後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔727〕祝!袴田巖さん 再審無罪。期せずして 鎌田慧さん、『冤罪を追う』(セレクション1)出版おめでとうございます!

2024年09月28日 | 図書案内

 至極当然の判決ではあるのですが、袴田巖さんに再審無罪が言い渡されました。
  マスメディアは次のように伝えています。(たんぽぽ舎のメルマガより転載)

 ◆袴田ひで子さん会見 主文が「神々しく聞こえた。涙止まらず」
  弟・巖さんに「無罪になったよと言いたい」

 1966年6月に当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅で一家4人が
殺害された強盗殺人放火事件、いわゆる袴田事件の再審公判をめぐって
は9月26日に静岡地裁が袴田巖さん(88)に対して無罪を言い渡すととも
に、捜査機関による証拠ねつ造を認定しました。
 閉廷後、弁護団とともに会見に出席した袴田さんの姉・ひで子さんは、
開口一番、集まった支援者に対して「本当に皆様、長い裁判でありがと
うございました。無罪を勝ち取りました」と挨拶。

 その上で「裁判長が『主文 被告人は無罪』と言うのが神々しく聞こ
えました。
 私はそれを聞いて、感激するやら、うれしいやらで涙が止まらな
かった。1時間ばかり涙があふれ出てきていました」と無罪判決を聞い
た時の心境を振り返りました。

 一方、26日の判決公判では閉廷直前に國井恒志裁判長が「自由の扉は
ちゃんと開けました。ただ、無罪は確定しないと意味がありません。
もうしばらくお待ちください。ひで子さんが健康でいられることを心か
ら祈っております」と声を震わせましたが、照れ隠しなのか「あまり聞
こえませんでしたので、裁判長の仰ることも。時々しか聞こえな
かったんです。残念ながら」と笑顔を見せたひで子さん。

 袴田さんにどのような声を掛けたいか問われると「(自身が帰宅した
際に)起きていれば、きょう(26日)話をするつもりなんですが、巖の状
況が安定しませんので、やたら話すというわけにはいきません。
ちょっと顔色を見まして、きょうかあすのうちに『無罪になったよ』と
いうことを言いたいと思います」と答えました。

 また、袴田さんが逮捕されてからの58年について「知らないうちに過
ぎましたしね、再審開始になった時にスカッと忘れちゃったんですよ、
昔の苦労をそれくらい再審開始になった時は(うれしい)気持ちがありま
してね」と述べた上で、「今回はまたそれにも増して無罪という判決を
もらいまして、本当に58年なんか吹っ飛んじゃったみたいな気がす
るんですよ」と話しています。    (9月26日「テレビ静岡」より)
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6514829 

 ◆袴田巖さん 再審無罪「捜査側証拠 三つ捏造」
  静岡地裁判決 死刑確定から44年
  信じた無罪「神々しかった」 姉・ひで子さん 涙、笑顔

 1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)であった一家4人強盗殺人
事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁(国井恒志
裁判長)は26日、無罪の判決を言い渡した。犯行着衣とされた5点の衣類
と衣類の一部の切れ端、自白調書の三つを「捜査機関の捏造」と認定。
警察や検察の責任を厳しく断じた。 (後略)
             (9月27日「東京新聞」朝刊1面より抜粋)

   まさに時を同じくして、鎌田慧セレクション1「現代の記録」が発刊されました(全12巻)。第1巻は「冤罪を追う」、まさにタイムリーな企画です。もちろん袴田事件についても丁寧に論述されているのですが、あとがきに次のように予言されています。

「二〇二四年九月二六日。袴田巌・確定死刑囚に無罪判決。静岡地裁での袴田巌再審裁判判決は、無罪判決となろう。ひさびさの確定死刑囚への冤罪解決の朗報である。」

 何年もかけて足で書かれた326頁にわたるルポルタージュをじっくりと読みこんでいきたいと思います。そこからみえてくる危うい日本の司法の不条理な現状に思いを馳せたいと思います。地域の図書館にも揃えておきたい12冊です。このシリーズの購入リクエスト運動が彷彿と巻き起こることを祈念します。
 挟み込まれていた「隔月報」に実に興味深いことが書かれていました。佐高信さんの「鎌田ルポの原点」です。『自動車絶望工場』が大宅壮一ノンフィクション賞を逸した時の信じられないような逸話です。実際に手にとって読まれることをお勧めします。
  先日、検察側に「控訴するな」という葉書を数枚送りました。こうした紙の飛礫はかれこれ何回目になったのでしょうか。

◆死刑台からの生還
                                    鎌田 慧(ルポライター)

 9月26日14時。静岡地裁で袴田巌さんに無罪判決が出される。確定死
刑囚の無罪判決は1989年1月、同地裁が同県島田市で起きた「幼女誘拐
殺害事件」の冤罪者・赤堀政夫さんに無罪を言い渡して以来35年ぶりと
なる。
 80年代に免田事件、財田川事件、松山事件と確定死刑囚が連続して釈
放された。「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」。
 日本の裁判所にも、人権尊重の鉄則が貫徹するかに思えた。

 この時代、筆者は財田川事件に関わっていた。まだ救援運動などな
かった死刑囚・谷口繁義さんの無実について雑誌に書き、タイトルを
『死刑台からの生還』とした。
 その雑誌の新聞広告を獄中で目にした谷口さんは「私はまた、外国の
映画の題名かと思っていましたら、よく見るとそうではなくて、私の事
でした」と喜びの手紙を実兄に送った。

 この喜びを思えば、無実の死刑囚でありながら、1975年に処刑された
福岡事件の西武雄さんの俳句「叫びたし 寒満月の 割れるほど」はあま
りにも悲惨だ。
 袴田さんの無罪判決を確信している人たちの不安は、未だ死刑を求刑
している検事側が「控訴」の悪あがきをしないか、である。判決のあと
支援者と弁護団は検察側に「控訴するな」と訴えにいく。
 死刑確定後、現実社会から乖離した袴田さんの精神を解放するのが、
検察の良心のはずだ。
      (9月24日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


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