南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆紙一重

2012-06-02 22:11:03 | 試練

1234 09:00出発でチカランへ向かったが、着かれていたのか、バンドン南の高速道路に差し掛かったころ睡魔がやってきた。何回か、はっとして、キュウブレーキを掛けたり、車線をまたいで走行してしまっていたりしていた。顔に水を掛けたり、メンソレタームをかいでみたりしたが、効果は無かったようだ。しばらく、居眠り運転をしてしまったが、途中でサービスエリアに入ることができた。どういう状態で車を駐車したのか覚えていない、多分そこまで、4時間以上運転してきて、途中ガソリンスタンドに寄ったことと、ウビを買ったときにちょっと車から降りただけだったから、13:30頃だったと思う。直ぐに眠ってしまって、目が覚めたのが、なんと、3時間後の16:30だった。目が覚めて、すぐ出発し。高速道路だけを走って家に着いたのが、18:00でした。ほぼ日没の時間でした。それから、なんだかんだ、片づけを終えて、20:00には、眠くなって寝てしまった。目が覚めてしまったのが、先ほど、02:30だった。

疲れていたようだ、自分では、そう思っていないが、今回の運転距離は往復の他の現地での移動を会わせて750Kmでした。ジャングルへ入ったり、海で泳いだり、小舟で何時間も移動したりで、疲れることばかりしていたが、私にとって、こんなことは普通のことで、疲れるから、大変だから。止めようと思ったことはない。

しかし、今回の行動は。今の私にとっては、無茶だったことを体が教えてくれたような気がする。

仲間と一緒に行動しているときには、それでも、何かあれば、彼らが助けてくれると思っているが、一人で、運転している往復時には誰も助けがいない。万が一の事故に遭遇した時のことを考えると、自分の疲れ具合に注意を払おうと思う。無茶をしているなと思う、レベルの判断基準を下げなければならないと思う。体は正直だと思う。無茶はするなと言っている。分かっている。パニック障害に掛りやすい人だということも分かっている。

とのかく、無事に家に到着して良かったと思いう。

 ラフレシアに会えなかったことが残念だったが、2日はウェーティングだったゴルフの予約ができたとレセプニストから連絡が入ったので、今朝のジャングル入りは断念した。

 途中の風景、田植えが終わったばかりの田んぼ。全部、手で植えます。

 疲労 居眠り運転 熟睡

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(^_-)-☆中途半端

2011-11-25 22:07:39 | 試練

1044 実質、今回日本での仕事は終わった。満足とは程遠い結果だった。約半月何をしたのでしょうか、意味のないこと、時間の無駄使い、欲求不満、糞づまり、そんな表現になってしまう二週間でした。金型修正の依頼はしたが、その修正が正しいかどうかは自信が無い。そして、その、トライをするのは、来月の20日過ぎになる。皆さんが黙って待っていてくれるとは思わない。
この状態のまま、インドネシアへ逃げる形になるが、インドネシアはインドネシアでやらなければならないことがあるし、私自身がやりたいこともある。どちらも中途半端になってしまいそうなので、この生活は契約一杯までで延長しないことも決めている。

帰りに太田化工へ寄ってインドネシアへ持って行くナイフを受け取った。このナイフは、インドネシアでは手に入らない。消耗品で、どうしても使わなければならないもので、インドネシアでは手に入らないものは、15年前から、日本で買ってインドネシアへもて行く、ナイフは鉄の材質の問題で、手に入らない。剪定鋏もやはり材質の問題だ。剪定ばさみを10丁買った。
  その折、焼津から大崩海岸を通った。先々週、富士山に降った9合目以上の雪は寝雪になると確信していたが、ほとんど消えかかっていた。昨日かなりの雪が積もり、薄らではあるが、5合目まで降りてきていた。その富士山です。大井川の橋の上からと、静岡石部からです。富士山、駿河湾用宗付近、静岡市街、日本平や久能山、その後ろに愛鷹山(アシタカヤマ)が見える。

“優しさを形にしました”PARAMOUNT BEDのコマーシャルの最終のセリフです。私はその手伝いをインドネシアで14年前からしています。病院のベッド、介護用ベッド、私自身は使いたくないが、パニック障害(その時は分からなかった)の時、入院したインドネシアの病院の全てのビップルームでパラマウントベッドのベッドに寝た。そしてそのベッドには私が作った部品が使われていた。でも、これからも、世話になりたくない。
不服 半端 未完

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(^_-)-☆台風接近、上陸、通過

2011-09-22 22:19:26 | 試練

 沖縄付近で迷走していた台風15号がようやく動き出したと思ったら、北東方向に加速し始めた。今年の日本は災害の当たり年か、ずいぶん、水にやられっぱなし。津波、大雨、液状化、日本沈没の前兆かもしれない。これに大地震加わって、大きな不安を与えている。放射能も地震と津波が原因で、とんでもない事になっている。

このニッポン、クライシスについて、どなたか、預言者は、何か言っていましたか。何にも言っていないとしたら、預言者の怠慢でしょう。例のノストダムス?の専門家は、今、どこで、何をしているのでしょうか。今年の日本の状態について、コメントを欲しいものです。昨年末、多くの預言者が、今年について予言したと思いますが、「ほら、私が警告したでしょう」と、云っている人はいないようですね。

 

 ということは、おいておき、今日から明日にかけて日本の中部の被害状況が明らかになるでしょうが、大きな被害が出ないことを願うのみです。

 

