神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あのころはフリードリヒがいた-【7】-

2015年08月26日 | 
【恋人たち】マルク・シャガール(オールポスターズの商品ページより)


 今回は、フリードリヒくんの切ない恋のお話をしたいと思います

 実をいうとわたし、最初にこの『あのころはフリードリヒがいた』を読んだ時、この第24章目の<ベンチ(1940年)>というお話が一番心に残っていました

 1940年ということは、たぶんこの頃フリードリヒは15歳くらいだったのではないでしょうか。

 そして、知り合いの人のお世話でスパゲッティを1ポンドもらいに行った時――とある女性に出会ったんですね。

 道を歩いていると、突然女の子の姿が目に入ってきて、フリードリヒはなんとなくそのまま彼女のあとをつけていきました。そしたらこの女の子が林檎を入れていた袋が破けて、フリードリヒは林檎を拾うのを手伝ってあげたわけです。なんだかドラマでよくありがちなロマンスのはじまりといった気がしますが、実はフリードリヒくん、後ろからこの林檎の袋を見ながら、ひとつくらい落ちてこないかな、そしたらさっと掠め取ってやるのにと最初は思っていたそうです(笑)

 知り合いの人の世話でスパゲッティを1ポンドもらいにいったというエピソードからもわかるとおり、シュナイダー家はおそらくとても家計的に苦しかったのではないかと思われます。それに、お母さんが亡くなって、料理や掃除や洗濯をしてくれる女手もなく、お父さんは失業中で……この頃、フリードリヒは本当はどんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうとすら思います。

 ところで、この林檎を持っていた女の子とフリードリヒは林檎を拾ってあげたことがきっかけで知り合いになりました。

 名前をヘルガというこの少女は、家まで一緒に林檎を運んでくれたお礼にと、林檎をひとつフリードリヒにくれたのですが――なんと、フリードリヒはヘルガと出会って四週間も経つのに、まだこの林檎を思い出に取ってあるといいます

 いえ、このエピソードが示すとおり、フリードリヒの彼女に対する想いは並々ならぬものだったのでしょう。ヘルガは幼稚園で働いていたので、その後フリードリヒは彼女の仕事が終わるのを待つというようになります。


 >>はじめ、かのじょはびっくりした。びっくりして眼をぱっと開くと、もっときれいになるんだ!夜、ぼくはもう、ヘルガの夢ばかり見た。

 一週間たつと、毎晩、かのじょの家まで送っていくようになったんだ。あの嬉しかった気持ち、きみには説明できないな!ぼくたちは、話はあまりしなかった。ただ並んで歩いていられるだけで、よかったんだ。ときどき、ヘルガが横からぼくの顔をじっと見ていた。……

 前の前の日曜日、ぼくたちははじめて約束していっしょにでかけた。町の公園で出会う約束だった。お父さんは、ぼくが夕方になると決まって用があるといってでかけるので、おかしいと思ってたんだな。それでぼくがおしゃれをしてでかけようするのを見ると、首をふってね、『フリードリヒ、よく考えてみなくちゃだめだぞ!』っていった。でも、それだけだった。あとはだまったままじっとぼくを見て、そして顔をそむけてしまった。ぼくはやっぱりでかけた。

 ヘルガはえんじ色のワンピースを着てきた――それに、黒い髪、灰色の眼。ぼくはかのじょを見ると、正直のところ、どきどきした。

 ぼくはヘルガに小さい詩集を持っていった。ヘルガはとっても喜んでくれて、恥ずかしいくらいだった。

 ぼくたちは公園の中を散歩した。ヘルガは詩を口ずさんだ。たくさん知ってるんだ。

 ぼくはできるだけ人に出会わないよう、横道をよって歩いた。しばらくすると、ヘルガが腰をおろしたいといいだしたんだ。

 ぼくはどうすればいいのかわからなかった。だめだっていうわけにはいかないし、うまいいいわけも見つからないでいるうちに、緑のベンチのところにきてしまった。ヘルガはすぐに腰をかけた。


 同じ緑のベンチに一緒に腰かけたい――だのに、たったのそれだけのことが、フリードリヒには許されていませんでした

 でもこのヘルガちゃんはフリードリヒが好きになっただけあって、とてもいい子だったのだと思います。

 彼女は<ユダヤ人専用>と書かれた黄色いベンチのほうにフリードリヒのことを引っ張っていくと、そこになんでもないことのように腰かけたのでした。その上ヘルガは、『来週の日曜日もいつしょにどこかへ行きましょう。町の公園じゃなくて、郊外の森にいきましょうよ。そうすれば、黄色いベンチなんてないわよ!』とさえ言ってくれたのです!


