風に吹かれたアン

旅歴、50年~世界中を放浪するのが夢。
40ヵ国は行ったけど、今年はまた大好きな英国へ~

伊東マンショ君のまなざし

2016-05-27 10:14:59 | 日記・エッセイ・コラム


水曜日に上野の国立博物館に行った。

天正遣欧少年使節の「伊東マンショの肖像」を見た。

彼らのことは、中学・高校の時に教科書で習ったので何となく親しみを感じる。
新聞でも以前から、肖像画が発見された経緯などが書かれていた。

早々と肖像画に会えるのは嬉しい。

マンショの肖像画の前に立つ。
その目が、何かを訴えてくるようだ。
        
遥か遠い国に、まだ幼さの残る13・4歳の少年たちが
8年もの長い間、
旅をしながら大きな役割を果たしに行った。

今考えると、気の遠くなるような話だ。

さらに、彼らが長崎を出て行った時は良かったが、
8年後に帰国した時はすでに秀吉の「バテレン追放令」が発令されていた。

時代が変わり、信長の世から秀吉の世になっていたのだ。

そんなことを考えながら、マンショ君の肖像画を見た。



★「エヴォラ大聖堂」


2年前、スペイン・ポルトガルの旅行に行った時、
リスボンに近いエヴォラ歴史地区にも行っていた。
「エヴォラ大聖堂」は、マンショがオルガンを弾いた場所だ。

あの時は、「ふーん」と感心したのみだった(笑)

今思うと、あの旅ではまさに当時の使節団が訪れた場所を
同じように通っていたのだ。



今回のマンショのまなざしを見て、
また必ず現地を訪問したいと強く思った。



★天正遣欧少年使節・・・

1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、
大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として
ローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。

1590年(天正18年)に帰国。

使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になり、
彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって
日本語書物の活版印刷が初めて行われキリシタン版と呼ばれる。

ジュリアンが最年長、原マルティノが最年少と言われる。

(4名の少年)

○伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。
後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。

○千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。後に棄教。
○中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴づりによって殉教。2007年に福者に列せられる。
○原マルティノ(副使)後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。



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