役者絵で大成し、のちに歌川派隆盛の基礎を
築いたのが、歌川豊国でした。
写楽と同時期に活躍し、当時は
個性派の写楽よりも人気がありました。

豊国
太鼓
美人画は、何でどれも同じ顔……?
と、不思議に思われる方も多いでしょう。
浮世絵の美人は、その時々の流行を優先した理想像であったため、
顔の特徴や個性で個人を特定する必要がなかったのです。
彼女たちがどこの誰かとは、絵に名前が書いてあること以外に、
場面設定や手持ちの小道具などで判断することから、「判じ絵」と呼ばれておりました。
描かれたモデルは遊女や芸者のほかに、茶屋や店の看板娘も取り上げられました。
美人画は不動の人気がほこりましたが、
風紀をみだすとして、幕府からたびたび
発禁令が出されました。

豊国 文屋康秀
大伴黒主
人気絵師であった豊国は、
摘発をうけて禁固刑に処されたことがあります。
しかし彼は弾圧にも負けず、
長年に渡り描き続けるという江戸の粋をみせました。
次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!
