20年前の学生時代、入りびたりだった喫茶店が小山市にあります。その名は 『古陶里(ことり)』
朝から晩までいることもしばしば。お気に入りの指定席があって、アンティークなインテリアでまとめられた店内は人影もまばら、というかいつもガラガラで、心から落ち着くことができる空間でした。
店主は 『ことりのおばちゃん』 当時62歳のほんとに口が悪い(辛い)おばちゃんでした。でも、ほんとに僕をかわいがってくれて、学生特有の悩みや人生相談に乗ってもらったり、いろいろな昔話も聞かせてくれたりしました。コーヒーはもちろんですが、特製の焼きうどんがとってもおいしかったことをよく覚えています。
ご主人は元 『憲兵』。 その凛とした姿勢・眼差し・風格は、年月を経ても全く衰えず、常に気迫が伝わってくるような存在でした。
卒業の時には 『K』 の文字が入ったコーヒーカップをプレゼントしてくれて、涙を流しながら分かれたことを思い出します。
あれから20年が経ちました。
その間、何度かお邪魔したことはありましたが、今日、ほんとにしばらくぶりに妻と一緒におじゃましてきました。
『おばちゃんいますかー?』
お店はすでに娘さんが引き継いでおり、おじちゃん・おばちゃんは裏にいるとのこと。『お変わりございませんか』 と聞くと、険しい顔。何かあったのか。。。。。
裏にまわってみると、娘さんがおじちゃん・おばちゃんを呼びに暗い奥の部屋へ入っていきました。
やがておじちゃんは車椅子に乗って現れました。たいへん元気そうだが、脳梗塞に倒れて四肢が不自由になってしまったらしい。その後ろにおばちゃんが現れた。手を振る僕を見て一瞬誰だかわからなかったようだが、次第に記憶がよみがえってきたようで、笑顔で迎えてくれました。
挨拶だけで帰ろうと思ったのですが、寂しい眼差しで 『まあまあ上がりなさい、さあ、さあ、あがって、あがって・・・・』 と願うように言う老夫婦に導かれ、お茶をご馳走になることになりました。
笑顔のお二人を見ていると、20年の年月の重みを感じる。おばちゃんはすっかりやせてしまい、すっかり小さくなってしまった。
『こんなみじめなからだになってしまいました。』と元憲兵のおじちゃん。当時の肖像画が飾ってあります。戦争の時代特有の、今の我々では到底表現できないような、意志の強さ、自尊心と誇り、そして殺気に満ちたその肖像画が、60年を経たおじちゃんの本質をあらわしているかのようです。
コーヒーを飲むときのことです。手が不自由なおじちゃんは、一所懸命、ゆっくりとカップを持ち上げようとする。でも、今にもこぼしそうだ。とても口までは運べそうにない。おばちゃんが 『なにかっこつけてんの。飲んだこともないのに・・・・』 おじちゃんはニコニコ笑いながら 『いやいや、こうしてカッコだけでもしてみようかと・・・・・』 そうなんだ。そうなんだ。おじちゃんのプライドがそうさせているんだ。そのけなげな姿に震えるものを感じました。妻が手を添えて口まで運んで差し上げると、ズルズルッっと、ほんとうにおいしそうにすすったのでした。 からだが不自由になったおじちゃん。菩薩のような笑顔のおじちゃん。でも、目は憲兵でした。その眼力は、妻も忘れられないと言うほどの力強さでした。
次第に記憶がはっきりしてきたのはおばちゃん。82歳になったそうです。
『あんたはねぇ、たいしたぶって、えらそうにいろいろ言ってたわねぇ。哲学者ぶって厚い本を持って歩いたりして、店のすみっこでいちんちじゅういたわねぇ~・・・・。まあ、いい奥さんになったわねぇ~。このヒトはまったく、あっちふらふら、こっちふらふらしていてねぇ~、ねぇ~!?』
実はことりのおばちゃんは、僕の学生時代のすべてを知っていると言っても過言ではないのだ。口を差しはさまないと、どこまで妻にしゃべられてしまうやら???
