ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子道2 中宮寺跡

2018年10月20日 21時15分34秒 | ウォーキング

夢殿を出たところには、
松尾道とか法輪寺の道案内の
石碑が立っていたりしますねえ。



でもこれらは太子道ではありません。



太子道は「黒駒」といわれる
甲斐の馬で、聖徳太子が
明日香と斑鳩を往復した
といわれている道です。

法隆寺にはその黒駒とその馬についた
調子麻呂の像があります。



そんな馬旅を法隆寺から
さかのぼって進んでいます。

今日はいい天気ですねえ。



気持ちよく東を向いて
狭い道を進んでいきます。

この辺りは特別地区なので
建築も難しいようですねえ。
金物屋さんも古いたたずまいです。



あ、古民家カフェもありますねえ。



そして道端にはこんな石の像が
あちこちにあります。



この辺りは多いですねえ。

そしてやがて道が西山観光駐車場に
来た頃から、車が結構走るようになります。



え~っと、向こうの北の方に
以前訪れた法輪寺があるんでしたねえ。

ん?でもその手前の方に
何か遺跡のようなものがありますよ。



手元の地図には何も書かれてないんですけど、
ではちょっと見にいってみましょう。

入り口の当たりに行きますと、
看板が立っています。



なんとここは「史跡 中宮寺跡」
となっています。

あれ?でも先ほど行ったのは
中宮寺でしたよねえ。

もともとはここにあったんですねえ。

以前この辺りに来た時に
「平子」さんという人の石碑を見ました。
あの人は、法隆寺が燃えた時なども
同じ位置に建て替えたんだ
という法隆寺非再建節を
唱えていた人だったんですけど、
今が再建節が一般になっています。

聖徳太子の母の住居であった
中宮寺も江戸時代の初めに、
建て替えられたもので、
飛鳥時代にはここにあったのですね。



空き地のようになった公園を
足元を注意しながら進んでいくと、
まずあったのが「塔跡」です。



何重の塔なのかはよくわかりませんが、
信柱の下の部分に埋められてある
石のレプリカがそこに置かれてありました。



でかい石ですねえ。

それが埋まっているのが
この部分だそうです。



そしてその横にあるのが「金堂」跡です。



これらから、東寺の中宮寺が
塔と金堂が南北に並ぶ
「四天王寺式伽藍配置」をとっている
といわれています。

長い間に技術的なところが進歩して、
こういう遺跡に来たら
空間内に当時の建物が再建されるような
そんな展示もできるかもしれませんね。

さあ、ではまた先ほどの
太子道の方へと戻っていきましょう。

車の通行に気を付けながら、
国道25号まで行きますと、
ああまたここでも少し寄り道です。

まっすぐ南下するところを
少し東へ移動して、
まずは「駒塚古墳」を見に行きましょう。

「駒塚」というのは、
先ほども登場していた「黒駒」です。
太子の愛馬で、甲斐の国から
ささげられた馬だそうです。

この馬の活躍は数々の太子殿の中でも
いくつも登場してきます。

飛び上がって三日三晩で
日本中を駆け巡ったとか、
そんな話ものこっています。

空を飛ぶのは変な話ですが、
さぞや足が強かったので、
そんな話が残っているのでしょう。



その黒駒の墓がこの駒塚古墳
といわれています。

25号線から草の深い道に
入りちょっと歩くと正面に出ます。



石が建てられていますが
書かれてある文章は判読しにくいですねえ。



そしてこの古墳は前方後円墳のような
形をしていますよ。

馬のお墓としては立派な墓なんですねえ。

だったらさあ、
あの有名な競走馬たちの
お墓もあるのかなあと
思いつつネットを探ってみたんです。

すると、ああやはりあるんですねえ。

オグリキャップのお墓なんかは
よく出てきますねえ。



黒駒は聖徳太子のお気に入りで、
彼を載せて明日香~斑鳩を行き来し、
聖徳太子が先に亡くなった時に、
目から赤い血の涙を流し、
太子の棺の横で亡くなった
という馬だったそうです。

続く