 >>ぼくはそのベンチの前に立ったまま、足を踏みかえたりして、もじもじしていた。腰をおろす勇気はなかったからな。誰かとおりかかったらたいへんなので、そわそわあたりを見まわしていたんだ。

『どうしておかけにならないの?』ってヘルガがきいたけど、いいわけも思いつかなかった。『おかけなさいよ!』といわれて、ぼくはほんとうに腰をおろしてしまった。

 でも、気が気じゃなかった。知ってる人が通りかかりでもしたら、と思ってね。だから、もぞもぞしてたんだな。

 ヘルガはそれに気がついた。そしてハンドバッグから小さいチョコレートをだして割ると、ぼくにくれた。

 いつからチョコレートを食べてなかったことか。だけど、おいしいとは思わなかった。うわの空だったから。お礼をいうのさえ忘れていた。

 ヘルガは詩集を膝の上にのせていたんだけど、それは読まないで、ぼくをじっと見つめていた。そしてときどき、なんか尋ねた。

 なんて答えたのか、覚えていない。ただもう緑のベンチが恐ろしくて、ほかのことはなにも考えられなかった。

 急にヘルガが、立ちあがった。そしてぼくの腕に手をかけると、ひっぱっていった。

 いくらもいかないうちに、黄色のベンチのところにきた。≪ユダヤ人専用≫ってかいてあるベンチさ。

 ヘルガはそのベンチの前に立ちどまると、ぼくにきいたんだ。

『ここのほうが落ちついてかけていらっしゃれるの?』って。

 ぼくはぎくりとした。

『どうしてわかったんだい?』

 すると、ヘルガは、その黄色いベンチに腰をおろしたんだ!そして、『そう思ったの!』といった。なんでもないことのように、さらりといったんだ!


 ああ、切ないですねえ

 物語の中の他のエピソードも考えあわせて思うに、フリードリヒくんは知的で聡明な少年だったみたいですから、ヘルガちゃんのほうでもきっと、彼のそうした雰囲気に惹かれるところがあったのでしょう。

 けれど、フリードリヒのほうでは当然、ヘルガのことをユダヤ人専用のベンチに座らせておくなんて出来ませんでした。そこで彼女のことをひっぱって立たせ、家まで送っていくということにしたのです。


 >>折角の日曜日だったのに!残念で残念で、大声をあげて泣きたかった。そのまま腕を組んで散歩をつづけて、話しあうこともできたのかもしれないけど、ぼくはもうすっかり気が転倒してしまっていたんだ。

 ところが、家に送ってゆくあいだじゅう、ヘルガは、ユダヤ人といっしょに遊びにでかけたことなどなんでもないというふうにふるまってくれるんだよ。自分の家のことや、幼稚園の子どものことや、休暇のことなんか話してね。ぼくの手をとって、しっかり握りしめて、だよ。

 家の前までくると、ヘルガは立ちどまった。そして、長いこと、じっとぼくを見つめた。それから、こう言ったんだ。『来週の日曜日もいっしょにどこかへ行きましょう。町の公園じゃなくて、郊外の森にいきましょうよ。そうすれば、黄色いベンチなんてないわよ!』って。


 わたしが個人的に思うに――これはヘルガちゃんもまたフリードリヒに恋をしていたからこのケースは<特別>だといったような、そうしたことではない気がします。

 実際、『あのころはフリードリヒがいた』にはユダヤ人に対して色々な反応を示す人々が出てきます。『ぼく』とフリードリヒの住むアパートの大家さんや、フリードリヒが以前プールで会った管理人のような侮蔑的な人物もいれば、ユダヤ人に好意的な人、また時代がこうでさえなければ、ユダヤ人のいい隣人であり続けたであろう人、色々な人々が出てきます。

 聖書には確か、「この時代の人々はその血の責任を問われる」といった言葉があったと思いますが、もしキリスト教徒と呼ばれる人々が<ユダヤ人はキリストを十字架につけた民族だから>ということで彼らを迫害したのであれば、この時代、ユダヤ人を迫害した人々もまた、後の日には「(罪のない人の血を流した)その血の責任を問われる」ということになるような、そんな気がします。