 奈良や和歌山の山中、土砂崩れによる土砂ダムによってできた大量の水たまり(ダム湖)がダムの高さを超えたという報道。溢れて、下流に流れ始めている。少しずつ土砂ダムが浸食されて、流れ出す水の量が増え出す、増えれば、浸食の早さも加速する。あるところまで浸食が進めば、一挙に土砂ダムが崩壊し、想像も出来ない勢いで大量の水と土砂が流れ出す。そうなれば、その下流のダムもその次のダムの崩壊も次々に起きて、最下流は甚大な被害を受けると予想される。勿論、避難はしているでしょうが、ただ、見守るしか方法は無い。大変気の毒な状態だが、誰もがどうしようもない。雨が大量に降るぞと予想するだけである。そして、何も起こらないことを願うだけです。

 浜松辺りに上陸したということは、会社からそう遠くない場所を午後三時ごろ通過したことになる。頑丈な建物の中にいたので、台風の猛威を感じることが無かった。静岡県は何度も台風が上陸しているが、全国的に記憶に生々しく残るような被害が出ないと静岡の人は思っている。しかし、狭い範囲では被害は何回か出ている。

 

 少しずつ、私のおもちゃの準備が進んでいる。10月末に整えられればいかなと、思う。待ち遠しい。教える若者は10月1日からテクノへ来るようだ。難しい原料の調査も依頼した。これは、原料メーカーができ無くてもよい。むしろできない方が良い。近い原料が有ればいい。不足分は私が何とかする。そうでなければ面白くない。有る原料を使って物を作っても、その原料で似たような製品を他人が作ることができる可能性がある。それでは製品ができるぞ、ということを示すだけで、独占商売にはならないから。

 会社からの帰り、大井川の上流と下流、木造の橋、富士見橋?の橋脚が幾つか無くなっている。下流の橋は一号線の橋。

 

 17:20頃会社を出て、家に向かったが、途中、風が強く、のろのろ運転するしかなかった。家に着いたのが、18:30を回っていた。途中各所で停電になっていたし、一号線の信号の50%は停電していた。幸い家は停電していなかったが、近所の屋根が家の庭に散乱したり、庭にうっそうとした木の葉がかなり落ちていたし、妻が明日掃除をするのだろうが、大変だと思う。孫たちは休校や休園だったようだが、かなり、興奮しながら、ああだったこうだったと私に一生懸命報告していた。

 

 台風 大荒れ 見守る

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(^_-)-☆いつか我が身にも

2011-09-15 17:57:21 | 試練

Tol Cipelaran?高速道路チカンペックからパダララン間の有料道路。約60kmでしょうか。この間谷に掛る橋が二か所ある。その他の谷は前後の山を削ってその土を谷に落として谷の深さを若干浅くし、山を若干低くした。トンネルは無し。バンドンへゆくとき、もっと先のタシク、ガルッ、チアミス、バンジャール、パンガンダラン、通り越してチラチャップやジョクジャカルタへ行くにもこの道を通る。私は何往復したか分からない。

できた当時にこんな高速道路を何故許可したのだろうか、疑問を書いたが、このレバラン休暇の時に大きな事故が頻発し、有名タレントが運転していて事故を起こし、新婚の妻を亡くした。

 明らかに、これが引き金になって、その高速道路の危険さが報道され始めた。急な登り下りの連続、カーブがきつい、舗装の状態が凸凹だし、アスファルトダッタリコンクリートだったりする。中央分離帯に出っ張った場所が何箇所もある。路肩が下がり過ぎているし、舗装されていない。日本では道路の状態に関する法律によって、こんな道路は許可されないと思う。インドネシアの法律は許しているらしい。どう考えても、無茶な道の設計だと思う。事実、登れないで、立ち往生しているトラックやバスは必ず見かける。それでなくても、のろのろ、喘ぎながら登っている車は多い。

道の事情とは別に、運転術が未熟なインドネシア人が多いので、チェンジの使い方に慣れていない、普通の乗用車でも、ちょっとした登りでも極端に速度が落ちる。追い越し車線でのろのろ運転になってしまう車が多い。なお、事故のもとになる。

 

 また、この区間は、山の中を走るので、風の吹き方が平地と違って、突風が多い。下りでスピードを出し過ぎて、横風にあおられ、中央分離帯の側面からブッツカル事故が多い。擦りキズ、事故の後のガラスの散乱がそのまま残されている。道のりずっと、である。回転ブラシを使った清掃車が掃除をしているところを見たことが無い。

 

 ハーグ条約(Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction)に批准に反対しよう。ハーグ条約はヨーロッパ、アメリカなど欧米諸が加盟している、「国際結婚してその土地に住んでいる夫婦のどちらかが自国へ子供を連れて逃げかえることを誘拐と断定し、強制的に元住んでいた場所に戻される」という条約です。私が、思うに、日本にとっては不平等条約だ。江戸時代終盤から明治時代初期の、治外法権と同じだと思う。こんな条約を無条件で批准するはずは無いと思うが、もし、批准されたら、日本国中のあちこちで大騒ぎになると思う。

