無理矢理壊して乱暴に開け――全員が寮の中へなだれこむと、早速とばかり略奪と破壊行為とがはじまりました。まるで、<ユダヤ人になど何をしてやってもいいのだ>と言わんばかりに。


 >>ぼくもつりこまれてはいった。中にはいってやっと立ちどまり、まわりを見まわたしたときには、もう四方八方ですさまじい音がしていた。学校かばんをさげて階段をのぼりかけると、階段のそばの吹きぬけになったずっと上から、ベッドわきの小机がぼくの耳をかすめて落ちてきて、床にあたってばらばらになった。

 すべてが、奇妙に気持ちを高ぶらせた。

 破壊を押しとどめようとする者など、一人もいなかった。寮の住人もいなかった。廊下も部屋も、からっぽだった。

 寝室のひとつで、例のかけ声の女が中腰になり、ベッドのマットレスをじゃがいもの皮むきナイフで切りさいていた。舞いあがるほこりの中から、その女がぼくに笑いかけてきた。

「あんた、わたしがわからないかい?」

 ひしゃげた声で、きいた。

 ぼくはちょっと考えてから、首をふった。

 女の人は声をたてて笑った。

「毎朝、新聞をくばってあげてるじゃないか!」

 そして手の甲で顔をぬぐい、ずたずたにしたマットレスを窓から外に放り投げた。

「こっちにきて、手伝うんだよ!」

 女はぼくに命令した。

 大工道具棚を見つけた中年の男の人が、中の道具をあちこちのポケットにつめこんでいた。ぼくがゆくと、金槌を、まだま新しい金槌を、ぼくの手に押しつけた。

 はじめ、ぼくは、その金槌をただもてあそんでいた。無意識のまま、柄をにぎってふりまわしていた。と、偶然、先がなにかに当たった――ガラスが音をたてて割れた。こわされた本棚に残っていたガラスだった。

 ぼくは、はっとした。が、同時に眼覚めたのは、好奇心だった。ぼくは、割れたガラスの残りを金槌でそっとたたいてみた。ガラスはかりかりと枠から落ちた。おもしろくてたまらなくなった。三枚目になると、ぼくはもう、力まかせにたたき割った。破片がとび散った。

 勢いづいたぼくは、金槌をふりまわしながら廊下を闊歩した。じゃまになるものは片っぱしからたたきのけた。いすの脚、ひっくりかえった戸棚、ガラスコップ。体中に力がみなぎるのを感じた!自分のふりまわす金槌の威力に酔いしれて、声高らかに歌いたいほどだった。
 
【中略】

 T定規がもうひとつもなくなったので、ぼくは教卓においておいた金槌をとりあげ、机をたたいてまわった。戸棚、引き出し、整理棚、学習室のありとあらゆるものを、たたいてまわった。しかし、ぼくの破壊の楽しみを満足させてくれるものは、もうなにもなかった。がっかりして部屋をでようとして、ぼくはドアのところでもう一度ふりかえってみた。向かいがわの壁に、大きな黒板があった。ぼくは思わず身がまえると、金槌を黒板めがけて投げつけた。

 金槌は黒板のまん中に当たって、頭がのめりこんでひっかかった。洋服掛けの掛け釘のように、ま新しい金槌の柄が、黒い板からつきでていた。突然、ぼくはつかれを感じ、吐き気を催した。ぼくは家に走って帰った。


<破壊の楽しみ>……おそらく、この時のことを『ぼく』はこののち一生、忘れずに覚えているに違いありません。

 そして、『ぼく』がこの時「本当は何をしたのか」を悟るのは、このあとだったのではないでしょうか。

『ぼく』の一家の上に住むシュナイダー一家のドアがユダヤ人見習い工の寮と同じく、めりめりとこじあけられると、まったく同じような略奪と破壊行為とがはじまっていたからです。


 >>シュナイダーさんの家のドアは、蝶番ひとつでゆれていた。ドアにはまっていたガラスはとび散っていた。

 台所の床にシュナイダーのおばさんが真っ青なくちびるをし、苦しそうにあえぎながら横たわっていた。

 フリードリヒは額にこぶをこしらえていた。お母さんの上にかがみこんで、一生けんめい声をかけ、ぼくには、全然気がつかなかった。

 一人の男がシュナイダーのおばさんの脚をまたぎながら目もくれず、ナイフフォーク・セットの大きな箱をかかえて窓ぎわにゆき、外にぶちまけた。

 居間では女の人が大きな皿を割っていた。ぼくがその方を見ると、「マイセンだよ!」と意気揚々とうなずいてみせた。

 別の女の人は、シュナイダーさんのペーパーナイフで、居間にかけてあった絵という絵を、ずたずたにしてまわった。

 シュナイダーさんの本棚のそばに、濃い色の髪の大男が立って、棚から本をとりだしては、表紙をつかんでひきさいていた。「おまえもしてみろよ!」大男は得意げに笑っていった。

【中略】

「くたばれ、ユダヤの野郎ども!」

 外で女の人が金切り声をはりあげた。あの、新聞配達のおばさんだった。

 と、ソファーがひとつ窓の外をかすめたかと思うと、前庭のバラの植えこみの中に、もんどりうって落ちていった。

 母が声をあげて泣きだした。

 ぼくも泣いた。


 この次の章の<死>(1938年)で、この時のことがよほど身に堪えたのでしょう。フリードリヒのお母さんはまだ若くして亡くなってしまいます。

 けれど、お話を読み進むにつれて……もしかしたらお母さんはこの時亡くなっていて良かったのかもしれないとすら感じてしまうんですよね

 何故といってこののち残されたフリードリヒとお父さんとは、電気スタンドを直すといった修理屋をし、さらにはユダヤ人のラビを匿っていたことが当局にわかり、この時フリードリヒのお父さんは警察に連行されていってしまうからです。

 しかも、フリードリヒ少年を襲うことになる悲劇は、これだけでまだ終わらないのです

 賢くて性格もいいように思われるフリードリヒ少年なのに、何故<ユダヤ人である>というだけでこの子にこんな悲劇ばかりが起こるのかと思いますが、次回はそんなフリードリヒ少年に訪れた恋のお話をしたいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!



※本文の引用箇所はすべて、岩波少年文庫の「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒターさん著/上田真而子さん訳)からのものですm(_ _)m





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