 お話のほうを『あのころはフリードリヒはいた』の本筋に戻すとしますと、結局最後にフリードリヒはヘルガちゃんとはもう会わないという決断を下したようでした。 


 >>ぼくは、かのじょに思いとどまらせようとしたんだけど、半分もきかないで、さっと家の中に入ってしまったんだ。

 そのあと、夕方から夜中まで、ぼくは町中をさまよい歩いた。家に帰ったときは、外出禁止時間をだいぶすぎていた。誰にも見つからなくて、ひっぱっていかれなくてよかったよ。だけど、お父さんには、ひどく叱られた。

 それから一週間、ぼくはいこうかいくまいか、ずいぶん迷った。でも、日曜日、やっぱりいかなかった。いけないじゃないか!ぼくといっしょにいるところを見つかったら、かのじょは収容所ゆきなんだもの!」


 ――収容所いき!!時代はもうそこまで、ユダヤ人にとって息苦しいところまでやって来ていたのでした

 以前、フリードリヒの家でお手伝いさんをしていた、ペンクさんという気のいい女性が、シュナイダー家にはもうやって来れないと言ったことがありました。その時に彼女が、ナチスが新しい法律をだして、>>ユダヤ人とユダヤ人でない人との結婚は禁止されたと説明していたことがあります。


 >>「ユダヤ人とユダヤ人でない人との結婚は、もう禁止なんですよ」

 ペンクさんが説明した。

「ユダヤ人とユダヤ人でない人との夫婦は、結婚が解消されるんです。そして、ユダヤ人でない女で、四十五歳未満の人は、ユダヤ人の家で働いてはいけないんですよ」


 ――ペンクさんは三十八歳でしたので、それがもうシュナイダー家にお手伝いにやって来られない理由だったのでした。

 そしてペンクさんは続けて言います。


「先週、わたし、見ましたわ」

 ペンクさんが話しつづけた。

「若い女の人が街のなかをひきずりまわされてたんです。首に札をぶらさげられてね。その札にこう書いてありましたわ。

『わたしはユダヤ人に恋をしました。
 おしおきを受けるのは当然です!』」

 母は両手を顔の前で打ちあわせた。

「ああ、なんて恐ろしいこと!」

 それは悲鳴だった。

「わたしもそんなふうに街じゅうひっぱりまわされたり、刑務所にさえ放りこまれるかもしれないんですよ、奥さま」

 ペンクさんは、はげしく首をふってみせた。

(第15章『掃除婦』(1935年)より)


 フリードリヒがヘルガちゃんと出会ったのがこの五年後の1940年ですから、当然もっとユダヤ人に対する締めつけと圧迫はより厳しく苦しいものになっていたのではないでしょうか。

 十代という思春期に淡い恋心を抱いた相手と、のんびり話すことさえ許されなかったフリードリヒの青春……以前何かの本で、「十代の頃に兵役についたという経験が、その後彼の人生に最後までつきまとい、滅茶苦茶にしてしまった」といったような文章を読んだことがありましたが、フリードリヒもまたそれに近い苦しくつらい十代だったのではないでしょうか

『アンネの日記』で有名なアンネ=フランクもまた、ユダヤ系ドイツ人の少女でしたが、フリードリヒや彼女のように、本来はとても前向きで明るい気質の少年少女が、この暗い時代にユダヤ人として生まれてしまったがゆえに味わった苦難と困難――そのことを思うと、本当に「平和」ということや「二度とこんなことがあってはならない」ということを強く考えさせられます。

 なんにしても、ヘルガちゃんとただ自分が一緒にいるだけでも、彼女には命の危険さえあるのだと思い、フリードリヒはヘルガとは二度と会わないことにしたようです。本当に悲しいですね。

 お話の中には書かれていないことですが、でもきっとこのヘルガちゃんは、その後シュナイダー家が誰もいなくなった『ぼく』の住むアパートを訪ねてきて、フリードリヒの消息を聞くことになるのではないでしょうか。そして彼が本当は彼女に対してどう思っていたのかを……『ぼく』の口を通して聞くことになるのではないかと、そんな気がしてなりません

 では、次回はとうとう――物語のクライマックスについて触れたいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!





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