20年来の友に苦渋の決断・・・
友情よりリスク回避を選択した私・・
6月のはじめ、横浜に住む山友より久々のLINEが届く。
それは、7月9日~15日の間で来道し、山旅をすると言う連絡だった。そして、期間中のどこかで都
合が合えば「夕張岳」への同行を依頼する内容だった。
北海道は「緊急事態宣言」下の時だったが、来道する期間はそれが解けるだろうと見込み、それ以上に
山友との再会を楽しみに同行依頼を受ける計画で進める事になった。この時点から、私の頭の中にはコ
ロナ禍の意識は薄れ、横浜が神奈川県であったことも北海道の緊急事態宣言からまん延防止重点措置に
変わった事も意識せず、どんどん計画を進めてしまったのである。
回想・・・
横浜の山友S氏とは、20年ほど前に幌尻岳に登っていたグループの一人で、私は青森の山友を案内す
るために登っていて山頂付近で挨拶したのが初対面だった。今でもはっきり覚えているが、私たちが幌
尻岳山頂で休んでいた時、彼らグループも後から到着した。しかし、山頂には立ち寄らず写真も撮らず
に通り過ぎた事にすごく違和感を感じて見送った。更にその前挨拶した時、グループ4人中女性二人は
ほぼ空身の軽装で、男性二人だけがザックを背負っていた事にも気付いていた。その後、私たちが戸蔦
別岳に向かった時である。途中の登山道で彼らの物と思われる落とし物を見付けたので、再び気になり
グループを追うと、コル付近から七つ沼に降りて行く姿を見て、つい大声で彼らを呼び止めた。
それは、コルから七つ沼カールへの斜面と七つ沼から戸蔦別岳への登路には多くの残雪があり、彼らの
装備では危険だと瞬時に思ったからである。戻って来た彼らに聞くとただ「七つ沼カールを見たかった」
だけだと言う。落し物はやはり彼らのもので安堵したが、その後の行動予定を聞いてつい私の悪い性格
である親切心が勝ってしまった。
彼らは、戸蔦別岳に登った後は再び幌尻岳に戻り、そこで写真を撮るつもりだったらしい。そして往路
を辿り幌尻山荘に泊まると言う。それは非常に長い行程で、軽装な女性を含めて無理を強いる行程だっ
た。戸蔦別岳から直接山荘に降りるルートの事は知らず、その後私が山荘まで案内する事となり行動を
共にする事になった。
熱中症、水無し事件・・・
戸蔦別岳の頂上に当時は標識も無かったが、それは日高に於いて当たり前と私は思っていた。
彼らよりだいぶ早く着いてしまったので、ゆっくり休む事にしたが、女性一人の体調が悪いらしくなか
なか到着しなかった。
しばらく待ってようやく到着した彼女の顔色は悪く、心配になる。
仲間である彼らの様子を見ていたが、食べ物も食べられず飲み水はもう無いと言うではないか!
ザックを持たない軽装の彼女たちに異変が起こるのは当たり前だった。この日は快晴であり気温も高か
った。体調を崩した彼女は「熱中症」と思われ、なのに最悪「水無し」には呆れた装備の欠如である。
私たちの水を分け、十分に休んだ後軽く食事も取ってもらいようやく体調が良くなって来て安堵する。
無事、小屋に着いた時は本当にホッとした。
沢での水浴びを紹介し蕗の煮つけをご馳走する。
夕食での一時ですっかり打ち解けた山仲間となり、以後行ったり来たりの付き合いとなった・・。
回想が長くなってしまったが、そんな20年来の友もすでに74歳になった。
今回は、女性の友人を誘って二人で来道するらしく樽前山、アポイ岳、夕張岳、富良野岳方面を登って
15日夜に発つ予定だった。その中の夕張岳の同行だったが、われに戻ったのはつい先日再び出された
東京の緊急事態宣言である。
一都三県の三県の中に神奈川県が入っている事を始めて認識する。
三県はまん延防止の延長となり不要不急の外出は控えなくてはならない。北海道も7月11日までまん
延防止措置が続いていて、再会合流する日が11日だったと今になって気が付く愚か者は私だ。
11日は夕張岳ヒュッテに泊まり、翌12日に夕張岳という計画だった。
「まずい・・」と思い、悩み妻とも相談をした。もし悪天の場合は、夕張岳は中止し地元のキャンプ場
でキャンプする事も決めていたが、11日という日付がまずかった・・・。
S氏自身の来道は、不要不急と言う事も余り気にせずに考えていたようだが、感染防止の観点から再会
を躊躇した私だった。悩みに悩む苦渋の決断。直前になってからのキャンセルも個人事では済まないリ
スクを回避するためには、友情より再会断念を選択した私だった・・・。
友情よりリスク回避を選択した私・・
6月のはじめ、横浜に住む山友より久々のLINEが届く。
それは、7月9日~15日の間で来道し、山旅をすると言う連絡だった。そして、期間中のどこかで都
合が合えば「夕張岳」への同行を依頼する内容だった。
