おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

『わたし事としての知覧巡礼の旅』報告その⑥

2019年04月05日 13時38分07秒 | 家づくり
深い学びとなった知覧を後にして、鹿児島市内にある南洲神社・南州墓地に向かいました。ここは西郷隆盛を慕い、西郷と共に西南の役を戦い、没した戦士の墓があります。中央に西郷隆盛が、そして篠原国幹や桐野利秋、別府晋介、村田新八など、歴史好きにはたまらない方々が眠ります。
 しかし、私たちが向かったのはそこではなく、墓地の一番下、正面に向かって左側にある『増田宗太郎之墓』『中津隊士之墓』です。墓地は皆南側を向いている。しかしこの墓碑だけは中津を向いている。その一連のドラマはここに書ききれませんので、ぜひネットで検索してみてください。増田宗太郎の名言『一日先生に接すれば一日の愛が生ず・・・』と。そして城山で自決しました。享年28歳。





次に向かったのが私の大好きな場所、『西郷隆盛蘇生の家』です。ここは恩人である月照と無理心中を図った西郷が蘇生した場所です。この時月照は溺死しています。本来この時西郷は改めて自決するのが当然であったでしょう。しかし西郷は自らを『土中の死骨』といい、生きることを選択したのです。その後の西郷の躍進はここに書くまでもありませんね。行徳先生もおっしゃいます。『傷を負った人間こそ本物である』と。そしてこの地は、その西郷が目を覚ました場所。目の前の錦江湾も桜島も160年前と同じといっていいでしょう。私自身、『よし、やるぞ!!』と心を新たにしたのでした。







この旅もいよいよ大詰め。最後の訪問先は『霧島神宮古宮址』です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

弊社ホームページをぜひご覧下さい!
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ではまた。

おさむ




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ガムテープ!恥ずかしい!!!(涙)

2019年04月05日 04時46分18秒 | 家づくり
巡礼の旅を書いている場合ではありません。

なんともなんとも恥ずかしい!!!こんな仕事やって!!!有り得ません!!!

明日コンクリートを流す予定の現場。お客様から『ガムテープが貼ってあるんですけど』と連絡を頂き、早速訪問して確認すると、なんと!!!既存のコンクリートをハツった時に誤って振動ドリルのノミを打ち込んでしまい、ガムテープを貼ってそのままになっていた!!!



うっかり忘れてしまったのでしょう。悪意のある職人でないことは長年付き合っている私がよく知っています。しかし!最低の仕事です。こんなのは最低です。私の目が届かなかったことを猛反省。。。

ブログに書くのもなんですが、敢えて書き、自らの戒めとします。

ではまた。

おさむ





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『わたし事としての知覧巡礼の旅』報告その⑤

2019年04月04日 04時56分42秒 | Weblog
朝からたっぷり学んでおいしい朝食をいただき、チェックアウトを済ませて知覧巡礼です。

三角兵舎跡地。ここに初めて来たのは今から16年前。トメさんの次女・礼子さんと板津忠正さんに連れてきていただきました。なでしこ隊や特攻隊員の皆さんにとっての聖地です、とおっしゃっていました。



猿山。ここから知覧基地全体が見渡せます。



トメさんのお墓。いつも鮮やかなお花が供えられています。



そして知覧特攻平和会館。6人の天女が特攻隊員を救い出し昇天させる陶壁画『鎮魂の賦』。



昼食は明久さん特製の『玉子丼』と『鶏飯』。メニューにないものですが、特別に提供いただきました。トメさん直伝のほんものです。





富屋食堂ホタル館。明久さん渾身の語り部。その後に記念撮影。



知覧を堪能に堪能し、次の目的地・南州墓地と西郷隆盛蘇生の家に向かいます。

ではまた。

おさむ



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『わたし事としての知覧巡礼の旅』報告その④

2019年04月03日 05時29分55秒 | Weblog
 
開聞岳の麓にある花瀬望比公園。『望比』の文字のとおり、フィリピン方面で戦没された方を慰霊している地です。ここは、何度訪れても悲しく、切なく、強く胸が締め付けられます。

ここには47万6千余柱というとてつもなく膨大な御霊を鎮める地です。フィリピン方面は戦闘で亡くなった方よりも、圧倒的に疫病死・餓死が多い。疫病死・餓死なんです。その実態の一端を知ったとき、それまでの『御英霊』という言葉にとても違和感を覚えるようになりました。果たして『御英霊』と一言で語れるものか、どうしても『御英霊』という名に収められない。。。

碑文は『許されるものならば・・・』と始まるのですが、その中に『精霊』と書かれていました。『英霊』ではなく『精霊』・・・。ずしーーんと重たいものを感じました。



雨がひときわ場の空気を静かにしてくださいました。参加者の皆様からも『花瀬望比公園』がとても印象に残った、との声が多かったです。













生きるということを曖昧にしてはいけない。この歴史があっての今の私たちなんだ。

5時15分に出発したのにもう2時間も経ってしまった。ここからさくら館に戻り、朝食を食べた後は知覧巡りです。

ではまた。

おさむ




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『わたし事としての知覧巡礼の旅』報告その③

2019年04月02日 13時08分28秒 | Weblog
二日目は朝5時15分出発という強行軍。朝食前に長崎鼻から朝日に輝く開聞岳を仰ぎたいと思ったのです。しかしあいにくの雨模様・・・であればぜひあそこに行きたい。『下駄履き特攻』の地、指宿海軍航空基地跡。水上機の基地です。