 無断ですが、考えは同じだし、専門の方々の集まりですから、

http://hague-shincho.com/

このウェブサイトにアクセスしていただいて、どんな条約かを知っていただきたいと思います。

 一番怖いのは、ハーグ条約を承知の上で、配偶者に辛く当たっても、立証できないので、国外へ逃げても、子供だけは取り戻せると確信犯的DVをすることです。

 事故が多発している中央分離壁。有名タレントが事故を起こしたジャカルタから97km地点、左カーブで緩やかな下り坂、知らぬ間にスピードが上がってしまう。横風も強く、ハンドルを取られた。

舗装の幅が狭く、大型とすれ違うときには、どちらかの左タイヤをアスファルトからはみ出し、土の道を走ることになる。大型同士の場合は、両方とも大きく左に傾いてはすることになる。インドネシアの田舎の舗装は殆ど、この狭い幅にしてある。危険を承知だろうが、何か、理由があるのでしょうか。

最低 危険 理不尽

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(^_-)-☆試練が通り過ぎた

2011-09-08 22:14:23 | 試練

 乗らなかった日本へのチケットはどうしたかって? 約十万円です。一か月以内の変更はできるが、それ以降には変更できないので、キャンセルするしかなかった。キャンセル料金は100US$です。約8千円、どうですか、それほどの損失ではないでしょう。修理費用にちょっと乗せただけと考えれば安いものです。

 

 パンガンダランからの帰り道で、バスが路肩で傾いている事故。ジャカルタ、JRガトゥットゥスブロトのスリーインワンの看板、その向こう500M位のところのムナラ ジャムソステックビルの17階のヌサンタラセコムインフォマティカへ行って、治ったというラップトップを受け取ってきた。昨日、私が帰った後、若手もテクニカルスタッフがいろいろ試し、解決したという。Command Promptからnetsh winsock resetしたら治ったとか、私にはわけがわからないので、それ以上の説明は求めなかった。直していただいたが、何故こうなってしまったのか、原因は分からないと思う。多分、フィールスが原因だろうと思うので、いつか機会を見て、全面的にバスターしてもらおうと思う。ダウンロードが遅い、多分、その原因も同じだと思う。

とにかく、ノルマルに戻ったことを確認して、ひそかに喜んだ。

 

 この48時間、その前の8日間の連続ゴルフの大変さや疲労や筋肉痛のことは忘れてしまったほど、夢中になって何とかしようと行動していた。今は落ち着いている。このまま、日本へ帰るまでに、持つことを期待する。

 

 メールを開けない間に沢山のメールが届いていたが、インドネシアから去る方からの挨拶が2通入っていた。お二人とも大変、懇意にしていただき、お世話になった方々なので、別れは惜しい。しかし、この世は、“人生是離別“です。メールでお互いに連絡し続けることができればいいがと、思う。

 また、日本へ帰ったばかりの若い人から、会社を辞めてしまった。現在、自分で仕事を始めようと、動き始めたところだ、というものもあった。日本の会社へ戻って、インドネシアでの仕事のように任せてもらうことができない、環境に嫌気をさして、止めてしまう、若者は多い。自由度が全く違うのでしょう。

 私が申請していた、装置や金型の購入許可が下りたので、発注OKです。というのも入っていた。こちらへ持ってきたい、装置については、どうにもならないらしい。予ねての考えを実行することにし、今後の1か月、日本にいる間に、段取りをしてしまいたいと思う。びた一文出せないと言っていたにもかかわらず約120万円のOKが出ただけでも満足しなければならない。残りの300万円弱は、私が何とかしようと思う。

 

 装置や金型の日本への輸出の話は他にも有って、その仲介役をすることにもなりそう。1銭にもならないが、頑張ろうとしている日本の若者のために、一肌、脱ごうと思う。会社の19才の若者には私の技術を教え、彼が引き継ぐ一人になれば、40年以上は私の技術が生き続けるし、それが、基礎になり続けるだろうことを考えると、やはり、金銭の問題ではなく、自己満足の世界だと思う。

 

 満足 奉仕 試練

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(^_-)-☆コンピューター故障

2011-09-07 14:58:00 | 試練

目覚ましのセットもすること無く、22:00~05:30まで、ゆっくり眠った。

写真のこと、写真をとること、写真を紹介すること、それらは私の趣味ではないし、特技でもない。ブログに貼るためと、他人にちょっと褒められて、おだてられて、カメラを持ち歩いていて、ちょっと良いなと思った時、いつでも写真を取れる状態にしている。綺麗なもの、美しいもの、ちょっと変わっているな、あまり、一般的には見ることが無いな、ト、感じる物にはカメラを向けます。趣味と言えば、綺麗なもの、変わったものを、探すことでしょうか。

すでに、膨大(私にとっては)な数の写真をもっています。その中には、その道の専門家が、羨むような、ぜひその場に行って自分の目で確認したいと思うような写真も少なく、なくないと思う。

一番好きな花はバリ島最南端にあるPura Luhur Uluwatuウルワトゥ寺院の右側、断崖の上を歩いて200mほど行ったところに咲いている。白っぽい薄紫の花に産毛のようなものがある。この場所でしか会ったことが無い。

  ブンガバンカイ(動物の死骸のようなにおいがする花という意味です)その一種のラフレシア ファトゥマは大好きな花だが、花とは言えないような気がする。

 

 一番好きな食べ物は?ドリアンです。いい勝負が、チンベダックです。どちらも、臭い、刺激臭で車の中で一緒だと、臭いのは慣れてくれば大丈夫だが、目に来る。涙が出てくる。窓を閉めたまま、走り続けることはできない。でも、食べれば、何とも言えない美味しさです。ただし、食べるタイミングが難しい。ベチャベチャに腐ってしまうちょっと前が最高です。臭いが一番きつい時です。

