『レッジョ・エミリアと対話しながら-知の紡ぎ手たちの町と学校』という実に読みごたえのある大冊が送られてきたのはドイツから帰国した8月半ばのことでした。訳者の里見実さんからでです。表紙はレッジョ・エミリア市のディアーナ校の壁面を飾っている鮮やかなパネルの一部です。
まずはどのような本なのか、ミネルヴァ書房のHPを覗いてみましょう。
●『レッジョ・エミリアと対話しながら-知の紡ぎ手たちの町と学校』カルラ・リナルデイ著、里見実訳、ミネルヴァ書房364頁、2019年9月
〔オビ〕
世界を魅了し続けるレッジョの幼児教育の本質とは!
レッジョの教育理念を伝え、世界の多くの言語に翻訳されている名著。待望の邦訳、ついに刊行。
〔トビラ〕
世界各地の幼児教育に影響を与え、私たちの心を捉え続けているレッジョ・エミリア。なぜ人はレッジョの幼児教育に魅了されるのか。本書は、レッジョ・チルドレンの代表として、またペダゴジスタとして、長年にわたってこの町の教育実践を支え続けてきたカルラ・リナルディの折々の語りを、時間を追って編集した講演と座談の記録。レッジョの幼児教育の根底に流れるモチーフとは何なのか、その真髄を伝える証言である。
[原著]
Rinaldi, C(.2006).In Dialogue with Reggio Emilia, Routledge(英語版)
Rinaldi, C(.2009).In dialogo con Reggio Emilia, Reggio Children(イタリア語版)
[目次]
はじめに――レッジョ・エミリアと対話しながら
訳者はしがき
訳語について
凡例
序章 われらにとってのレッジョ・エミリア(グニラ・ダールベリピーター・モス)
第1章 子どもたちの傍らで―現場で形づくられる教師たちの知
第2章 コミュニケーションとしての参加
第3章 保育園に学習プログラムは必要か?
第4章 教職者の資質更新
第5章 マラグッツィと教師たち
第6章 ドキュメンテーションと評価――この両者の間にはどのような関係があるのか?
第7章 対話を重ねて
第8章 子ども期の空間的環境
第9章 教育に今問われているもの
第10章 ドキュメンテーションと探求の文化
第11章 乳幼児保育園と幼児学校の連続性
第12章 創造性――思考の質として
第13章 探求者としての教師――学校のなかで人が育つということ
第14章 境界を越える――ローリス・マラグッツィとレッジョ・エミリアの教育の歩みを振り返る
第15章 共に食卓を囲むひとときから――学校の文化が生まれる
第16章 現代都市における教育とグローバリゼーション
第17章 教育におけるシティズンシップの訓練
補章1 教育的プロジェクトの構築――ガンディーニとカミンスキーによるインタビュー
補章2 組織と方法と――ボルギとの対談:レッジョの歩みを語る
補章3 カルラ・リナルディとの対話のなかで――ダールベリモスとの鼎談
おわりに
訳者あとがき
引用・参考文献
里見さんは、私の師匠の1人である村田栄一さんの著書にたびたび登場されていて、新卒時からこちらが一方的に慕い尊敬していた方です。お二人の往復書簡を本にした『もう一つの学校に向けて』(筑摩書房、1986年)などはすぐに手に取れる書棚に今もあります。
1998年に埼玉・自由の森学園を主会場に開かれたフレネ教育者国際会議(リーデフ98)の実行委員長は村田さんで、実行委員会は渋谷の國學院大學の里見研究室で開かれました。里見さんは雑誌『ひと』(太郎次郎社)の編集代表をされていたときがあって、光栄にもある喫茶店で私に原稿依頼してくれたこともありました。(拙著『いちねんせい-ドラマの教室』晩成書房、2005年、所収)
『レッジョ・エミリアと対話しながら』に話を戻しましょう。
読み進めるにしたがってすぐに、これはとんでもない労作だということに気づきました。著者のカルラ・リナルディはイタリアの方ですが、なぜか英語版が先に出版され、イタリア語版はその三年後に出版されるのです。そして両者は微妙に内容が異なっているというのです。訳者の里見さんはその両方を融合した形で翻訳を成し遂げました。だからこれだけの大部な本になったというのです。英語とイタリア語を縦横無尽に駆使するというのはすごいことです。さらにびっくりさせられるのは、同じ原語でも文脈に合わせて訳語を変えているというのです。どれだけの苦労を重ねられたことでしょう。
こうして世界で唯一の『レッジョ・エミリアと対話しながら』が完成したわけです。
この訳書は著者の執筆原稿、講演記録、対談、鼎談などが時系列的に並べられているので、頭からかじっていっても良いのですが、私は自分の興味関心に沿って読み進めることにしました。
ローリス・マラグッツィ(村田さんもセレスタン・フレネもそうですが、元は小学校教師だったというのが興味深いことです)はレッジョの幼児教育の骨格を形作った思想家であり実践者ですが、どのような人となりだったのか、それが分かる章を拾って読んでいきました。さらに、ローリス・マラグッツィや著者が影響を受けた教育思想や教育運動はなんだったのか、それらについても、注意深く読み進めると興味深い事実が発見できました。
