五重塔の前で何度もタイマーで
写真を撮ろうとしましたが、
何度も何度も失敗し、
ようやく撮れたのがこれ。
ああ、もう空海さんに
軽蔑されそうなお腹ですねえ。
ダイエットの誓いを
あらためてしておきましょう。
そしてこの後はまず国宝の
金堂の方に入っていきます。
ここが東寺の中心堂宇です。
中には薬師如来とその両脇に
日光・月光菩薩が置かれています。
「如来」と言えば悟りを開いた仏で、
「菩薩」とは悟りを目指す仏さんです。
まあ、師匠と弟子が並んでいるんですね。
ここにはほかにも
十二神将像なんかもありましたが、
残念ながら撮影不可なので映像はありません。
神将はやっぱり菩薩の弟子なんでしょうねえ。
そして最後にここは重要文化財の
講堂の方へと入っていきます。
ちなみに、建造物でいうと日本の国宝は
200件程度で重要文化財は2200件程度です。
まあdoironにとっては、
我が家が国宝ですがね。
大蔵大臣がすわっています。
東寺は平安京鎮護のための宮寺ですが、
嵯峨天皇より空海に下賜されたものです。
なのでこの講堂はそれ以降
真言密教の本山として
空海が住んでいたところだったようで、
この中に二十一躯の仏像が安置され、
立体曼荼羅が作られています。
建物は重要文化財ですが、
中にある木造15躯はすべて国宝。
中央には中心の仏像として
大日如来が置かれていますが、
これはなぜか重文です。
仏のありがたさと文化財の大切さは
ちょっと違うんですねえ。
ここでは古さによって区別されています。
国宝は平安時代、重文の大日如来周辺は
江戸時代の作だそうです。
それにしてもこの講堂では
立体曼荼羅をじっくり眺めてしまいましたね。
あの興福寺で見た阿修羅像を
はじめとする仏像群と同様に、
日本の宝がずらりと並んでいましたからね。
でもまあ、今日はここから
ずっと歩いていく旅です。
そんなに長居はできませんから
お別れして、歩きを進めていきましょう。
再度境内を歩き、入り口の南大門まで
戻って九条大路を西進していきましょう。
次の目標は羅生門跡です。
平安京という都城を取り囲む城壁を
「羅城」といい、そこにつくられた門であるから
「羅城門」といいます。
え?それやったら「羅生門」と
字が違うぞと思いますが、
なんと「生」の字を使うのは
後世の当て字なんだそうです。
正式には「羅城門」だそうです。
でもねえ、羅城なんて設けられたの
というと平安京全域にあったわけではなく、
多分羅城門周辺のみに
わずかに作られていただけだそうです。
平安京の入り口というものの、
さほど重要な門というわけでは
なかったのですねえ。
だからこの門の跡は小さな石碑に
なって残っているのみだそうです。
大きな地図を頼りに進んでいきましたが、
小さな石碑のみだとのことなので
見逃すかもしれんなあ
と思い歩いていきましたが
やはり見つかりません。
どうも狭い道のところにあるかもしれません。
歩いていると、ふと横の家から
女性が出てきはりましたので、
訪ねますと
「ああそれやったらこの先の交差点を
ずっと南の方に行き・・」と
説明を始めるのです。
え~そんな遠方ではないやろと
思っているとその女性の友達が近づき、
「え~それやったら
この先のバス停のとなりやん」
と教えてくれはりました。
う~ん、危うく羅城門の上の死体のように
迷宮にはまってしまうところでした。
最初の人は何を意識してはったんでしょうねえ。
指示通りに歩いていきますと、
バス停がありました。
なんと「羅生門」という名の
バス停ではないですか。
その北側に入っていく小さな公園があります。
その公園の片隅、滑り台の横に
すっくと立っているのが
「羅城門遺址」の石碑でした。
続く