 一番好きな風景は?ブリトゥンの海岸です。

ネットに接続できなくなってしまった。困った。どうしようもない。

 夜明けとともにゴルフ

困惑 疲労 不可解

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(^_-)-☆禁欲の一か月

2011-08-18 22:40:59 | 試練

朝は寒いくらいである。07:00前にティーオフでスタート。かなりの涼しさで。快適にプレーができた。雨は降らないが、プレー中、太陽を見ることは無かった。10:45には終了。ペースとしては大体そんなものです。昼食はリッポチカランまで行って日本食を食べた。日本人と一緒の時だけである、日本食レストランを使うのは。

ところで、プアサも二週間、半月過ぎた。プアサ破りも増加していて、キャディーの約三分の一は既にブカプアサのようだし、昨日使ったタクシードライバーもプアサをしていなかった。私のバゲジを無理やりひったくってタクシー乗り場まで持ってきた怪しいポーターもプアサをしていないと言っていた。そんなものです。その彼ら、今回のナザルディンという男の収賄について、とんでもない奴だと、怒っていたのが面白い。

一方、リッポチカランのカラオケやマッサージの店が営業自粛で閉店、レバランが終わるまでです。毎年のことで、そこで働く女性は、その間仕事が無い。約、一か月は収入の道が閉ざされてしまう。それと、カラオケやマッサージ通いが好きな男性はどうするかと言うと、営業をしている場所へ移動する人と、この一か月、休養する人に分かれます。

営業時間は短くするが、この辺りではチカランバルにある何軒かのカラオケはやっているし、ジャカルタブロックMはネオン自主と営業時間一時間遅れの一時間早めに終了でやっている。アルコールについても、ホテル内以外では、自粛ムードになるが、その点は、皆さん、気を使いながら、ほとんど通常通りに飲めるように工夫?をしている。

スーパーのアルコールの棚を無くすか、狭くしている。

ゴルフ場の受付やウウェートレスのミニスカートはジーパンに変わっている。

プアサ期間中は、ポーズとして真面目なイスラム教徒に気を使うのです。万が一、彼らに目を付けられると、営業に支障をきたす恐れがあるからです。この期間中は長いものには巻かれろ、の気持ちでしょう。

心の芯から、そうしようと思っているのではなく、国全体がイスラムに気を使っているとしか見えないのは私だけではないと思う。

 

熱中症防止の為でしょうか、グリーンに大きな営業用の扇風機が仕掛けれていた。この風がパットに大きく影響をする。しかし、一日置きくらいに救急車を呼んでいるというゴルフ場にとっては必要なことだと思う。

家の近所の花火会。

禁欲 禁酒 自粛

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(^_-)-☆余計なことで右往左往

2011-07-26 23:42:44 | 試練

私のインドネシアのHPがクローズされてしまった。23日の夕方でした。原因は料金の不払いと思い込んだ。と、思うには理由があった。4月頃から、テルコムセルのコンピューターが私に非常に不利になる故障をし始めた。請求金額が異常に多くなった。理由は、パケットでネットの契約をしているのだが、パケットでなく一分間ずつ使う、一番高い料金の二倍の請求が来てしまっていた。例えば、40時間に二千円の契約をしてそれの時間を消化してゆく、一回ずつの接続が終わる度に、SMSで、「あなたは何分使いました。残りは、何時間何分です。契約は何月何日までです。」とはいる。

それが、変になったとは、同じSMSが二回入るようになった時からでした。それは、今も続いている。

ということで、接続していれば、パケットの残り時間は着実に少なくなる。それはいいのだが、請求書によると、パケットを5分使うと一分間3.5円を5回使ったことになっている上に、SMSが二回はいいている分それを二回、使ったことになり、5×2×3.5=35円の請求になってくる。四十時間使ったとすると、契約の二千円だけ払えば良いはずが、40×60×2×3.5=16800円になる。6月(5月使用分)は、40時間(二千円)と24時間(千円)のパケットを使ったので64×60×2×3.5=26880に3000円を足し、いたん通話と基本料気を合計で、三万二千円ほどの請求が来て、切られては困るので一応支払った。

その後、すぐに、テルコムセルにクレームを付けた。間違いは5月(4月使用分)に支払った分からなので、過払いは四万円くらいになっていた。クレームを付けた後の7月請求も異常に高いままだったので、先方に連絡して、自分が使った分だけ計算して、今まで余計に払った分が消えまで、払わないと宣言し、担当者の了解を得た。担当者も、人間の能力ではそんなに激しく長時間に渡ってネットに繋げ一分で切り、また何秒を掛らない後にまた接続するそれを何十時間も続けるなどはできない事を承知している。だから、7月(6月使用分)は払っていない。

そして、HPがノーネットワークの表示になってしまったので、やられた、切られてしまった、と思ったのです。

テルコムセルに今朝電話した。HPを切らないと、約束した担当者と話した。実は約束通り、切られていなかった。チップが壊れてしまったのでしょう、新しいものと交換するしかないと言われた。さあどうする。急いで新しいチップを手に入れなければならない。私に連絡したい人に迷惑を掛けてしまう。ジャカルタの本店なら、番号を変えないでチップを作って渡せる、しかし、届ける人がいないので明日か明後日になってしまう。それも何時と指定はできないという。待っていられない。受け取りに行くしかない。10:00に会社から出て13:00にテルコムセルについてチップを受け取り、14:00にアクティブになった。電話番号も替えなくて済んだ。やれやれである。自分で車を運転しているから出来る技でした。その後、どうしちゃったのと、何人からも云われてしまった。それでも、不通になったのが土日だったのでちょっと助かった。とても、二日間など待てるわけがない。