さてここでもう1冊本を紹介しておきます。日本でレッジョの幼児教育に最も早くから注目して、研究していた一人、田辺敬子さんの『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』です。レッジョの幼児教育の記録『子どもたちの100の言葉』の日本における最初の紹介者です。
『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』を再読して、『レッジョ・エミリアと対話しながら』の重みがさらに加わりました。
■『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』副題=イタリアの教育研究から見えたもの、田辺厚子・青栁啓子編、社会評論社、303頁、2014年
子どもたちから学ぶローディの授業に参加して、協同と自由の価値の実現をめざすその教育運動の実践と思想を学び、自己の教育理論を形成した。教育の国家による統制が進行している今日の日本において、「田辺敬子の仕事」は、この閉塞した時代の明日を切り開く道標となるであろう。
【目次】
はじめに 青栁啓子
第Ⅰ部 田辺敬子を偲んで
詩「でも、一〇〇はある」 ローリス・マラグッツィ
『子どもたちの一〇〇の言葉』から見た レッジョ・エミリアの幼児教育について 辻 昌宏
イタリア教育研究者の立場から見た田辺敬子の業績について 早田 由美子
ケイコとの想い出 マリオ・ローディ
マリオ・ローディ『わたしたちの小さな世界の問題』の衝撃―反ランキングの思想と演劇教育的な展開 福田 三津夫
田辺敬子氏とA&B 出田 恵子
田辺先生の思い出と教え 佐藤 朝代
ジェンダーに関する田辺敬子の業績について―田辺先生との不思議なご縁 牛島 光恵
辺先生が示した道 青栁 啓子
第Ⅱ部 田辺敬子論文集
1―レッジョ・エミリアの保育
子どもの楽園を見つけた―レッジョ・エミリア市の幼児教育
レッジョ・エミリア市の保育―レッジョ セミナーに参加して
2―ローディの方法
マリオ・ローディの一日――その教育実践の神秘
サルデーニャヘの旅――MCEの教師たちを訪ねて
3―人権と教育
ドン・ミラーニの業績と社会背景――『イタリアの学校変革論』訳者解説
イタリアの人権教育
4―教育と政治
イタリア労働者の学習権と文化の民主的管理
イタリア初等教育教科書と対抗文化運動
イタリアの教育と教育学研究―インテグレーションの現在
あとがき 田辺 厚子
田辺敬子 年譜
田辺敬子さんに会ったのは1度だけです。「演劇と教育」の編集代表をしているときに、「実践記録を読む」という特集をしました。(1993年6月号)座談会にマリオ・ローディ『わたしたちの小さな世界の問題』の訳者の田辺さんを推薦したのが演出家で日大芸術学部教授の高山図南雄さんでした。私はすでにその本の書評も書いていて素晴らしい実践記録だと思っていたので大賛成でした。もう一人の出席者は副島功さんです。
2011年に田辺さんが亡くなられて追悼のための本が作られることになりました。彼女をよく知る人々による追悼文と遺稿集の合本です。私も執筆者に加えていただきました。
この本が貴重で、私が嬉しく思ったのは「田辺敬子論文集」が充実していることです。田辺さんは『イタリアの学校変革論』や『わたしたちの小さな世界の問題』など確実に後世に残る翻訳をされていますが、彼女の論考をまとめて読むことは今までできませんでした。
今回『レッジョ・エミリアと対話しながら』をいただいて、『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』の「レッジョ・エミリアの保育」を丁寧に読むことができました。
1994年にマラグッツィが亡くなって三年後の1997年に「レッジョ セミナー」に参加していて、カルラ・リナルデイの話を3回も聞いていたのです。
田辺さんは「レッジョ・エミリアの保育」はフレネ教育から影響を受け、改良を加えたイタリアのローディなどの教育協同運動が源流にあることを強調して書いています。リナルディの本の中では、デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキー、モンテッソーリ、ブルーナー、そしてもちろんフレネなどの名前が挙げられています。このあたりの微妙なさじ加減も丁寧に読み比べてみると興味をそそられることです。
今後とも2冊の本と「対話しながら」読んでいこうと思っています。
まずはどのような本なのか、ミネルヴァ書房のHPを覗いてみましょう。
●『レッジョ・エミリアと対話しながら-知の紡ぎ手たちの町と学校』カルラ・リナルデイ著、里見実訳、ミネルヴァ書房364頁、2019年9月
〔オビ〕
世界を魅了し続けるレッジョの幼児教育の本質とは!
