北澤工務店で毎月発行している『カタロ通信』。7月号をOB施主様に発送させていただきました。その中に『おさむのひとりごと』というページがあります。そのページを読んだ方から『感動した!』旨のお電話を頂きました。気をよくしたあたくし、本日のブログにそれをアップさせていただきたいと思います。長いです・・・(^_^;)
おさむのひとりごと2015-7
あっという間に一年の半分が過ぎました。つい最近『明けましておめでとうございます!』なんて言っていたような。つい最近卒業式とか、桜の季節です・・・なんて言っていたような。時間が経つのは、ほんとうに早いものです。7月になりました。いかがお過ごしでしょうか。
今月は『教育勅語』と『逆・教育勅語』について書いてみたいと思います。
《教育勅語》
『教育勅語』というと、どのような印象を持たれているでしょうか。ぼくは、『軍国主義の象徴』『触れてはいけないもの』『暗くて怖いもの』という印象を強く持っていました。人をがんじがらめに縛りつける暗~いイメージ・・・。
知らないのにジャッジしている自分がいました。右翼だ左翼だと勝手に決めつけていました。知らないのに。。。ちょうどタイミングよく、父が小学校時代に使っていたという現物を手にしました。当時は暗唱させられたのだそうです。その時のエピソードを聞くうちに、益々本当のことを知りたくなりました。まずは知ることから始まるんですね。ジャッジはその後です。
教育勅語は明治23年10月30日に発布されました。この時期がまた絶妙ですね。簡単に書いてしまうのも気が引けますが、鎖国の江戸時代から明治維新によって西洋文明が世の中を折檻していくわけです。どんどん新しい日本に変わっていく。古い日本よりも新しい西洋だったわけです。けれど行き過ぎた西洋化、カタチばかりの西洋化は日本中を混乱させていきました。その時代の要請として、本来の日本人としての在り方や道徳観を明治天皇が語りかける形で文章化したものが『教育勅語』です。下記が本文ですが、読みづらいので飛ばしても・・・(^_^;)
教育ニ関スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此 レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開 キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々 服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日 御名御璽
口語訳(明治神宮HPより)
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
いかがでしょうか。これが軍国主義でしょうか。危険思想でしょうか。暗くて怖い世界でしょうか。。。
《12の徳目》
教育勅語には12の徳目が書かれています。
1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
これが教育勅語です。そのまま素直に読み取れば、日本人として当たり前当然のことが明確に書かれているのです。12番目の『一旦緩急アレバ・・・』だけをピックアップして云々言うのは的外れであることがよくわかります。しかしそれも『国家』として考えてみれば世界中共通の価値観であると思うのです。アメリカ合衆国の国歌は、フランスの国歌は、中華人民共和国の国歌は、世界中の国家は、もっと血生臭い言葉を国歌としているのです。国民である以上、当然の気概なのです。
さらに教育勅語が素晴らしいのは、上から目線の押し付け道徳ではなく、最後に書かれている『私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように・・・』という部分。
覚えていらっしゃる方も多いと思います、あの東日本大震災の時、両陛下が床に膝をついてお見舞いなさった姿、多くの人命を呑み込んだ海に向かい静かに黙礼される姿・・・『シラス』を実践されているのです。胸が震えます。
《逆・教育勅語》
で!!ここからが本題です!!これはぜひぜひ、必読かと!!
憲政史研究者の倉山満さんという方が、逆説で教育勅語を説明していらっしゃいます。これが実にユニークです。氏のHPから抜粋します。
世の論者、曰く「戦前の日本には教育勅語という危険な思想が蔓延していた。」と。どうやら教育勅語で明治天皇が臣民にお命じになったことは危険思想らしい。そこで、「逆・教育勅語」というのを考えてみた。
1.親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
2.兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
3.夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
4.友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
5.自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
6.広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
7.職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。
8.知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
9.人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。
10.社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
11.法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
12.勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。
いかがでしょうか・・・・。あれれ???今の時代そのものではないか???そんなことを感じた方も多いのでは???
ぼくは単に教育勅語の復活を望んでいるのではありません。ただ、現代、なんかヘンじゃないですか。なんかおかしいじゃないですか。どなたもそう感じているし、なんとかしたいと思っていらっしゃる。このままじゃ日本がおかしくなると思っていらっしゃる。その重大なヒントが教育勅語には、在ると思うのです。『父母ニ孝ニ』なんです。『夫婦相和シ』なんです。明確なんです。それらを逆説で見ればよくわかりますね。
《歴史のランナーとして》
日本は、世界で最も歴史のある国です。今年で建国2675年です。今上天皇は125代です。ギネスブックにも『最古の国』として登録されているのです。建国の歴史はアメリカ合衆国が239年、イギリスが900年前後、フランスが226年、中華人民共和国が66年・・・・なんです。
子供たちや若者がこの国に生まれたことを誇りに思い、連綿と続く歴史のランナーとして明るく躍々とした人生を走ってほしい。あらぬ自虐的歴史感に縛られた雰囲気を経験として変化成長して行くためにも、ぼくはこれからも学び、伝えていきたいです。
伝え方はそれぞれですね。それぞれのステージで、足元で、伝えていくんですね。
ぼくは、家づくりという仕事を通して、ずっとずっとお客様とつながって、一緒にいろんな体験をして、少しでもよりよい方向になっていくことに貢献したいと思います。
ではまた。
おさむ