 

こういう状態になったのは私だけでしょうか。そうだとしたら宝くじに当たるより稀な事態なのでしょうか。行動力を試されたような事態でした。それにしても、私担当のコンピューターの故障いつ正常にもどるのでしょうか。

請求書通りに支払わなくても切りませんというのも、その担当者、どんな権限があるのでしょうか。不思議な融通の効かせようですね。

 

レバラン前の帰省(ムディック)時期の数少ない列車の乗車券は既に完売である。道路の修理も急ピッチで行われている。特にスマトラ南部の国道の状態が悪いようで、その、修理は間に合わないことは確実だと、ニュースで流されている。

 

ジャカルタ モバイルホーン チップ 

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(^_-)-☆大変な社長さんが

2011-06-09 23:19:46 | 試練

 多くの部門があるのでそれぞれの専門家らしき大勢の日本人が駐在し、大勢の日本人が次つぎと応援?と言って出張で来る。来客も大変多い。その地位、仕事の内容、目的は多岐にわたる。順調とは言えないが、紆余曲折あって、現在に至っている。リッポチカランのヒュンダイ工業団地に二年前に進出した、プレスを主体にある程度のアセンブリや塗装などもする。その会社の社長さん、大変だと思う。本社のワンマン社長から、応援を頼まれたが、この会社を訪問した時に、現地採用に日本人スタッフの質の低さき、社長さん、こんなスタッフを日本の社長から押し付けれ、こりゃ大変だ、と思いつつ、手伝いを断ったが、社長さんとは、リッピチカランでよく食事をご一緒する機会がある。

 突然の状況変化もある。例えば、新たに進出してくるかなり大規模な会社がある。某プリンター屋さんのサプライヤーとして、である。日本の会社同士の打合せで、保税会社(EPTE)にする部門とそうでない部門(NONEPTE)を作り、この会社からの部品はEPTE部門で購入する。という決定が有った。その指図のもとに、現地工場も両システムに分けた。それも、申請して一年半かかってやっと、エプテ、ノンエプテ部門の操業開始許可が下りた。そして、打ち通りにEPTE工場に二億円という製造設備の設置を始めた。ところが、どうでしょう。その客先に考えが変わってしまった。というのも、その製品、インドネシアのノンエプテの会社に売るのですから、エプテではそれが出来ない。だから、エプテではない工場(ノンエプテ)の部門に納入してもらうと、日本での決定を覆した。現地工場としては覆すのは当然である。

 原因は、両方の日本の会社がエプテのシステムの内容を知らないので、知らない同士が、無税で装置を購入し、製品を売ることが出来るといううま味だけにとらわれて、条件について、全く、調べようとしなかったのです。ちょっとだけ、どちらかの、誰かが、現地のエプテの会社の人か、進出した工業団地の日本人職員に聞けばよかったのに、思い込みだけで何もしないまま、喜んで決定してしまった。その、決定会議か打合せか知らないが、事情を知らない人だけでシャンシャンとやったのでしょう。その場を想像すると、・・・です。感想を書けない。

 現地へ進出して初めて、客先は、これはまずいと知った。その会社の現地も客先の売り先がノンエプテなのにエプテ部門で組み立てをするのは変だと感づいていた。しかし、いまさら、決定は覆さないだろうと考え、現地同士の確認をしないまま、本社の指示通りにエプテ工場に、そのために大型クレーンや給水排水機構や機械装置の電気やエアーの工事もし、無税で機械を輸入し、設置をし始めた。装置の50%以上が入って、日本で作った金型も無税で入れてトライも始まった。来年初め初納入が始まるというスケジュールに依って、順調に推移していた。

 ところが、突然、ノンエプテの工場で生産をしなければならない羽目になってしまった。

社長さん、全く知らない場所で、決定が有って、その通りに担当者が進めていたのに、装置の移動先の環境を整えるためにノンエプテ工場のレイアウトの変更と新たな工事が加わって、何千万円の臨時支出をしなければならなくなったうえに、機械や金型の移動の手続きをベアチュカイとしなければならなくなった。どちらの期間もはっきり客先に云えないでいる。準備がいつ終わって、試作の始まりがいつになるという話が出来ない状態になっている。

 

西海岸の北半分、日曜日と月曜日の朝8時ごろ

 

愚痴 ストレス 気持ち

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(^_-)-☆自分の世界

2011-04-25 23:43:41 | 試練

流石に三連休、毎日ゴルフでは疲労困憊、旅行へ行き損ねたからしょうがない。仲間の数人は同じように三日間一緒だった。彼らは、旅行をしないので、いつもの事らしいが、三日目ともなれば、かなり、皆さん、いい加減なゴルフになっていた。ゴルフ場は空いていて、06:30スタートで早い日は10:00ちょっと過ぎに、遅い日でも、10:30には終わっていた。

 