レッジョの教育理念を伝え、世界の多くの言語に翻訳されている名著。待望の邦訳、ついに刊行。
〔トビラ〕
世界各地の幼児教育に影響を与え、私たちの心を捉え続けているレッジョ・エミリア。なぜ人はレッジョの幼児教育に魅了されるのか。本書は、レッジョ・チルドレンの代表として、またペダゴジスタとして、長年にわたってこの町の教育実践を支え続けてきたカルラ・リナルディの折々の語りを、時間を追って編集した講演と座談の記録。レッジョの幼児教育の根底に流れるモチーフとは何なのか、その真髄を伝える証言である。
[原著]
Rinaldi, C(.2006).In Dialogue with Reggio Emilia, Routledge(英語版)
Rinaldi, C(.2009).In dialogo con Reggio Emilia, Reggio Children(イタリア語版)
[目次]
はじめに――レッジョ・エミリアと対話しながら
訳者はしがき
訳語について
凡例
序章 われらにとってのレッジョ・エミリア(グニラ・ダールベリピーター・モス)
第1章 子どもたちの傍らで―現場で形づくられる教師たちの知
第2章 コミュニケーションとしての参加
第3章 保育園に学習プログラムは必要か?
第4章 教職者の資質更新
第5章 マラグッツィと教師たち
第6章 ドキュメンテーションと評価――この両者の間にはどのような関係があるのか?
第7章 対話を重ねて
第8章 子ども期の空間的環境
第9章 教育に今問われているもの
第10章 ドキュメンテーションと探求の文化
第11章 乳幼児保育園と幼児学校の連続性
第12章 創造性――思考の質として
第13章 探求者としての教師――学校のなかで人が育つということ
第14章 境界を越える――ローリス・マラグッツィとレッジョ・エミリアの教育の歩みを振り返る
第15章 共に食卓を囲むひとときから――学校の文化が生まれる
第16章 現代都市における教育とグローバリゼーション
第17章 教育におけるシティズンシップの訓練
補章1 教育的プロジェクトの構築――ガンディーニとカミンスキーによるインタビュー
補章2 組織と方法と――ボルギとの対談:レッジョの歩みを語る
補章3 カルラ・リナルディとの対話のなかで――ダールベリモスとの鼎談
おわりに
訳者あとがき
引用・参考文献
里見さんは、私の師匠の1人である村田栄一さんの著書にたびたび登場されていて、新卒時からこちらが一方的に慕い尊敬していた方です。お二人の往復書簡を本にした『もう一つの学校に向けて』(筑摩書房、1986年)などはすぐに手に取れる書棚に今もあります。
1998年に埼玉・自由の森学園を主会場に開かれたフレネ教育者国際会議(リーデフ98)の実行委員長は村田さんで、実行委員会は渋谷の國學院大學の里見研究室で開かれました。里見さんは雑誌『ひと』(太郎次郎社)の編集代表をされていたときがあって、光栄にもある喫茶店で私に原稿依頼してくれたこともありました。(拙著『いちねんせい-ドラマの教室』晩成書房、2005年、所収)
『レッジョ・エミリアと対話しながら』に話を戻しましょう。
読み進めるにしたがってすぐに、これはとんでもない労作だということに気づきました。著者のカルラ・リナルディはイタリアの方ですが、なぜか英語版が先に出版され、イタリア語版はその三年後に出版されるのです。そして両者は微妙に内容が異なっているというのです。訳者の里見さんはその両方を融合した形で翻訳を成し遂げました。だからこれだけの大部な本になったというのです。英語とイタリア語を縦横無尽に駆使するというのはすごいことです。さらにびっくりさせられるのは、同じ原語でも文脈に合わせて訳語を変えているというのです。どれだけの苦労を重ねられたことでしょう。
こうして世界で唯一の『レッジョ・エミリアと対話しながら』が完成したわけです。
この訳書は著者の執筆原稿、講演記録、対談、鼎談などが時系列的に並べられているので、頭からかじっていっても良いのですが、私は自分の興味関心に沿って読み進めることにしました。
ローリス・マラグッツィ(村田さんもセレスタン・フレネもそうですが、元は小学校教師だったというのが興味深いことです)はレッジョの幼児教育の骨格を形作った思想家であり実践者ですが、どのような人となりだったのか、それが分かる章を拾って読んでいきました。さらに、ローリス・マラグッツィや著者が影響を受けた教育思想や教育運動はなんだったのか、それらについても、注意深く読み進めると興味深い事実が発見できました。