30分はいただろうか、いろんな昔話をした。ほんとに会うことができてよかった。うれしかった。年老いたおじちゃん・おばちゃんを見ていると涙が出てくる。握手をして席を立った。
バイクにまたがり帰ろうとする時、さっき別れたはずのおばちゃんが重たい足を、ゆっくり、ゆっくりと進めながら外に現れた。そして 『・・・・・うれしかったわぁ。。。』 とぼそり。
自分が返れる場所があった。自分の原点ともいえる場所があった。19歳の僕を育ててくれた空間があった。20年前と変わらない場所があった。
素直になれた自分。さわやかな風がからだを通り抜けるようでした。
ではまた。
おさむ
朝から晩までいることもしばしば。お気に入りの指定席があって、アンティークなインテリアでまとめられた店内は人影もまばら、というかいつもガラガラで、心から落ち着くことができる空間でした。
店主は 『ことりのおばちゃん』 当時62歳のほんとに口が悪い(辛い)おばちゃんでした。でも、ほんとに僕をかわいがってくれて、学生特有の悩みや人生相談に乗ってもらったり、いろいろな昔話も聞かせてくれたりしました。コーヒーはもちろんですが、特製の焼きうどんがとってもおいしかったことをよく覚えています。
ご主人は元 『憲兵』。 その凛とした姿勢・眼差し・風格は、年月を経ても全く衰えず、常に気迫が伝わってくるような存在でした。
卒業の時には 『K』 の文字が入ったコーヒーカップをプレゼントしてくれて、涙を流しながら分かれたことを思い出します。
あれから20年が経ちました。
その間、何度かお邪魔したことはありましたが、今日、ほんとにしばらくぶりに妻と一緒におじゃましてきました。
『おばちゃんいますかー?』
お店はすでに娘さんが引き継いでおり、おじちゃん・おばちゃんは裏にいるとのこと。『お変わりございませんか』 と聞くと、険しい顔。何かあったのか。。。。。
裏にまわってみると、娘さんがおじちゃん・おばちゃんを呼びに暗い奥の部屋へ入っていきました。
やがておじちゃんは車椅子に乗って現れました。たいへん元気そうだが、脳梗塞に倒れて四肢が不自由になってしまったらしい。その後ろにおばちゃんが現れた。手を振る僕を見て一瞬誰だかわからなかったようだが、次第に記憶がよみがえってきたようで、笑顔で迎えてくれました。
挨拶だけで帰ろうと思ったのですが、寂しい眼差しで 『まあまあ上がりなさい、さあ、さあ、あがって、あがって・・・・』 と願うように言う老夫婦に導かれ、お茶をご馳走になることになりました。
笑顔のお二人を見ていると、20年の年月の重みを感じる。おばちゃんはすっかりやせてしまい、すっかり小さくなってしまった。
『こんなみじめなからだになってしまいました。』と元憲兵のおじちゃん。当時の肖像画が飾ってあります。戦争の時代特有の、今の我々では到底表現できないような、意志の強さ、自尊心と誇り、そして殺気に満ちたその肖像画が、60年を経たおじちゃんの本質をあらわしているかのようです。
コーヒーを飲むときのことです。手が不自由なおじちゃんは、一所懸命、ゆっくりとカップを持ち上げようとする。でも、今にもこぼしそうだ。とても口までは運べそうにない。おばちゃんが 『なにかっこつけてんの。飲んだこともないのに・・・・』 おじちゃんはニコニコ笑いながら 『いやいや、こうしてカッコだけでもしてみようかと・・・・・』 そうなんだ。そうなんだ。おじちゃんのプライドがそうさせているんだ。そのけなげな姿に震えるものを感じました。妻が手を添えて口まで運んで差し上げると、ズルズルッっと、ほんとうにおいしそうにすすったのでした。 からだが不自由になったおじちゃん。菩薩のような笑顔のおじちゃん。でも、目は憲兵でした。その眼力は、妻も忘れられないと言うほどの力強さでした。
次第に記憶がはっきりしてきたのはおばちゃん。82歳になったそうです。
『あんたはねぇ、たいしたぶって、えらそうにいろいろ言ってたわねぇ。哲学者ぶって厚い本を持って歩いたりして、店のすみっこでいちんちじゅういたわねぇ~・・・・。まあ、いい奥さんになったわねぇ~。このヒトはまったく、あっちふらふら、こっちふらふらしていてねぇ~、ねぇ~!?』
実はことりのおばちゃんは、僕の学生時代のすべてを知っていると言っても過言ではないのだ。口を差しはさまないと、どこまで妻にしゃべられてしまうやら???
30分はいただろうか、いろんな昔話をした。ほんとに会うことができてよかった。うれしかった。年老いたおじちゃん・おばちゃんを見ていると涙が出てくる。握手をして席を立った。
バイクにまたがり帰ろうとする時、さっき別れたはずのおばちゃんが重たい足を、ゆっくり、ゆっくりと進めながら外に現れた。そして 『・・・・・うれしかったわぁ。。。』 とぼそり。
自分が返れる場所があった。自分の原点ともいえる場所があった。19歳の僕を育ててくれた空間があった。20年前と変わらない場所があった。
素直になれた自分。さわやかな風がからだを通り抜けるようでした。
ではまた。
おさむ