北海道は「緊急事態宣言」下の時だったが、来道する期間はそれが解けるだろうと見込み、それ以上に
山友との再会を楽しみに同行依頼を受ける計画で進める事になった。この時点から、私の頭の中にはコ
ロナ禍の意識は薄れ、横浜が神奈川県であったことも北海道の緊急事態宣言からまん延防止重点措置に
変わった事も意識せず、どんどん計画を進めてしまったのである。
回想・・・
横浜の山友S氏とは、20年ほど前に幌尻岳に登っていたグループの一人で、私は青森の山友を案内す
るために登っていて山頂付近で挨拶したのが初対面だった。今でもはっきり覚えているが、私たちが幌
尻岳山頂で休んでいた時、彼らグループも後から到着した。しかし、山頂には立ち寄らず写真も撮らず
に通り過ぎた事にすごく違和感を感じて見送った。更にその前挨拶した時、グループ4人中女性二人は
ほぼ空身の軽装で、男性二人だけがザックを背負っていた事にも気付いていた。その後、私たちが戸蔦
別岳に向かった時である。途中の登山道で彼らの物と思われる落とし物を見付けたので、再び気になり
グループを追うと、コル付近から七つ沼に降りて行く姿を見て、つい大声で彼らを呼び止めた。
それは、コルから七つ沼カールへの斜面と七つ沼から戸蔦別岳への登路には多くの残雪があり、彼らの
装備では危険だと瞬時に思ったからである。戻って来た彼らに聞くとただ「七つ沼カールを見たかった」
だけだと言う。落し物はやはり彼らのもので安堵したが、その後の行動予定を聞いてつい私の悪い性格
である親切心が勝ってしまった。
彼らは、戸蔦別岳に登った後は再び幌尻岳に戻り、そこで写真を撮るつもりだったらしい。そして往路
を辿り幌尻山荘に泊まると言う。それは非常に長い行程で、軽装な女性を含めて無理を強いる行程だっ
た。戸蔦別岳から直接山荘に降りるルートの事は知らず、その後私が山荘まで案内する事となり行動を
共にする事になった。
熱中症、水無し事件・・・
戸蔦別岳の頂上に当時は標識も無かったが、それは日高に於いて当たり前と私は思っていた。
彼らよりだいぶ早く着いてしまったので、ゆっくり休む事にしたが、女性一人の体調が悪いらしくなか
なか到着しなかった。
しばらく待ってようやく到着した彼女の顔色は悪く、心配になる。
仲間である彼らの様子を見ていたが、食べ物も食べられず飲み水はもう無いと言うではないか!
ザックを持たない軽装の彼女たちに異変が起こるのは当たり前だった。この日は快晴であり気温も高か
った。体調を崩した彼女は「熱中症」と思われ、なのに最悪「水無し」には呆れた装備の欠如である。
私たちの水を分け、十分に休んだ後軽く食事も取ってもらいようやく体調が良くなって来て安堵する。
無事、小屋に着いた時は本当にホッとした。
沢での水浴びを紹介し蕗の煮つけをご馳走する。
夕食での一時ですっかり打ち解けた山仲間となり、以後行ったり来たりの付き合いとなった・・。
回想が長くなってしまったが、そんな20年来の友もすでに74歳になった。
今回は、女性の友人を誘って二人で来道するらしく樽前山、アポイ岳、夕張岳、富良野岳方面を登って
15日夜に発つ予定だった。その中の夕張岳の同行だったが、われに戻ったのはつい先日再び出された
東京の緊急事態宣言である。
一都三県の三県の中に神奈川県が入っている事を始めて認識する。
三県はまん延防止の延長となり不要不急の外出は控えなくてはならない。北海道も7月11日までまん
延防止措置が続いていて、再会合流する日が11日だったと今になって気が付く愚か者は私だ。
11日は夕張岳ヒュッテに泊まり、翌12日に夕張岳という計画だった。
「まずい・・」と思い、悩み妻とも相談をした。もし悪天の場合は、夕張岳は中止し地元のキャンプ場
でキャンプする事も決めていたが、11日という日付がまずかった・・・。
S氏自身の来道は、不要不急と言う事も余り気にせずに考えていたようだが、感染防止の観点から再会
を躊躇した私だった。悩みに悩む苦渋の決断。直前になってからのキャンセルも個人事では済まないリ
スクを回避するためには、友情より再会断念を選択した私だった・・・。
無理しないで小屋に泊まって正解だったと思います!
もう20年以上前のできごとですが!
額平川ルート事故が起きていますね!
ご無沙汰しています。時々FBは覗いていますよ!
日高の沢は平均してどこの沢も雨が降れば増水は早く、引くのも早い特徴がありますね。
あの額平川での事故はほとんど四ノ沢出合の渡渉で起きていて、事故が起きてもルートを見直す動きは聞いた事がありません。
逆に言えばそれだけ変更の難しい沢なのかも知れないし、雨が降った日の渡渉は危険な沢です。
百名山になってからこのルートから行く事を止めましたが、新冠ルートから行きたいと今は思っています・・。
無事で良かったですね!