今年も8月6日がやってきた。
毎年この日は特別に
暑いような気がする。
午前8時15分。
doironは通勤の車の中で
そのときを迎えた。
黙祷!
響き渡るその声は
凛として、命令でも
依頼でもなく
鎮魂の響きだなと
いつも思う。
今日、広島で行われた式典には
初めてアメリカの駐日大使
および国連事務総長という
二人の公人が訪れたという。
時代は確実に流れている。
祈りを捧げる
人々の姿は本当に胸を打つ。
自然に流れる涙は、
深い海の底の水に似ているんではないかと
勝手にそんなことを思いながら
ニュースを見ていて、
初めて広島を訪れたときのことを思い出した。
今から13年くらい前だ。
二泊三日の仕事での訪広でした。
エノラゲイが原爆投下の標的にした
T字形の相生橋の近くのホテルに宿をとり、
夜は広島焼きで一杯引っかけるという
優雅な出張でした。
だが、この「広島焼き」という言葉が、
原爆被害者を表す隠語として
使われることもあるというのは、
悲しい事実だ。
帰阪の日には、
2時間ほど時間をとって
市内を歩き回った。
もちろん平和公園、
原爆ドームがメインの散歩でした。
ドームはさすがに足が震えるような、
威圧感というか
大きな祈りが形になっているような
そんな印象を受けたことを
昨日のことのように覚えています。
あの雰囲気は、
そんじょそこらのお寺じゃ
醸し得ないでしょう。
そして市内各地には、
広島焼きのお店が点在しているが、
今なお店の屋号が「○○ちゃん」という
ちゃんづけの名前が多いのも、
主人が被爆して
女手ひとつで店を始めたひとが
多いからだともいわれているんです。
普段何気なく味わっている広島焼き、
通常はシャキシャキのキャベツと
広島のおたふくソースで作られるが、
今日ばかりは悲しみにしおれたキャベツと
イカリ(怒り)ソースで焼くのがいいのかもしれない。
なんて駄じゃれも交えながら
そんなことをいえるのも
戦後生まれの
我々だからかな。
それでも、鎮魂の声に魂を
揺さぶられるのは、
自分が生まれる11年前の
その出来事が、一瞬にして
いかに多くの悲しみを
産んだのかということを
しっかり物語っている。
もう一度、
多くの人々の
無念と悲しみを思い起こしながら
心を籠めて自らに言おう。
「黙祷」と。