熊野詣の人達を
お布施(ほどこし)や接待でもてなした人が多かったことから、
布施屋(ほしや)と名付けられた
紀北の集落が前回の到着地でした。
したがって、今回はその布施屋から歩き始めることになります。
天気のいい平日にリュックを背負い
JR阪和線に揺られて和歌山駅で
単線ローカルの和歌山線で乗り換えます。
この線、駅はほとんど無人駅。
ICOCAも使えないので
切符を買わないといけません。
和歌山までICOCAで行って、
切符を買うとなると合計金額が高くなってしまいますので、
乗車駅から通しで切符を買いました。
その方がかなり安くつきます。
それにしても阪和線に切符で乗るのは久しぶりです。
和歌山駅で改札を出ずに
そのまま2両編成の和歌山線に乗り替えますと、
電車の乗降の仕方が車内に掲示されていました。
要するに、線路を走るワンマンバスと思えばいいわけですね。
この線の運転手は、
ワンマン運転なのでドアを開けたり閉めたり、
電車を動かしたり、切符を回収したり
と大変忙しそうでした。
車内は平日の昼とあって、
余裕で座ることができました。
キョロキョロと車内を眺めたり、
外の景色を眺めながら
最初に乗車してから1時間20分で
ようやく布施屋に到着しました。
これからはもっと時間がかかるように
なってくるんでしょうねえ。
おっと、ここで用を足しておきましょう。
でないと、このあとトイレはしばらくありません。
これが駅のトイレ。
も、持ち帰るのは勘弁してほしいものです。
GPSをセットして、
カメラと地図をリュックから出して、さあ出発です。
駅から少し歩くと、
前回の街道最終地点の布施屋自治会館に到着します。
そう、ここが昔旅人に
親切だった人々の子孫が集う場所です。
ここから新たに次の旅が始まります。
そうそう駅前のインフォメーションにもありましたが、
このコースには地元の歴史研究会である
「和佐歴史研究会」の案内が親切に
数多くあって助かります。
その案内と導き石に沿って歩を進めていきます。
この看板のところで写真を撮っていたら、
シルバーカーを押してる高齢の女性から
「熊野古道歩いてはるんやなあ。王子はすぐそこやで。」
と話しかけられました。
さすがに「布施屋」の伝統を継ぐ
旅人への細やかな心遣いを感じました。
言葉通りにすぐに熊野ブルーの看板が目につく
王子が見えてきました。
なんか地元の人たちの大切なスポットって感じです。
そこが「川端王子」。
案内板によると、
王子社そのものはこのあたりを見下ろす
高積山の頂上にある高積神社に合祀されたそうですが、
地元の人たちの手によってこの地に祠が建てられ、
街道沿いに鎮座しているそうです。
その経緯は高積神社の祝詞の中にも
記されているそうです。
残念ながら時間の都合上、
高積神社への参拝はかないませんでしたが、
その遙拝所であるこの川端王子跡で
お祈りをしておきました。
熊野ブルーの案内板には、
よく「紀伊国名所図會」が書かれてありますが、
ここにあったのは紀ノ川の渡しの絵でした。
紀ノ川の流れがこのあたりまで見られたのか、
それとも「川端」という王子名ゆえに
ここに書いたのかそれはわかりません。
またこの川端王子は、
熊野御幸記や藤原定家の日記「明月記」
にも登場しないことから、
熊野詣が盛んだった平安の頃にはなく、
江戸時代に入ってから
設けられた王子だというのが定説だそうです。
そんな王子跡でも、地元の人に、
「こんにちは」と声をかけられました。
そんな挨拶は大阪府内を歩いている時には
ほとんどありませんでしたので、
親しげに話しかけてくる姿に
紀州気質とでも言うべき、
南国の厚い人情を感じたものです。
もう少し近づいてみるとこんな感じ。
八咫烏の案内石もありますし、
ここはスタンプスポットでした。
さっそく押しておきました。
そこを出ますと、
道は複雑に入り組んでいました。
分岐が色々とある割に、
導き石があまり多くありません。
そこで先の歴史研究会の案内が
ずいぶん旅人を助けてくれることになるわけです。
季節はおりしも桜の花びらが
風が吹くたびにザーッと舞い散る春盛りの頃。
野の花も今が盛りの紀州の田舎の空には
早くも鯉のぼりが泳いでおりました。
今回計画しているのは
貴志川線の伊太祁曽までの歩き旅。
春の気配に浮れながら、
まだまだ旅は始まったばかりです。
次回に続く。