ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

天下第一の桜

2014年04月27日 21時35分41秒 | 生活

翌朝、下呂温泉に別れを告げ、
今回の旅の目的地「高遠」に向かいました。

国道256号と257号が重複している道を
付知川沿いに一旦南下します。

おや?道の横に何か立っています。
すかさず停車し確認をすると、
「裏木曽街道」と刻まれていました。



このあたりでは高い山に挟まれた谷筋に街があります。

木曽谷にある木曽地域から
山脈を隔てて西側にあるこのあたりを
「裏木曽」と呼んでいるそうです。

「裏」という言葉には何となく
侮蔑的な意味合いがあります。

かつては日本も太平洋側の
「表日本」と
日本海側の
「裏日本」という表現をしていました。

ところが、それに対して新潟県の
とある市長からクレームがつき、
1960年代くらいから、
使われなくなったそうです。
NHKでも以来「太平洋側」と「日本海側」と
言うようになったとのことです。

doironが前に勤めていた役所でも、
裏門と称していたところが
近所からクレームがつき「東門」
と改めたということもありました。

そのうちこの裏木曽街道も
西木曽街道なんて改名されるかもしれません。

中津川でこの裏木曽街道と交わる道が、
街道ウォーカー憧れの「中山道」です。

中央道に入るときに、
ジャンクションのところで
車を運転しながら
「いつか来ることがあるかなあ」と思いつつ、
その道をチラ見しておきました。
停車できないところだったので、
写真も撮れなくてとても残念でした。

中央道に入るとほどなく、
全長約8500mと日本で5番目に長い
恵那山トンネルをくぐります。

途中駒ヶ岳SAで休憩をしたときに、
店内でこんな看板を見つけました。



高遠城址公園の桜情報です。
「本日満開」と書かれ、
そしてその下には、
土日は周辺道路が超混雑するので、
遠く離れた市役所から出ている
シャトルバスをご利用ください。
とも書かれてあります。

幸いその日は平日でしたので、
近くまで行ってみることにしました。

すると、やはり周辺道路は渋滞。

城址に近づこうにも近づけません。

仕方なく1キロほど離れた
河川敷の臨時駐車場に車を停めて
歩くことにしました。

その駐車場もちょうど桜が満開でした。



ここで花見をしてもいいくらいですが、
遠くに見える高遠城址公園の桜は
やはり圧巻でした。

山全体が桜色に染まっていましたからね。



ミセスの母親が生涯見た中で
最高の桜といってた桜です。
やはり間近に見に行かなくてはなりません。

途中、天女橋や二十二夜様など






由緒ある橋や史跡を眺めながら
テクテクと歩いていきます。

城址だけに調べていくと
様々な歴史を持っています。
そのうちの一つにこんなのがありました。

高遠の城主であった
仁科五郎盛信が織田軍と戦った姿は
後々まで語り継がれるほど、激しい戦いだったそうです。

盛信の流した血は、その伝承から
場内の桜の赤みになぞらえられています。

この高遠城址公園の桜は

「タカトオコヒガンザクラ」

という品種です。



ソメイヨシノに比べてやや小ぶりで
赤みのある花をつけます。
品種的に珍しいのと
約1500本といわれる規模の大きさは、
「天下第一の桜」と称されています。

花の下に立つと見渡す限りの桜が
空を覆わんばかりに咲き誇っていました。



さすがにミセスの母親が、
生涯で一番の桜だったと
いうだけのことはあります。

ただ、そんな桜と共に人の多さも際立っていました。
平日でこれなのだから、
土日となればどんな状況なのか想像もつきません。

ちょっと静かな谷あいに降りていくと、
斜面に可憐なアズマイチゲが咲いていました。



満開の桜目当てに訪れている観光客には
こんな花にだれも見向きもしていないようでしたね。

城址にある数々の歌碑も
周りでお弁当を広げる人だらけで、
取材どころか写真を撮るのもかなわず、
桜のみを堪能して城址をあとにしました。

今回の旅を通じて、
少々世俗にまみれながらも、
非日常の中に身を置いて、
次なるライター仕事の目標を
熟成させることができたかな
と思っております。

最後にもう一度満開の桜を紹介して、
今年の桜の季節の打ち止めです。



結局目的地の高遠より
下呂温泉の方が長くなってしまいました。

このシリーズ、終わり。