 ここから出撃した山口輝夫少尉のご遺書が私の胸に刺さりました。抜粋ではありますが、ご紹介させていただきます。


「父上の名を呼んで突入します」(抜粋)
海軍少尉 山口輝夫
第一二航空戦隊 二座水偵隊 国学院大学出身 二三歳

 御父上様
 なんらの孝養すらできずに散らねばならなかった私の運命をお許しください。

 急に特攻隊員を命ぜられ、いよいよ本日沖縄の海へむけて出発いたします。命ぜられれば日本人です。ただ成功を期して最後の任務に邁進するばかりです。とはいえ、やはりこのうるわしい日本の国土や、人情に別離を惜しみたくなるのは私だけの弱い心でしょうか。死を決すればやはり父上や母上、祖母や同胞たちの顔が浮んでまいります。だれもが名を惜しむ人となることをねがってやまないと思うと、本当に勇気づけられるような気持がいたします。かならずやります。それらの人々の幻影にむかって私はそう叫ばずにはいられません。

 じつに日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純真そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。

 沖縄は五島と同じです。私は故郷を侵すものを撃たねば止みません。沖縄はいまの私にとっては揺籃です。あの空あの海に、かならず母や祖母が私を迎えてくださるでしょう。私はだから死を悲しみません。恐ろしいとも思いません。ただ残る父上や、多くのはらからたちの幸福を祈ってやみません。父上への最大の不孝は、父上を一度も父上と呼ばなかったことです。しかし私は最初にして最後の父様を、突入寸前口にしようと思います。人間の幼稚な感覚は、それを父上にお伝えすることはできませんが、突入の日に生涯をこめた声で父上を呼んだことだけは忘れないで下さい。

 私が死ねば山口の方は和子一人になります。姉上もおりますし心配ありませんが、万事父上に一任しておりますから御願いいたします。
 歴史の蹉跌は民族の滅亡ではありません。父上たちの長命を御祈りいたします。かならず新しい日本が訪れるはずです。国民は死を急いではなりません。では御機嫌よう。
                        輝夫

   出発前
       名をも身をも さらに惜しまずもののふは
                     守り果さむ 大和島根を


碑文冒頭に『君は信じてくれるだろうか・・・』とあります。平和が当然当たり前と思っている現代の私たち。過酷な時代を生きた同じ日本人が、未来の私たちに託したものを、私たちはしっかりと受け取っているだろうか。あいまいに、まあまあそこそこに、おもしろおかしくぼんやりと生きてはいないか。いや、『私たち』ではない。おれ自身がそれをしっかりと受け取って生きているだろうか。

山口少尉が後部座席偵察員として乗機した同型機。



指宿海軍航空基地跡を後にして、『花瀬望比公園』に向かいました。

ではまた。

おさむ





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『わたし事としての知覧巡礼の旅』報告その②

2019年04月01日 18時17分28秒 | 家づくり
 圧倒・圧巻の八紘一宇之塔を体感した後、行徳先生を鹿児島空港に迎え、一緒に知覧に向かいました。
 知覧についてまず訪問した先は『知覧特攻平和観音堂』です。ここは特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの必死の思いと、生き残った特攻作戦関係者の尽力により、世田谷観音より分祀されたものです。世田谷観音では毎月18日に月例法要が執り行われています。その際読経される『特攻平和観音経』を知覧で皆で唱和したい!と、まずはここにやって来たのでした。大きな声で唱和できた特攻平和観音経。素晴らしかった!!



 その後常宿『さくら館』にチェックインし、間もなくトメさんの孫・鳥濱明久さんのご講演をいただきました。何度拝聴しても真実の声には魂が揺さぶられます。『笑っていった人なんて一人もいなかったよ』と。。。会場の空気は言わずもがな。
 次に講演をお願いしていた行徳先生。『おさむちゃん、余韻が大切だ。明久さんのような真実の声を聞いた後は、どんなに話そうとも虚しい。いま話せというのは拷問だぞ!』といって部屋に入ってしまった(^_^;)時間が大幅にずれ込んでしまい、困った困った。。。

 時を経て、行徳先生の渾身のお話にさらに感極まり、大幅に遅れての懇親会。そりゃーーーーぶっちゃけの大宴会となりました。明久さんも最後までお付き合いくださり、膝を突き合わせて私たちに語るその真摯な姿にまた胸が熱くなり・・・。
 いったい何時まで騒いでいたんだろ。『娑婆の鎧』を脱いだ人間の美しさに酔いしれました。



ライトアップされた桜のトンネルが見事でした。



翌朝はなんと5時15分から移動開始です。はちゃめちゃな旅です。その二日目の報告はまた後日。

ではまた。

おさむ





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