さてここでもう1冊本を紹介しておきます。日本でレッジョの幼児教育に最も早くから注目して、研究していた一人、田辺敬子さんの『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』です。レッジョの幼児教育の記録『子どもたちの100の言葉』の日本における最初の紹介者です。
『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』を再読して、『レッジョ・エミリアと対話しながら』の重みがさらに加わりました。
■『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』副題=イタリアの教育研究から見えたもの、田辺厚子・青栁啓子編、社会評論社、303頁、2014年
子どもたちから学ぶローディの授業に参加して、協同と自由の価値の実現をめざすその教育運動の実践と思想を学び、自己の教育理論を形成した。教育の国家による統制が進行している今日の日本において、「田辺敬子の仕事」は、この閉塞した時代の明日を切り開く道標となるであろう。
【目次】
はじめに 青栁啓子
第Ⅰ部 田辺敬子を偲んで
詩「でも、一〇〇はある」 ローリス・マラグッツィ
『子どもたちの一〇〇の言葉』から見た レッジョ・エミリアの幼児教育について 辻 昌宏
イタリア教育研究者の立場から見た田辺敬子の業績について 早田 由美子
ケイコとの想い出 マリオ・ローディ
マリオ・ローディ『わたしたちの小さな世界の問題』の衝撃―反ランキングの思想と演劇教育的な展開 福田 三津夫
田辺敬子氏とA&B 出田 恵子
田辺先生の思い出と教え 佐藤 朝代
ジェンダーに関する田辺敬子の業績について―田辺先生との不思議なご縁 牛島 光恵
辺先生が示した道 青栁 啓子
第Ⅱ部 田辺敬子論文集
1―レッジョ・エミリアの保育
子どもの楽園を見つけた―レッジョ・エミリア市の幼児教育
レッジョ・エミリア市の保育―レッジョ セミナーに参加して
2―ローディの方法
マリオ・ローディの一日――その教育実践の神秘
サルデーニャヘの旅――MCEの教師たちを訪ねて
3―人権と教育
ドン・ミラーニの業績と社会背景――『イタリアの学校変革論』訳者解説
イタリアの人権教育
4―教育と政治
イタリア労働者の学習権と文化の民主的管理
イタリア初等教育教科書と対抗文化運動
イタリアの教育と教育学研究―インテグレーションの現在
あとがき 田辺 厚子
田辺敬子 年譜
田辺敬子さんに会ったのは1度だけです。「演劇と教育」の編集代表をしているときに、「実践記録を読む」という特集をしました。(1993年6月号)座談会にマリオ・ローディ『わたしたちの小さな世界の問題』の訳者の田辺さんを推薦したのが演出家で日大芸術学部教授の高山図南雄さんでした。私はすでにその本の書評も書いていて素晴らしい実践記録だと思っていたので大賛成でした。もう一人の出席者は副島功さんです。
2011年に田辺さんが亡くなられて追悼のための本が作られることになりました。彼女をよく知る人々による追悼文と遺稿集の合本です。私も執筆者に加えていただきました。
この本が貴重で、私が嬉しく思ったのは「田辺敬子論文集」が充実していることです。田辺さんは『イタリアの学校変革論』や『わたしたちの小さな世界の問題』など確実に後世に残る翻訳をされていますが、彼女の論考をまとめて読むことは今までできませんでした。
今回『レッジョ・エミリアと対話しながら』をいただいて、『田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち』の「レッジョ・エミリアの保育」を丁寧に読むことができました。
1994年にマラグッツィが亡くなって三年後の1997年に「レッジョ セミナー」に参加していて、カルラ・リナルデイの話を3回も聞いていたのです。
田辺さんは「レッジョ・エミリアの保育」はフレネ教育から影響を受け、改良を加えたイタリアのローディなどの教育協同運動が源流にあることを強調して書いています。リナルディの本の中では、デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキー、モンテッソーリ、ブルーナー、そしてもちろんフレネなどの名前が挙げられています。このあたりの微妙なさじ加減も丁寧に読み比べてみると興味をそそられることです。
今後とも2冊の本と「対話しながら」読んでいこうと思っています。