抜けるような青い空を見ていたら、遠い昔に聞いた詩を思い出した。
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「雲」
丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる
おなじく
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか
あるとき
雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯(はて)のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
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★実際は、次の部分のみが強烈に記憶に残っていたのだが。。。。
「おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ」
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ」
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「おーい雲よ。。。」と、呼びかけている
のどかな感じが何とも言えない。
作者が山村慕鳥という、変わった名前だということは記憶していた。
この慕鳥が、凄い人だった。
★ 山村 暮鳥(やまむら ぼちょう)
1884年(明治17年)‐1924年(大正13年)は、群馬県で生まれる。詩人・児童文学者。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
家庭的には恵まれない環境で育つ。
1913年に、同郷の萩原朔太郎や友人の室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。。。。 (ウィキペディア(Wikipedia))より
萩原朔太郎との交流があったことは驚きだ。40歳で亡くなったのが惜しい。
最近、昔の日本の詩の豊かさに慰められることが多い。
小説とは違って、言葉に込められた余韻のようなものが感じられるからかもしれない。