 私が、任せた部門の話です。半年ほど、使わない原料があって、不良在庫と認定して、トップの許可を得て、廃棄処分にした。なぜ、長期在庫になっているのか理由があるはずです。しかし、原因を知ろうとしなかった。それも、本人が赴任してきて半年も過ぎているのに、ただ、その間、その原料が動かないという理由だけで、廃棄処分を申請したのです。それぞれの部門の詳しいことを知らない、トップはそういう申請があれば、許可をするのは当り前である。捨てたのは、ご本人の責任です。トップの責任ではない。

 

 もともと、その原料を使う仕事の話は沢山あって、その原料を使って試作をしていた。しかし、他の仕事の試作が忙しくて、その原料での試作から遠のいていた。また、引き継ぎで紹介した会社の中にその原料を使って試作をしていた会社もあった。しかし、ご本人、出来ないので、断ってしまっていた。というより、出来るも、出来ないも、返事をせずに知らん顔を決め込んでいたのです。

 

 ところが、捨ててから一ヶ月後、ご本人が返事をしなかった会社から、今までの試作はどうなっているか私に問合せがあった。ご本人に、聞いたら、返事をしていないという、これこれ、こういう原料を使う仕事だと話したら、捨ててしまったという。以前の図面やサンプルを無くしてしまった事件と同じように、今度が原料を捨ててしまった。

 

 この話にはオマケがあって、ご本人、曰く、「会社のトップに相談し、許可を得て捨てたのだから私の責任ではない」そして、私は出席していないが、朝の日本人10人くらいの全体ミーティングの場で、トップを指さして、社長の許可を得て捨ててしまった原料が必要になったので、購入申請を出しますと発言した、と、他の日本人から聞いた。社長さん、呆れかえって、怒る気もしなかったという。

そりゃそうだ、私は、インドネシアに来た1週間後には、トップにこの人の云うことは内容も場所も変だし、仕事は全くできないし、覚えようともしないので、早く、お引き取りねがった方がいいと提案してあった。いつまで、いるのでしょうか。

面白い人間が多いと、感心していては仕事を増やすことはできない。

 

インドネシアにも日本と同じように、こういう信仰は各地にある。

 

 邪魔 被害 お宅 

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(^_-)-☆普通の生活

2011-03-27 23:12:01 | 試練

 爺さんに徹しているが、孫の保育園の卒業式に顔を出してみた。実に笑ってしまいます。子供の卒業式と言うより親のための卒業式と言った方が良い。とにかく両親が出るのですから、子供の倍の人数、20人の子供に40人の親、保育士や理事、来賓、写真屋など見えるのは殆ど大人。式も一人一人呼び出して証書を与え、親に渡す。

 孫はほんの三カ月弱だけなのに、他の子は最長が6年、平均でも3年以上か。それでも、爺バカではなく、私の孫の態度は一番落ち着いていたし、歩き方、賞状の受け取り方、受け取ってターンの仕方、すべてが一番てきぱきしていた。そして、大人に見えた。

 小学校の入学予定は婿の我儘で、キャンセルせざるを得なくなったのが残念、経験をさせたかったのに。

 普通の生活が出来ない原因は日本の事情ではなく、婿のパニックとヒステリーである。私たちの家の災難は地震や津波でや放射能では無く、婿の横暴である。娘や孫たちが可哀そう。三人とも、ドイツへは帰りたくないと言っている。

 その婿殿、最後通牒だ、という題で、送ってきたメールが、私について、原発や化学について全く知識がないのに何故安全だと言えるのか、という内容だった。そして、NHKのニュースを見ているのか、NHKで水が飲めなくなっているし、野菜も食べられ楽なっていることを言っているぞ、知っているのか?というようなバカバカしい事を、いかにも俺は知っているぞ、という感じで書いてきた。全く、無知も、ここまで来ると、あきれるばかり、自分は、知識人だと思っている外国人がこうなのだから、かなりの外国人がパニックになっていることが分かる。

 その、どうしようもない婿にメールを返した。外国人の中には、ボランティアで被災地の復旧のために働いている人もいるのに、あなたは、ただ、怖がって、遠くから早く帰って来いとヒステリックに云っているだけで、悲しい人だ。そんなに子供のことが心配の父親なら、迎えに来るでしょう。あなたは、何故それが出来ないのか。これでは、単なる臆病ものと言われても仕方がないぞ。

 そして、ドイツ人が原発に対して、一番、ヒステリックになっている。福島の事故が良い例だと言って、廃止のデモをしていることも知っている。しかし、迎えにこないことや、早く帰らなければ、法的手段に訴える、などという脅かしをしてくることとは話が違う。親として、夫として失格と判断するしかない。

 メールで決裂する可能性が高い、そうなれば、私はドイツへ行くことは無くなるし、資金援助もしないこととするか。もし、援助するなら、彼女達が日本へ来た時だけになる。

この大震災が、婿の気が小さくて、横暴な性格を明らかにしたことは、このことに限って良かったかもしれない。

 

 下の子の水泳教室、夜は娘と孫が保育園の卒業仲間の食事会、私が全部送り迎えをしている。上の子は水泳教室に通っている。ドイツへ帰れば、すべてが出来なくなる。

 

 横暴 ヒステリー 気の毒

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(^_-)-☆原発は落ち着いたか?

