EBI印 近隣探索日記

休みの度に、近場をウロウロしては写真をパチリ。
徒然に撮った写真をUPしつつ、ゆるゆる更新します。

登米市散歩  8  教育資料館

2010年11月27日 06時00分00秒 | 日記
何度も来ているが、季節によって随分印象も変わる。
秋の夕暮の時もなかなかのもの。








これで、授業のはじまりや終了を知らせていたんだろう。



昇降口は六角形を半分にした形で、六方というらしい。

夕方の学校なんて、何年ぶりかな~

石巻  追記マンガロード

2010年11月26日 08時27分25秒 | 日記
住吉公園から中心部へ歩くと、目に着くのが観慶丸。

昭和5年(1930年)に出来た、石巻初の百貨店。
今は陶器のお店になっているが、一回も入った事が無い。
木造三階建ての建物だが、タイル張りの為にそうは見えない。
何故か敷居が高い気がして

この一角はなかなかのもので、手前のSSビルが実は大正の建物。
1925年に出来た旧東北実業銀行石巻支店
今は無いが伏見屋に東宝劇場(テアトル東宝)や今も商売している、お茶の高橋園に高長金物店など、昔の賑わいを感じさせる良い感じの建物が多い。

そして今は、萬画館目当ての観光客の為に、マンガロードというキャラクターが点在している駅からの通りがありる。

この他仮面ライダーやサイボーグ009などの石ノ森章太郎作品が多数あります。




初めてきた人ならば、あちこち探しながら萬画館行きがお薦め。
真っ直ぐ駅から萬画館だと見逃すのもあります。
好きな人は、地元の人よりも詳しいんだろうな~

石巻  住吉神社  2

2010年11月25日 12時52分11秒 | 日記
住吉公園にある、朱色の橋を渡るとあるのが雄島。

その上流部に有る小さな岩が、巻石と呼ばれ石巻の由来となったらしい。

なんでも、流れがここの岩で巻くことみたい。

小さな島だが、此処に昔旅館があったと、どこかで読んだ。


そして、神社の横に有るのが、袖の渡り。

源義経が船賃の代わりに、袖をちぎって渡したのでついた。
が、その前から歌枕として、登場しているみたいで、本当はどうなんだろうか?
ここには、松尾芭蕉と曽良も来ていてる。

小さな公園なのに、数少ない石巻の観光名所。

漫画館も近いし.
正面の山の山頂が石巻城址。

公園の上流部はかつて東北諸藩の米蔵が建ち並んでいたらしく、相馬藩の別邸が今も残る。


これも古く、変わった作りの家。
昔はこういう家が多かったのだろうか。

直ぐ傍に、志賀直哉の生家があった。

今は何もないが、昔ここは日野病院って名前の病院があったような気が?


数十m歩くと、毛利家という古い大きなお屋敷があったが、今は解体されてしまったらしく、看板もない。

確かこの辺。
奥の学校の当たりが、伊達藩の米蔵跡。
そのお屋敷には、戊申戦争の時に幕府軍が石巻に集結したおりに(4000名を超えていた)、榎本武揚や土方歳三が宿泊し、土方のつけた刀傷のある柱が残っていたはずが、今は建物ごと無くなってしまった
昔はそこの座敷で書道教室をやっていて、習いに行ったのだが、今考えるとかなりな贅沢。
その頃はただの広い家位の認識しかなかったけど。
その後、住吉公園のなかの公民館のような所に、書道教室は変更になった。
(冬は寒かったな~)

身近な所にも歴史は満載。


石巻  住吉神社

2010年11月25日 06時53分42秒 | 日記
昔近所に住んでいたので、あまりにも身近すぎて、久しぶりに訪ねた。

住吉神社と呼ばれてはいるが、大嶋神社が本当らしい。
今は、住吉公園の一角にある。

北上川の河畔にあり、川開きまつりの時の、孫兵衛船競争の乗船とゴール地点になる。
子供の頃の遊び場で、鯛焼き屋さんの屋台が来ていた。
鯛焼き20円、味噌おでん10円だったかな~。

子供達の遊びは、公園内と言うよりも、拝殿の裏の小山。
拝殿横の石段を登って行く。



さほど高くはないのだが、昔はてっぺんに火の見櫓の為のものだったのだろう望楼があった。

今は撤去されて、愛宕神社が祀ってある。
さほど高い建物が無かった時代には、かなり見渡せただろう。

何故か今は草茫々。
視界が悪いが、望楼の上に上がれば随分見えたはず。
確か、望楼は小さな灯台の様な形だったはず。
いつも鍵が掛けてあり、登ったことはなかったな~。

小山は、子供達の基地と化し。
あちこちに隠れ家のようなものがあったが、今は危険なので遊んでる子もいない。
私も一度落っこちたし。
擦りむいて血だらけ

神社の由来とかよりも、そんな事ばかり思い出す。

反対側に降りて行くと、住吉小学校がある。


公園内は見どころ満載。
続く・・・・

登米市散歩  7  水沢県庁

2010年11月24日 08時00分00秒 | 日記
秋の午後、もう三時もまわってしまい、祝日とはいえ観光の人達もあまりいない。
午前中の天気が嘘のように日がさしてきた。

駐車場の直ぐ横にある、水沢県庁記念館。
案内版によると、この庁舎は明治4年7月に登米県庁として着工されたが、8月の廃藩置県により11月一関県、12月に水沢県。
明治5年6月水沢県庁として開庁。
明治8年水沢県が廃止になり、磐井県となり県庁が一関に移ったあと、登米村第一小学校に下附された。
とある。

今の県境になるまで、かなり紆余曲折あったんだな~。
その後、色々な使われ方をした為に今でも残っている。
水沢県なんて、岩手県の南部と宮城県の北部だったらしいが、今の感じからすれば、なんかしっくりしない感じ。
知らない頃は、岩手県の水沢に有ったものを移築したものかと思っていた。

もしかして、門の後ろにある斜めの竹は、先月やってたアートトリエンナーレの名残か?

もう一軒、県庁の隣にある建物。

通りに面しているのに、どうしたいのか解らない建物。

字が切れていますが、登米高等洋裁女学○と書いている。(○は館か院か?)

観光客が歩くメイン通りなのに、公開も整備もしていないのはまだしも、鉄の壁で中途半端に隠してある。
歴史的にどうのこうの言う訳じゃないけど、はっきりした方がいいと思います。
もし整備したらとても良い感じなのに。
勿体無い。





もう夕暮だ。