去年の今ごろは「あけぼの」を南鳥海で迎撃するたび、またこのカマかwと苦笑していた。
↓オリジナルで上手くいったのを選んでみた
![](https://red.ap.teacup.com/dampflok_ed75/timg/middle_1278842057.jpg)
実際乗る方でもこの137の出番が多く、去年7月初めまで全般検査に入ってた138はともかくとして136や139は牽引しないのか?と思った程137の印象が強かった。
137、で思い出したのがブルトレ「はくつる」。
1994年12月3日改正の時は田端の81牽引だったが、俺がナナゴの「出戻り」撮影を始めた時は既に青森(所)の81牽引に替わっていて、ヒサシ付の134~139が先頭に立っていた。
ナナゴ貨物の通過時間の関係等もあり主に苫米地駅先頭での撮影が多かった「ツル客」だが、こんなところで撮ることも。
あれはお盆を前にした2002年8月11日、今にも雨が降ってきそうなドン曇りの空の下、大砲1本で勝負。1/250の絞り開放で仕留めた。
この後2059レ(現・3067レ)の通過時まで留まってED75重連やEH500牽引の貨物を何本か撮ってたが、午前中に露出が急降下して降るものも降ってきたので、退却。
翌日は津軽海峡に居座っていた前線の影響を考えて、1002M「はつかり2号」でさっさと八戸を後にしたが、直後に前線南下による豪雨が青森・岩手両県を直撃、盛岡~青森間は「同6号」以降運転見合わせとなり、583系臨時「はつかり131号」目当てで残っていた連中は、突発臨「はくつる52号」運転まで全く身動きが取れなかったとか。
その後「はくつる」牽引に携わった青森の81は134が長岡へ(後、両頭連結器装備)、135が貨物富山へと移動、残った4両のうち、136と139は両頭連結器装備と居所も様相も変わったが、137はどうにか138とともに当時の姿を残しながら、136や139と共に「あけぼの」運用に従事している。願わくばまた夜明けの南鳥海あたりで遭ってみたいものだ。
↓オリジナルで上手くいったのを選んでみた
![](https://red.ap.teacup.com/dampflok_ed75/timg/middle_1278842057.jpg)
実際乗る方でもこの137の出番が多く、去年7月初めまで全般検査に入ってた138はともかくとして136や139は牽引しないのか?と思った程137の印象が強かった。
137、で思い出したのがブルトレ「はくつる」。
1994年12月3日改正の時は田端の81牽引だったが、俺がナナゴの「出戻り」撮影を始めた時は既に青森(所)の81牽引に替わっていて、ヒサシ付の134~139が先頭に立っていた。
ナナゴ貨物の通過時間の関係等もあり主に苫米地駅先頭での撮影が多かった「ツル客」だが、こんなところで撮ることも。
あれはお盆を前にした2002年8月11日、今にも雨が降ってきそうなドン曇りの空の下、大砲1本で勝負。1/250の絞り開放で仕留めた。
この後2059レ(現・3067レ)の通過時まで留まってED75重連やEH500牽引の貨物を何本か撮ってたが、午前中に露出が急降下して降るものも降ってきたので、退却。
翌日は津軽海峡に居座っていた前線の影響を考えて、1002M「はつかり2号」でさっさと八戸を後にしたが、直後に前線南下による豪雨が青森・岩手両県を直撃、盛岡~青森間は「同6号」以降運転見合わせとなり、583系臨時「はつかり131号」目当てで残っていた連中は、突発臨「はくつる52号」運転まで全く身動きが取れなかったとか。
その後「はくつる」牽引に携わった青森の81は134が長岡へ(後、両頭連結器装備)、135が貨物富山へと移動、残った4両のうち、136と139は両頭連結器装備と居所も様相も変わったが、137はどうにか138とともに当時の姿を残しながら、136や139と共に「あけぼの」運用に従事している。願わくばまた夜明けの南鳥海あたりで遭ってみたいものだ。
ツル客の写真は赤羽駅先端ぐらいしか無いっす。
こんなところでもきれいに撮れたんだねぇ。
乗ったのも、廃止直前の上りに一回のみですた。
実地だと、夏場晴れてたら多分面つぶれ程度に陽が当たってたみたいなので
まだもう一回でけるかな…と期待してましたが、出来ませんでした。
俺も乗ったのはBハネ上段で八戸まで、だけです。