2011-03-20 21:41:44 | 試練

 ドイツから婿殿は4月中旬に日本へ来て、下旬に家族一緒にドイツへ帰ることになっていて、チケットも手配してある。予定通り迎え方々、西日本の旅行をすればいいのです。ところが、多分、もう、そのチケットはキャンセルしていると推測する。そんなに、脱出させたいのなら、予定を早めて、日本へ来て連れて帰るくらいのことをしたらいいと思う。 迎えに行こうなどという度胸は無いのでしょう。私は度胸などいらないと思うが。普通に帰国し、普通のスケジュールを消化し、普通にインドネシアへ戻ることになるでしょう。

 

 福島原発の事故、その後の経過を見ていると、なんとなく、落ち着いてきているような印象がある。放水部隊、通電回復部隊の方々の命がけに活動が実を結ぶことを祈っています。世界中が固唾をのんで注目している。神風が吹いて原発の上空で豪雨が降ってくれるといいですね。てな、気持ちにさせられます。

放水の効果が出ているという印象がある。まだ、予断は許さないでしょうから、なお一層の処置が必要でしょうが、少しは、安心要素が増えたような気がする。良い傾向に向かう予感場する。がんばれニッポン!!!

 今の日本は戦後最大の危機に直面したと思う。戦後の焼け野原から10年足らずで、焼け野原の面影がほぼ無くなり、17、8年後には新幹線を開業させ、オリンピックを招致した日本です。不謹慎だと思うが、当時は、朝鮮戦争による特需で日本の経済は急上昇した。それを今回は期待してはならないが、無きにしも有らず、でしょう。

其の当時のことを考えれば、神戸のその後と同じように、その半分の期間で震災前の状態に回復し、より、地震津波対策が進んだ状態になっているでしょう。原発も今回の経験を生かして、もし作るなら、M10の地震、と50mくらいの津波でもびくともしない構造に変わるでしょう。そして、私は、日本の高度成長時代を再び迎えるのではないかと予測します。戦後の時代からの繰り返しを予想します。そういう、明るい回復予測をして、希望を持ったらいいと思う。

 

今のインドネシアの最大の話題はBOM BUKUといって、厚い本をくり抜いて爆弾を仕掛けて、ジャカルタ市内をあちこちにばら撒いている。それを、処理する部隊が振り回わされいる。置かれている場所に一貫性がない。威力も至近距離でも殆ど怪我をしないくらいで、処理班は、町の道端で爆発処理をしている、見物人は20mくらいしか離れていない。

インドネシアのTVONEというニュース専門番組の画面です。

 回復 落着き 冷静

 

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(^_-)-☆脱出の説得拒否

2011-03-19 23:15:06 | 試練

ドイツの婿殿から娘や孫にドイツへ早く戻るように催促が有ったのは、原発事故が有った二日後だったそうだ。毎日、催促の電話が入っていたが、大丈夫だからと娘は拒否している。私にそのことで相談の電話が娘から入っているが、その都度、チェルノブイリのような事故になったとしても、静岡は安全だから、パニックになる必要はない。いと言ってある。ところが、ここ二三日婿殿から催促に電話が入らなくなったらしい。云っても効かないと思ったのでしょう。
そこで、昨日、彼から私に娘たちの帰国の催促と妻も一緒にドイツへ来るようにと、説得してくれとメールが入った。

 私自身は、全く賛成しないので、メールを無視している。21日には日本で彼女達に会えるのに、どうして、その前に脱出させなければならないのか。脱出させるなら、私が帰国してから、様子をもっと詳しく確認して、もし、させるなら、私が、彼女達の脱出の段取りをする。そんな事態にならないことを私は信じる。
 
 書いたが、どうみても、ドイツが世界で一番、日本の原発に対する対応に疑いを持っている。批判的である。これがドイツ人の一般的な考え方になってしまっているので、婿殿は、そのドイツ一般的な批判よりもっと痛烈に批判したがっているし、疑いを持っている。
そもそも、彼は日本人を見下しているところがある。私から見れば、ドイツ人のモラルは日本人より低いし、工夫も足りないと感じるのに、なぜ、彼は見下した態度を取るのでしょうか。ドイツ人と言うより彼の性格だと思う。理屈はこんこんと言うが、的が外れているし、強圧的でもある。ドイツが原発事故に対応する専門チームや放射能防護服を送るという話は無い。フランスやアメリカからは既に付いているか、明日には到着する。
 
また、彼や家族が日本へ行けるのも私からの全面的資金援助があるからで、ドイツやスイスへの家族旅行も、全額、私から出ている。それを当然と思っているふしがある。他の日本人と結婚した人も日本の親が資金を援助していると事もなげに言っている。

 この祭、書いておくが、孫たちは100%日本で暮らしたいと言いだすでしょう。どう見ても、父親として、小さい子供に理屈が多すぎるし、煙たい存在になることは間違いない。その上に、住環境です。ドイツの今の家は家自体が狭くて住みにくいし、フランクフルトの田舎という環境が、厳しい。回りに何もない。一年の大半が寒くて暗い。
 静岡のマリコ(丸子)とは住環境を比較しようもないほどなにもかも雲泥の差である。気候が全然違う。回りに色々あるので子供だけでかなり自由に行動できるし、中学、高校になればもっと、日本、静岡に住みたくなるだろうし、日本で勉強もしたくなるでしょう。そういうことを、分かっているのかどうか、分かっているから、それを恐れているのかもしれない。
 こんなかわいい孫が、じいちゃん!と言って飛びついてくるのです。帰してたまるかという気持ちである。

 孫 再会 帰国

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(^_-)-☆日本から脱出?

