ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道 紀ノ川を越えて2

2014年04月06日 21時23分15秒 | ウォーキング

ちょっと街道には見えない道が、
田んぼと田んぼの間の水路に沿って
クネクネと続いていきます。



おっ、道端にはノビルもたくさん生えています。



そして溝の中にはタガラシが・・・



昔に家の近所でよく見かけた景色です。

ところどころに集落がある
典型的な農村風景の中
神波(こうなみ)の集落に入っていきます。
やはりこの地名も紀ノ川に関連しているんでしょうね。

きっとこの集会所にも
地元の人が集まって
doironの村のように
ワイワイとやっているんでしょう。



村中を抜けていくと・・・
おや?通行止めです。



なんと村はずれの橋ごと落としています。

都会じゃ考えられないですねえ。

先ず仮橋をかけて、
そこにつながる道もつけてから
橋を撤去という手順を
豪快に無視した工事でした。

下の橋まで遠く、それこそほんとのあぜ道へと
大きく迂回をします。

すると道の先に畑仕事の手を休めて
座っている女性がいます。



近づいてみると・・・よくできた案山子でした。



超リアルでした。

通行止めの橋を迂回しましたが、
街道はその先にもまっすぐ続いています。

おお~、この街道に交わる川沿いの道には
桜がたくさん植わっています。



満開になればさぞや見事でしょう。
おりしも村の人たちが出てきて、
ぼんぼりをつけたり花見の準備に余念がありません。

この道を歩いたのは3月25日。

残念、一週間あとだったら
壮観な景色が見れたかもしれません。

先を急ぎましょう。

この家の庭の背の高いシュロを目印に進んできました。



そのシュロのところで道は左折。
もちろん導き石も埋められています。
しばらく行くと左に

「中村王子跡」

の立て看板がありました。



例の熊野ブルーの案内板ではありませんし、
前に車が止めてあったので
危うく見逃してしまうところでした。

それにしても、このあたりの道沿いには
大きな倉があったり、
超立派な門構えのある
「中村」の表札をあげている旧家が目につきました。
中村王子と少なからず関係があるんでしょうかね。

このあたりは田園地帯ののどかな道ですが、



ところどころに大きな樹があります。



その樹の向こうに見えている山、高積山の麓が、
本日の目的地である布施屋のあるところです。
まだ距離はありますので、まだまだ楽しめそうです。

やがて前方に鳥居の姿が見えてきました。



「力侍神社」です。



鳥居は貫が角材で
柱を貫通しておらず
くさびが入り、額束もなく
鳥木も角材の典型的な伊勢鳥居です。

なぜ伊勢鳥居なのかは、
境内の由来の中には書かれておりませんでした。

鳥居の根元には
「川辺王子跡」の石碑も建っています。



川辺王子といえば
この日歩き始めたばかりの
上野の集落にありました。

神社形態が変遷しているのと、
このあたりが紀ノ川の流れで
たびたび地形が変わったので、
王子も変遷したようです。

長い参道を歩いていくと
一番奥に八王子神社と力侍神社の本殿が並んで鎮座しておりました。

いずれも極彩色の飾りで彩られた社を構えておりました。



力侍神社は力持ちの神様である
「天手力男命」を主祭神としています。

境内では多分この神社の宮座の人達でしょう。
たき火をしながら談笑をしておりました。
社務所に立ち寄っていると、
そのうちの一人が

「スタンプもらって行ってや。
帳面まだあるかいな」と声をかけてくれました。

これが押印帳。





そういえば雄の山峠を下ったところにある山口王子に、
スタンプの押印台があったのを思い出しました。
これからはこれを持って歩くことにしましょう。

桜が少し咲き始めていた境内から
再び街道に戻り、紀ノ川へと進んでいきます。