『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』という本が出版されているのを妻に教えてもらいました。早速取り寄せて読んだらこれが面白いのなんのって、絶対に外れない本です。
この文庫本は、2011年に講談社から刊行された『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』を加筆修正したもので、今年の4月に初版発行されたばかりでした。
そもそも何で妻がこの本を知ったのでしょうか。
それは昨年の秋、妻の写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」(東京・江古田、ギャラリー古籐)を開催したときのことでした。日本で初めてのリーメンシュナイダーの写真展ということもあって、15日間で500人を越える来館者は想定外の大盛況でした。(ブログ参照)
その写真展に来ていただいたお1人にUさんがいらっしゃいました。長年ご夫婦でドイツに暮らされ、ドイツそのものにもリーメンシュナイダーにもとても詳しい方でした。彼女のお知り合いが現在ドイツ在住で、作家をされている六草いちかさんです。この時まで我々は六草さんのことは存じ上げませんでした。
Uさん曰く、六草さんは連れ合いの福田緑と共通点があるというのです。どういうことなのか、その理由を知りたくて読んだ本が『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』でした。森鴎外の処女作『舞姫』に登場するエリスは誰なのか、その謎解きが面白くて、あっというまに読んでしまったのです。妻は間髪入れず手に取りました。
なるほど、六草いちかさんと妻の共通点が明確にあるのでした。
まずはドイツが舞台ということ、妻は中世ドイツの彫刻家リーメンシュナイダーの追いかけ人になって20年、リーメンシュナイダー本人や工房、弟子たち、リーメンシュナイダー派の作品まで、カタログやネットで調べ尽くしました。そして、十数回ドイツに渡り、徹底的に執拗にその作品群を足で歩いてカメラに収めました。現在はそれをほぼ見終わり、さらに同時代の作家の作品を私と訪ね回っています。本邦初のリーメンシュナイダーの写真集『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版し、この秋には4冊目の『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を刊行予定です。(いずれも、丸善プラネット発行)
一方、六草さんは88年よりベルリンに在住し、ドイツ人のお連れ合いとお子さんが3人いらっしゃるそうです。「2000年より雑誌やガイドブック、専門誌等にドイツの観光情報やライフスタイル、映画関連の記事を執筆。07年よりベルリンの歴史や日独交流史を学びノンフィクション分野に。」(ソデ)とあります。当然、ドイツ語には堪能で、地の利を活かしたご著書になっていました。
こんな「案内」が本に書かれています。
■〔裏表紙〕
「エリスにたどり着くまでの道のりは、蜘蛛の糸をたぐり寄せるような、心許ない作業のくり返しだった。
夏のある日の夕方、それは一丁の拳銃から始まった」
予期せぬことがきっかけでスタートした「舞姫」エリスのモデル探し。日本文学史上最大の謎・エリスの真実が130年の時を超え、いま明らかになる。謎解き「舞姫」、待望の文庫化。
◎文庫解説=山崎一穎(跡見学園女子大学名誉教授)
六草さんのエリス探しの執念は凄まじく、目を見張ります。目次に書かれただけでも、乗船名簿、住所帳等を調べるために公文書館、市立博物館、教会、プロシア王室古文書館等に何回も足を運んでいます。ベルリンの南西地区にお住まいで、市中央までは車で1時間の距離といいますが、調査にどれだけの根気がいったことでしょう。その原動力は、エリスのモデルが娼婦であるという通説の汚名を晴らすことにあったようです。そして、研究者が誰も成し遂げられなかったエリスの実像を艱難辛苦の末に突き止めるのです。まさに偉業です。
私が『舞姫』を最初に読んだのは1965年頃、高校の国語教科書でした。筑摩書房だったような気がします。本文は結構長いので、もちろんその1部だったでしょうが。若い女の先生(都立大泉高校。たぶん新卒、あだ名は髪型からして「鉄兜」でした。)が熱を入れて授業してくれたのを思い出します。六草さんの本を読んだ後、50年ぶりぐらいに再読、完読しました。作品のそのものの評価、鴎外の生き方など、親しい人と語り合いたくなりました。読書会がしたいくらいです。その切っ掛けを作ってくださった六草さんに感謝です。
前回のベルリン行きで見送った「森鴎外記念館」(鴎外の第一の下宿近く)に次回は必ず足を運ぼうと思うのです。
