天王山に登った翌日は
義父さんのお墓の開眼式があった。
つまりお墓を新しく建てて、
そこへ納骨をしたわけだ。
この日は義父母が一緒に暮らし始めた
記念日なんだそうだ。
火葬の後、お骨は2つ帰ってくる。
ひとつは喉仏を入れた本骨と
全体のお骨を入れた胴骨だ。
義父さんの場合
そのうち胴骨は一心寺に納骨をした。
残った本骨をお墓に納めたのが
今回の開眼式の後だった。
墓所は、昔、義父母が三重県に住んでいた時に
奈良の当麻寺に買ったものである。
このお寺には義父さんが亡くなってから、
墓石のことで幾度となく通った。
当麻寺のことは、これから何度も
墓参りで通うことになるから
またあらためて紹介しよう。
それにしても、このお寺には
本当に階段(石段)が多い。
山の中腹にある修験のお寺であるから
仕方ないというところもあるのだが、
お年を召してくるほど
寺に親近感が湧くんだろうに、
足の不自由な高齢者が訪れるには
ちょっと辛いものがある。
墓所に行くのもそうだ。
できるだけ車で奥まで入り、
一番階段の少ないコースをとっても
石段を30段以上は登らないといけない。
それは車いすの義母さんにとっては、
まるで断崖絶壁を登るのと同じなのだ。
で、初めて行ったときに
何とか車いすで行ける方法はないものかと
探ったところ、
唯一裏山の山道を
車で登ることができれば、
墓のそばまで階段なしで行けることがわかった。
しかし、この道が非常に狭く険しい。
軽自動車が1台通れるか通れないかくらいの
細い未舗装の山道を、
急角度で登って行かないとたどりつけないのだ。
でも、やってみるしかない。
後日、ミセスの軽自動車(MRワゴン)で来て、
ミラーを倒し、慎重にかつ大胆に
アクセルを踏みながらチャレンジしてみたら、
途中で倒したミラーでさえ木でこすれたりもしたが、
何とか登りきることができた。
後で聞いたら、普通の軽で
この道を登ったことに
地元の人でさえ驚いていたそうだ。
で、今回の開眼式にもその道で登って行くことにした。
もし前日に雨でも降っていたら、
下が柔らかくて進めなかったところだが、
幸い好天が続いていた。
約束の1時間くらい前に、
その坂道にさしかかった。
今回で4回目の自動車登山だったので、
かなり慣れたものである。
途中で、車を停め助手席の窓を開けて
ミセスに「その木についてるカタツムリの写真を撮って。
絵に描きたいねん」とお願いできるほどの余裕である。
墓の近くに車を停め、
車いすの用意をしてから、
時間があるのでdoironは近辺を散策した。
と、その時一台の車が
同じ道を上がってくるではないか。
どうやら軽の四駆の荷台のある貨物自動車のようである。
奥にとまっているdoiron達の車を見て
驚いているようだった。
「え?あれで登ってきたん?」
みたいな顔である。
その人が車から降りて、
道の脇のたけのこを掘りはじめた。
もし収穫に時間がかかるのなら
帰りには道を開けてもらわないといけないから、
挨拶をしておこうと声をかけてみた。
「今年のたけのこはどうですか」
「よう出とるよ」から始まって、
イノシシの話やら山の管理の大変さなどを
きかせていただいた。
「じゃあ、頑張ってくださいよ。
僕はあの車で上がってきて
今から開眼式なんです」と
そこから山の上に見えている
ピンクの軽自動車を指して
暗に帰りにこの道を下りてくることをにおわせ、
立ち去ろうとすると
「にいちゃん、これ持っていき」
といって、巨大タケノコを1本持たせてくれた。
長さ50cm位のタケノコだ。
丁寧にお礼を言い、
肩にタケノコを担いでお墓にもどると、
住職さんが到着していて
開眼式の準備が始まっていた。
その、住職さんがこちらを見て驚いたように
「こ、この辺のたけのこはみんな持ち主があるんですが・・」
と目を丸くして言うではないか。
doironが掘ってきたと勘違いしたんだろう。
「違います。違います。これはそこで掘ってた
地元の〇〇さん(名前を聞いていてよかった)に
もらったんです。」と慌てて釈明し、
事なきを得たのであります。
おたおたと続く。
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