あまんきみこさんの新刊絵本『あるひあるとき』(のら書房)を手にしたのは朝日新聞の次の記事を読んだからでした。
■戦争の日常 幼い私の喜び悲しみ/大連にいたこと 重たかったが人生の芯/あまんきみこさん 体験を絵本に(朝日新聞)2020年8月15日
「ちいちゃんのかげおくり」などの作品で知られる児童文学者あまんきみこさん(89)は今夏、初めて旧満州・大連での自らの戦争体験をテーマにした絵本「あるひあるとき」を出版しました。「ずっと重たかった体験」に正面から向き合った今、思うことは――。
「子どもだった私の日常には戦争がありました。私は旧満州(中国東北部)生まれです。9歳の時に大連に引っ越し、南満州鉄道の関連会社で働いていた父、母と祖父母と暮らしていました。」と本文は続いていきます。
あまんさんの代表作『ちいちゃんのかげおくり』はもちろん読んでいたのですが、大連での戦争体験については知りませんでした。それもそのはず、彼女自身が今まで一度も語らなかったからです。
『あるひあるとき』は近隣の本屋さんにはおいてなく、アマゾンで取り寄せることにしました。ブックオフ通いが通常で年金暮らしの私が新刊本を購入するのは珍しいことでした。
本は昨日届きました。2020年7月初版発行で、手にした本は9月あっという間の第2刷でした。評判は上々のようです。朝日の記事が効いているのでしょうか。きっと他紙でも紹介されているのではないでしょうか。
本は一人っ子のあまんさんが戦前大連で暮らした生活を描いています。戦争が終わり日本に引き揚げるとき大切にしていたこけしを手放さざるをえなくなります。その理由とは…、ネタバレになるのでここは秘密です。戦争反対! などと声高に語るのではなく、戦争の非人間的な側面を穏やかに描いているのはあまん流と言えます。
インタビューをまとめた記事に次のようにあります。
「…旧満州はずっと心にあり、調べるために国会図書館に通いました。そして、ようやくそこで満州事変は日本軍の工作で起こったのだと知りました。/それまで教わったことはうそだった。私よりもつらい思いをした人がたくさんいた。私はそのことを何も知らなかった。涙があふれました。自ら学び、考えないといけないのだと痛感しました。それからずっと、大連にいたことが、重かったのです。」
最後にこう語っています。
「戦争の根本は『相手に殺される前に殺す』ということ。戦争だけはやめてね。若い方、どうか頑張って。私の遺言です。」
蛇足を1つ。あまんさんとの出会いについてです。
雑誌『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編、晩成書房)を編集しているとき、「○○を遊ぶシリーズ」を毎年1回、私が企画特集しました。2008年7月号は「谷川俊太郎を遊ぶ」、2009年からは工藤直子、まどみちお、阪田寛夫、佐野洋子、と続き、2013年は「あまんきみこを遊ぶ」でした。
特集の巻頭言をあまんさんに、大胆にも、ダメ元で私が手紙でお願いすることにしました。「白いぼうし」(あまんさん作)を国語で何回か授業したときの子どもたちの反応などを書き連ねました。なんと、あまんさんは快く、執筆を引き受けてくださり、エッセイ「思い出すままに-秘密の一人芝居」を書いてくださいました。これはまさに大連での一人遊びの思い出でした。
その後あまんさんには夫婦のミニコミ「啓」が100号で終刊するまで読んでいただいたのでした。
■戦争の日常 幼い私の喜び悲しみ/大連にいたこと 重たかったが人生の芯/あまんきみこさん 体験を絵本に(朝日新聞)2020年8月15日
「ちいちゃんのかげおくり」などの作品で知られる児童文学者あまんきみこさん(89)は今夏、初めて旧満州・大連での自らの戦争体験をテーマにした絵本「あるひあるとき」を出版しました。「ずっと重たかった体験」に正面から向き合った今、思うことは――。
「子どもだった私の日常には戦争がありました。私は旧満州(中国東北部)生まれです。9歳の時に大連に引っ越し、南満州鉄道の関連会社で働いていた父、母と祖父母と暮らしていました。」と本文は続いていきます。
あまんさんの代表作『ちいちゃんのかげおくり』はもちろん読んでいたのですが、大連での戦争体験については知りませんでした。それもそのはず、彼女自身が今まで一度も語らなかったからです。
『あるひあるとき』は近隣の本屋さんにはおいてなく、アマゾンで取り寄せることにしました。ブックオフ通いが通常で年金暮らしの私が新刊本を購入するのは珍しいことでした。
本は昨日届きました。2020年7月初版発行で、手にした本は9月あっという間の第2刷でした。評判は上々のようです。朝日の記事が効いているのでしょうか。きっと他紙でも紹介されているのではないでしょうか。
本は一人っ子のあまんさんが戦前大連で暮らした生活を描いています。戦争が終わり日本に引き揚げるとき大切にしていたこけしを手放さざるをえなくなります。その理由とは…、ネタバレになるのでここは秘密です。戦争反対! などと声高に語るのではなく、戦争の非人間的な側面を穏やかに描いているのはあまん流と言えます。
インタビューをまとめた記事に次のようにあります。
「…旧満州はずっと心にあり、調べるために国会図書館に通いました。そして、ようやくそこで満州事変は日本軍の工作で起こったのだと知りました。/それまで教わったことはうそだった。私よりもつらい思いをした人がたくさんいた。私はそのことを何も知らなかった。涙があふれました。自ら学び、考えないといけないのだと痛感しました。それからずっと、大連にいたことが、重かったのです。」
最後にこう語っています。
「戦争の根本は『相手に殺される前に殺す』ということ。戦争だけはやめてね。若い方、どうか頑張って。私の遺言です。」
蛇足を1つ。あまんさんとの出会いについてです。
雑誌『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編、晩成書房)を編集しているとき、「○○を遊ぶシリーズ」を毎年1回、私が企画特集しました。2008年7月号は「谷川俊太郎を遊ぶ」、2009年からは工藤直子、まどみちお、阪田寛夫、佐野洋子、と続き、2013年は「あまんきみこを遊ぶ」でした。
特集の巻頭言をあまんさんに、大胆にも、ダメ元で私が手紙でお願いすることにしました。「白いぼうし」(あまんさん作)を国語で何回か授業したときの子どもたちの反応などを書き連ねました。なんと、あまんさんは快く、執筆を引き受けてくださり、エッセイ「思い出すままに-秘密の一人芝居」を書いてくださいました。これはまさに大連での一人遊びの思い出でした。
その後あまんさんには夫婦のミニコミ「啓」が100号で終刊するまで読んでいただいたのでした。