絵葉書ロマン譚 絵葉書資料館ブログ

絵葉書を通して、古き良き時代にタイムスリップ

鏑木清方と鰭崎英朋~近代絵画と絵葉書③~

2011-01-07 14:00:48 | 明治ロマン
新年明けましておめでとうございます。
お蔭様を持ちまして、
ブログも3年目の新春を迎えることができました。
これも皆様のひとかたならぬ、
ご支援の賜物と心より感謝致しております。

絵葉書を知って頂くために、精進致したいと存じます。
これからもご愛読頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。



明治30年代、若い画家たちは各目的に応じた研究会を開きました。
浮世絵の衰退については以前、
美人画の大家たちの記事にて述べましたが、
新芸術を目指す一方で江戸文化を好み、
伝統を受け継ぎ新しい風俗画を目指す研究会、
烏合の会が明治34年に発足されました。





鰭崎英朋
新小説繪端書




研究会は挿絵画家が中心となって活動し、
鏑木清方や鰭崎英朋らも会員でした。
二人は人気を二分した挿絵画家で、
流行中だった新聞や小説など多方面で活躍し、
二人の描く美しい女性が明治期の
挿絵界を華やかに彩ったのです。

しかし二人の描く女性は非常に対照的です。
鏑木清方が清純無垢で純真な女性を描くのに対し、
鰭崎英朋は艶麗な美女を描きました。
二人は互いに良きライバルとして切磋琢磨したのです。





鏑木清方 
旅情




また彼らが活躍した時代に美人画は大きな変化を遂げます。
それまで浮世絵の影響が色濃く残っており、
美人は引き目鉤鼻で描くことが常識でした。
しかし若い絵描きたちは没個性的で現実とかけ離れた容貌から脱却し、
新たな美人を描く方法を模索しておりました。

烏合の会では、西洋絵画の研究が熱心に行われ、
主にラファエロ前派の作品などを教材にしました。
西洋化絵画への傾倒が人物をリアルに描くことに繋がり、
理想化されながらもより現実に近い写実的な美人画が登場しました。





鏑木清方
新小説にせ紫後編



今回紹介した絵葉書は二人が
挿絵画家として脂がのっていた時のものです。
挿絵画界に一時代を築いた二人ですが、
それぞれ違う道を歩むことになります。
鏑木清方は挿絵から離れて日本画を手がけるようになり、
展覧会画家として成功を収めました。
鰭崎英朋は挿絵の仕事に専念し、
新聞の相撲挿絵などでファンを獲得しました。



次回も素敵な絵葉書を紹介致します。
お楽しみに!




次回は2月4日の予定です