2011-03-16 20:25:34 | 試練

 インドネシアに長く住んでいる一人の日本人の考えです。福島原発の事故によって、日本中が放射能に侵されると深刻に心配してくれる人がいる。私は、よく分からないが、そこまで、深刻にはなれない。「日本へ帰るのか?危ないんじゃないの」という人がいる。とんでもない話で、こんなときだから帰国の中止をしたらみっともないと思う。デマは、こんな時禁物です。確実な情報を遅れることなく全世界に発信してほしいと思う。インドネシアのニュース解説では、スリーマイル島やチェルノブイリの例を出している。そんな事態にならないように祈るのみです。

 海外から救援部隊が続々と到着している。彼らに本国から帰国命令が出るようなことは無いと思うが、ドイツから来ている娘と孫には婿殿から、直ぐ、戻るように毎日電話が掛ってきてくるので対応に困っていると娘から電話が入っている。本人は25日に日本へ来る予定になっている。どうするつもりなのでしょうか。迎えに来るのでしょうか。何もなければ4月15日まで日本にいることになっている。

 

 もし、人体に深刻なダメージを与える可能性がある高濃度の放射能が発生する状態になったとしても、東京や静岡、名古屋など福島より西にある場所に、それが振りかぶさってくるのは地球を一周して戻ってきた時で、相当、濃度は低くなっている時です。アメリカやヨーロッパの方が濃度は高いはず。中国の大気汚染が日本に被害を与えたり、黄砂が降りそそいだりするのと同じ理由です。ですから、申し訳ないが、静岡や東京は福島原発に万が一、炉心融解のような事態になっても、すぐに人体に影響があることにはならない。戦争末期の時のように、東の人たちは、西に疎開することになるでしょう。そんなことにならないよう、関係者を信頼し、信じるしかない。批判をしても意味がない。

 

 静岡東部に地震が有った。富士宮で震度6とか、大きな被害は今のところないようだ、このくらいの地震は二三年置きにあるが、大きな被害は出ていない。東海地震や東北地震に関係ないと云われているが、私は、東海地震がなかなか来ないのは、こういった、少し、強めの地震が起きることによって、ストレスが緩和されているからだと思う。地震学者はそう考えないのでしょうか。どうでしょうか。

 この歳になれば、どこで、何が有ろうと怖くない。それに、この世の中、どこで何が起きるか分からない。何も予測出来ることはできない。生きているうちに、やりたいことは躊躇せずなんでもやっておいた方がいいと思う。もっとも、私の場合は、やりたいことをどんどんやるのは、とっくの昔からなので、同じ調子でやるしかない。

 

 今はこの景色を見ることはできない、2006年パンガンダランに津波が襲う前の風景です。今は、この東海岸が無くなっている。西海岸は以前も今も同じ賑わいです。

 脱出 デマ 心配

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(^_-)-☆困ってしまうよ

2011-01-26 23:43:27 | 試練

  今月から、手伝い始めた会社。日本人にも変なのがいて、今日こんなことがあった。以前、客先訪問して紹介した時、客先から見積もり依頼のために図面とサンプルを渡され、本人が受け取った。その図面を見せてほしいと頼んだら、「だいぶ前のことですよね、もらってないと思います」という、「そんなことは無いから、探してくださいよ」といったら、「捜しますよ、でも、覚えていない」でした。その後暫くして、インドネシア人の部下から、「サンプルは、私が預かっていますが、図面は貰っていません、見たことはあります、無くしたてしまったのでしょう」といってきた。こんな重要なことを忘れてしまっているし、しっかり、ファイリングしていないのです。「受け取ったのですから、無ければ、あなたから、もう一度、ファックスででも送ってもらってください」と頼んだら、「太田さん、自分で取り寄せてくださいよ」だって、呆れてしまった。

 ついでに書くと、その人から「客先のリストをください」と言われ、インドネシア人部下に私の目の前で、それを渡してもらった。それから、一週間後、今度は日本人が8人ぐらい集まってのミーティングの時、私に「客先のリストをまだ、貰っていない速くしてください」と皆さんの前でいわれてしまった。「もう渡しましたよ」と言ったら、首をかしげて、「貰っていませんよ」という。それが終わって、インドネシア人スタッフに確認していた。勿論本人も渡したといった。当り前である。ころッと、忘れてしまっていて、覚えていない、ファイリング保管もしていない。インドネシア人スタッフが再び私の目の前で、その日本人に渡した。その後、客先のリストを請求してくることは無くなった。しかし、そのリストにある客先に連絡を取った形跡が全くない。自分から、呼んだり、出かけたりした気配が全くない。何のために要求したのか分からない。

 その人は関係なしに、ISOを収得してあるのだから、一応、必要なすべての書類は整っている。自分で何がどこにファイルしてあるのか確かめたらどうかと思うが、その気配も一切なし、思い出したように、この書類やリストは整っているかと、インドネシア人スタッフの要求する。その人が思いつくような書類は全部整っているのです。インドネシア人スタッフが余計な世話をしなければならないだけだということを本人感じていない。

 あなたは、どうでしょうか、心当たりはありませんよね。私からすると、昨日の話も、この話も、とんでもなく呆れる話です。色々な人種がいるものだと思う。

 バンダチェの復興のシンボルの一部、スマートなデザインの橋。テンポラリー住宅と向こうに見える。津波警報での逃げ込み建築物。

 がっくり びっくり ずっこけた

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