鳥羽伏見の戦いでは西軍(いわゆる官軍。実態は薩長軍)に恭順するか否かの対応で全国に激震が走った。
備中松山藩は譜代大名であり、藩主板倉勝静は幕府の老中首座(今でいう内閣総理大臣)であるから、薩長の過激派組織に恭順するわけにはいかぬ。しかし、方谷は民を救うことを選択。松山城の無血開城となって戦火を免れた。
この前後に玉島事件が起こった。こちらの記事に詳しいのでURLを添付します。
玉島事件
ここがその柚木邸。ご子孫の方に詳しくお話を聞くことができました。天井の白くなっている部分が鮮血の跡。
熊田恰
『責任』とはこういう事だ。私らは生きることに潔さがない。しみじみこの間で静かな時間を過ごしました。
・・・・・・・・・・
丸川松陰が母を亡くした方谷(14歳)に『なぜ学問をするのか』と問いました。その答えがこの文面。赤字は松陰の添削。
今回の旅でこの一筆が最も私の心を打ちました。『述懐』
まあまあそこそこ生きてなるものか。おめおめと歳を重ねてなるものか。
先ずは目の前にある仕事をぬかりなくしっかりやり切ります。
実に、いい旅でした。
ではまた。
おさむ
北澤工務店ホームページhttps://www.e-kitazawa.com/
備中松山藩は譜代大名であり、藩主板倉勝静は幕府の老中首座(今でいう内閣総理大臣)であるから、薩長の過激派組織に恭順するわけにはいかぬ。しかし、方谷は民を救うことを選択。松山城の無血開城となって戦火を免れた。
この前後に玉島事件が起こった。こちらの記事に詳しいのでURLを添付します。
玉島事件
ここがその柚木邸。ご子孫の方に詳しくお話を聞くことができました。天井の白くなっている部分が鮮血の跡。
熊田恰
『責任』とはこういう事だ。私らは生きることに潔さがない。しみじみこの間で静かな時間を過ごしました。
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丸川松陰が母を亡くした方谷(14歳)に『なぜ学問をするのか』と問いました。その答えがこの文面。赤字は松陰の添削。
今回の旅でこの一筆が最も私の心を打ちました。『述懐』
まあまあそこそこ生きてなるものか。おめおめと歳を重ねてなるものか。
先ずは目の前にある仕事をぬかりなくしっかりやり切ります。
実に、いい旅でした。
ではまた。
おさむ
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