29.30日と平成31年『わたし事としての知覧巡礼の旅~国史の時間軸に生きる~』を開催しました。その報告を数回に分けて書いてみたいと思います。
今年はLCCのタイムテーブルの都合で宮崎空港に入りました。まず訪問したのは『宮崎海軍特攻慰霊碑』です。宮崎空港は当時の赤江飛行場で、海軍の航空基地でした。それがそのまま宮崎空港として使われています。当時の基地を現在でも使用しているのは、ここ宮崎空港と鹿屋航空基地の二箇所だけだそうです。慰霊が初めてという方も多く最初は戸惑っていたようですが、境内の空気に触れるとすぐその雰囲気は変わりました。127名の方が特攻戦死されているそうです。お線香を手向け、静かにお参りをさせていただきました。
次に向かったのは『皇宮神社』です。『皇宮屋(こうぐうやしろ)』ともいわれます。カムヤマトイワレヒコノスメラミコト(神武天皇)がお住まいになっていた場所、と伝承されています。ここから東征されたということで皇紀2600年記念として大きな『皇軍発祥之地碑』が建てられています。
宮崎県内最後は『八紘一宇之塔』です。現在は平和の塔の呼ばれています。こちらも皇紀2600年記念として建立されたものです。想像はしていたものの、いやいやいやいやいや、、、圧倒的な存在感に思わず感嘆の声を上げてしまいました。ここは凄いです、ほんと。行かなきゃわかりません。
風土には力があります。そこに立ち、その空気を、その景色を五感で感じたとき、理屈では表せない何かを得ることができると確信しています。それぞれ巡った地の人々が刻んだ歴史を事前に学んでおくことも重要ですね。
で、ここからぐーーーんと足を伸ばし、鹿児島空港に行徳先生を迎え、知覧に向かいました。
続きは後日。
ではまた。
おさむ
今年はLCCのタイムテーブルの都合で宮崎空港に入りました。まず訪問したのは『宮崎海軍特攻慰霊碑』です。宮崎空港は当時の赤江飛行場で、海軍の航空基地でした。それがそのまま宮崎空港として使われています。当時の基地を現在でも使用しているのは、ここ宮崎空港と鹿屋航空基地の二箇所だけだそうです。慰霊が初めてという方も多く最初は戸惑っていたようですが、境内の空気に触れるとすぐその雰囲気は変わりました。127名の方が特攻戦死されているそうです。お線香を手向け、静かにお参りをさせていただきました。
次に向かったのは『皇宮神社』です。『皇宮屋(こうぐうやしろ)』ともいわれます。カムヤマトイワレヒコノスメラミコト(神武天皇)がお住まいになっていた場所、と伝承されています。ここから東征されたということで皇紀2600年記念として大きな『皇軍発祥之地碑』が建てられています。
宮崎県内最後は『八紘一宇之塔』です。現在は平和の塔の呼ばれています。こちらも皇紀2600年記念として建立されたものです。想像はしていたものの、いやいやいやいやいや、、、圧倒的な存在感に思わず感嘆の声を上げてしまいました。ここは凄いです、ほんと。行かなきゃわかりません。
風土には力があります。そこに立ち、その空気を、その景色を五感で感じたとき、理屈では表せない何かを得ることができると確信しています。それぞれ巡った地の人々が刻んだ歴史を事前に学んでおくことも重要ですね。
で、ここからぐーーーんと足を伸ばし、鹿児島空港に行徳先生を迎え、知覧に向かいました。
続きは後日。
ではまた。
おさむ