*六草さんのたどり着いた内容についてはネタバレのおそれがあるので控えておきます。
この文庫本は、2011年に講談社から刊行された『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』を加筆修正したもので、今年の4月に初版発行されたばかりでした。
そもそも何で妻がこの本を知ったのでしょうか。
それは昨年の秋、妻の写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」(東京・江古田、ギャラリー古籐)を開催したときのことでした。日本で初めてのリーメンシュナイダーの写真展ということもあって、15日間で500人を越える来館者は想定外の大盛況でした。(ブログ参照)
その写真展に来ていただいたお1人にUさんがいらっしゃいました。長年ご夫婦でドイツに暮らされ、ドイツそのものにもリーメンシュナイダーにもとても詳しい方でした。彼女のお知り合いが現在ドイツ在住で、作家をされている六草いちかさんです。この時まで我々は六草さんのことは存じ上げませんでした。
Uさん曰く、六草さんは連れ合いの福田緑と共通点があるというのです。どういうことなのか、その理由を知りたくて読んだ本が『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』でした。森鴎外の処女作『舞姫』に登場するエリスは誰なのか、その謎解きが面白くて、あっというまに読んでしまったのです。妻は間髪入れず手に取りました。
なるほど、六草いちかさんと妻の共通点が明確にあるのでした。
まずはドイツが舞台ということ、妻は中世ドイツの彫刻家リーメンシュナイダーの追いかけ人になって20年、リーメンシュナイダー本人や工房、弟子たち、リーメンシュナイダー派の作品まで、カタログやネットで調べ尽くしました。そして、十数回ドイツに渡り、徹底的に執拗にその作品群を足で歩いてカメラに収めました。現在はそれをほぼ見終わり、さらに同時代の作家の作品を私と訪ね回っています。本邦初のリーメンシュナイダーの写真集『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版し、この秋には4冊目の『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を刊行予定です。(いずれも、丸善プラネット発行)
一方、六草さんは88年よりベルリンに在住し、ドイツ人のお連れ合いとお子さんが3人いらっしゃるそうです。「2000年より雑誌やガイドブック、専門誌等にドイツの観光情報やライフスタイル、映画関連の記事を執筆。07年よりベルリンの歴史や日独交流史を学びノンフィクション分野に。」(ソデ)とあります。当然、ドイツ語には堪能で、地の利を活かしたご著書になっていました。
こんな「案内」が本に書かれています。
■〔裏表紙〕
「エリスにたどり着くまでの道のりは、蜘蛛の糸をたぐり寄せるような、心許ない作業のくり返しだった。
夏のある日の夕方、それは一丁の拳銃から始まった」
予期せぬことがきっかけでスタートした「舞姫」エリスのモデル探し。日本文学史上最大の謎・エリスの真実が130年の時を超え、いま明らかになる。謎解き「舞姫」、待望の文庫化。
◎文庫解説=山崎一穎(跡見学園女子大学名誉教授)
六草さんのエリス探しの執念は凄まじく、目を見張ります。目次に書かれただけでも、乗船名簿、住所帳等を調べるために公文書館、市立博物館、教会、プロシア王室古文書館等に何回も足を運んでいます。ベルリンの南西地区にお住まいで、市中央までは車で1時間の距離といいますが、調査にどれだけの根気がいったことでしょう。その原動力は、エリスのモデルが娼婦であるという通説の汚名を晴らすことにあったようです。そして、研究者が誰も成し遂げられなかったエリスの実像を艱難辛苦の末に突き止めるのです。まさに偉業です。
私が『舞姫』を最初に読んだのは1965年頃、高校の国語教科書でした。筑摩書房だったような気がします。本文は結構長いので、もちろんその1部だったでしょうが。若い女の先生(都立大泉高校。たぶん新卒、あだ名は髪型からして「鉄兜」でした。)が熱を入れて授業してくれたのを思い出します。六草さんの本を読んだ後、50年ぶりぐらいに再読、完読しました。作品のそのものの評価、鴎外の生き方など、親しい人と語り合いたくなりました。読書会がしたいくらいです。その切っ掛けを作ってくださった六草さんに感謝です。
前回のベルリン行きで見送った「森鴎外記念館」(鴎外の第一の下宿近く)に次回は必ず足を運ぼうと思うのです。
*六草さんのたどり着いた内容についてはネタバレのおそれがあるので控えておきます。