瀧沢敬三さんの労作『西方見聞録1-4』は本ブログで紹介したことがあります。1964年、最初の東京オリンピックの年に、早稲田大学ドイツ研究会の仲間3人と共に、西ドイツ1周旅行を4か月半かけて敢行した記録です。実に贅沢な造りの自費出版本でした。
そもそも瀧沢さんと連れ合い福田緑との出会いは、日本自費出版文化賞の授賞式のことでした。『西方見聞録1-4』と緑の写真集『祈りの彫刻』が共に受賞し、偶然にも隣り合わせたということで交流が始まったのです。
その後、瀧沢さんは緑の写真展にも来ていただきました。
先日こんな葉書をいただきました。それは、瀧沢さんのご祖父の業績を掘り起こし纏め上げた本の案内でした。興味をそそられて早速本を購入しました。
ご祖父の瀧沢益作氏はアマチュア考古資料研究家としても著名だったようです。「ある時は野荒らし扱いされ、また狂人扱いされ」ながら、蜜柑箱20箱に及ぶ膨大な考古学資料を採集しました。その貴重な「瀧沢コレクション」を名だたる専門家が調査研究したというのです。
益作氏のもうひとつの顔は、、俳人としてのそれでした。著者は実に丁寧にその足跡を辿っています。
さらに、この本の凄いところは、数十年にわたってご祖父の生涯を緻密に辿っていることです。様々な角度から光を当てて書籍を発行しています。今回はそれらを集約して1冊に編み上げていきました。
『復刻 諏訪考古学 第5号-滝沢コレクション集成』1975年
『明治大正諏訪俳句史抄-滝沢八界坊を中心として』1977年
『破片堂人研究』1985年
『ひとすじの道-追悼 瀧沢誠一郎』2000年
『草の根 ファミリーヒストリー』2023年
あとがきの次のことばが心にすとんと落ちました。清瀬の写真展での再会が楽しみです。
「記憶」は、「記録」しなければ、「歴史」としては残らない。歴史は、決してその時の権力者や一部の人たちによってのみつくられてきたのではない。生活に根差した草の根の、名もない多くの人たち(民衆)によって支えられてきていることを、この書を纏めてみて、改めて実感したのであった。(188頁)
*以上のブログを緑が瀧沢さんに送ったところ、瀧沢さんから丁寧なお礼のメールが届きました。このブログをとても喜んでくれたようです。そして、この本が紹介された新聞(信濃毎日新聞の「諏訪版」)をメールで送ってくれました。